1-1:図書館にて、出会い。


 ——14:23 / 2122/05/20(JST)


 第十八残存生活者支援施設のいいところは、大きな図書館が同じ建物にあることと、巡回している公共作業ロボットが基本こっちから呼ばなければ話しかけて来ないことだった。

 図書館があるのは元がコミュニティセンターだったお陰で、ロボットの設定は私を含めた施設で暮らす人々の性質に合わせたのだと思う。

 逆に言うと呼べばすぐ来るので、明らかに小柄な女の子が踏み台に乗って精一杯本棚に手を伸ばしているのを見たとき、「どうしてロボットを使わないんだろう?」と当たり前の疑問を持ってしまった。

「うーーーーーん……」

 困った声に合わせて、ふわっとした長い髪が揺れている。爪先立ちになった白いスニーカーが危なっかしい。施設支給のTシャツとワークパンツは私と同じで、年も同じか少し下。露骨な軍用余剰よじょう在庫をあえて着るのは、単純に楽だからだろう。きっとここに来た理由も似たような……。

 ってところで思考を打ち切った。

 注意が向くってことは、意識しているってことだ。当たり前のことをしてないからなんだって言うんだろう。そう思って、その場から立ち去ろうとしたときだった。

「わっ!」

 女の子がバランスを崩した。

「あ」

 と思ったときには、体が動いていた。とっさに本を持ってない左手でその子の肩を押さえて、ゆっくりと足が着くのを待つ。

 ……つもりだったんだけど、勢いを見誤った。

「ひゃあ!」

「んっ……!」

 胸の辺りにどしんと衝撃が来る。

 態勢を立て直しつつ、騒ぎに気づいてやってきたロボットを追っ払った。今から任せても、かえってややこしくなるからだ。

「……平気?」

 こうなっちゃった以上は、何も言わないわけにいかなかった。

「え?」

 私の顔の下で、彼女はくるっと顔を上げた。頭のどこかが勝手に顔認識をして、丸みのある輪郭を「げ、可愛いな」と思う。

 ぽー……っと虚空を見ていた大きな瞳が見開かれた。

「……あ。あああああ、ごめんなさいぃ!」

「いいよ。——ん」

 自分の声の硬さに驚いて、「別に」を飲み込んだ。私ってこんなにツンケンしてたっけ?

「いえ、危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

 そう言って彼女は頭を下げる。はきはきとした発音で、ごく自然と丁寧な言葉が出てくる感じがした。

「それより、足くじいたとかした?」

「大丈夫です。お陰で傷一つありません」

「じゃ、一人で立って」

「あっ! すみません、今すぐ——」

 両手で顔を覆った彼女は、急いで私から離れようとして……。


 トンッ!


「いったあ!」

 持っていた本を思いっきり足の上に落とした。重厚なハードカバーが床の上で広がり、改行の多いページがぱらぱらと流れる。たぶん詩集だ。


 ——ひとが猫のやうに見える。


 垣間かいま見えた旧仮名遣いの堅苦しさは、爪先を押さえて跳ねている姿といまいち繋がらない。

「あ、あははは……すみません、そそっかしくて」

「……ううん」

「あ、『図書館では静かに』ですよね」

 さっきから自分の声の硬さが気になっていたのだけれど、口元に指を当ててひそひそ声で話す姿に、気まずさを打ち消された気がした。だからだろうか……。

「そうだね」

 思わずそう答えていた。

 すると、女の子はこっちに向き直って朗らかな笑みを見せた。

「私、明川あけがわ結実花ゆみかって言います。結実花って呼んでください」

「……」

 関わりたくなければここで無視すればいい。けれど、結実花はたったそれだけで、私の中で眠っていた習慣を引き出していた。

「私は、島寄しまより未希みき……」

「未希って呼んでもいいですか? あ、未希さんかな?」

「どっちでもいいよ」

 なんだろう? 素で押しの強い子だ。

「では、未希。これからよろしくお願います」

「『図書館では静かに』じゃなかったのかな?」

「は! ……そうでした」

 結実花は顔に手を当てる。その拍子に本を踏んづけそうになったので、先に拾った。

「はい。自由にってことになってるけど一応、市? 国? の物だから」

「あああああ、萩原朔太郎さんごめんなさい」

 結実花は受け取った本をくるくる回して、傷んでないか確かめている。有名な人なので再販本かもしれないけれど、〝図書館の本は基本二十世紀から来たと思って〟扱うべきだから間違ってはいない。

「じゃあ……」

「あ、待ってください」

「……?」

 立ち去りかけたところで、足を止めてしまった。結実花の声にポニーテールの髪先を掴まれたような気がする。

 振り向くと、彼女は左手で本を抱いて右手を中途半端に伸ばしていた。少し慌てた感じが、一歩踏み出した足とほんのりあかい頬からわかる。

「さっきのお礼をさせてください。あ、でも、コーヒーくらいになっちゃいそうですが……」

「はい?」

 前半はわかるが、後半が唐突すぎて聞き返してしまった。

「あ、紅茶の方がよかったですか?」

 真面目な顔でそんなことを言うのが、なんだかおかしい。

「——何それ」

 勝手にわいてくる感情は面倒くさいだけだったはずなのに、私の声は少し笑っているみたいだった。

「今日ここに来たばかりで、どんな物があるのかまだよく知らないんですが……えっと、大体それくらいならおごれます」

「なんでもいいよ」

 ぶっきらぼうに返したつもりだったけど、たぶんそうなってない気がした。



        ‥



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