「ベーシックインカム」

とかくこの世に生きる者は、今の世をかくも正しいものと思いがちだか、あながちそうとも限らない。我々が歴史を振り返った時、過去がさも滑稽に映るように、またこの世も明日から見れば滑稽に溢れているやもしれない。


妄想短話は、そんな滑稽含むやもしれない現代のとある部分を少し変えてみた平行世界を妄想し、ひとときの風刺をお届けするものである。


さて、今宵お届けする「ベーシックインカム」は、日頃世の中から無能と呼ばれがちな政府が本当に無くなったら?というお話である。果たして、政府の無い世界はいかほどか?では、お楽しみあれ。



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「我が政府は、本日をもって解散します。」


ついにこの日が訪れてしまった。日本政府解散の日である。長らく続いたベーシックインカム議論に、ひとつの大きな結論が出たのである。やはり、決定打となったのは日本平等党(通称:平等党)の躍進とインターネット国民投票システムの存在だろう。


「すべての国民をひとつに!そして、平等に!」を合言葉に「無駄遣いする政府を解散させ、ベーシックインカムの名の下、国民が得た収入をほぼ均等に再配分する」という訴えは、低所得者層に広く受け入れられ、これと時を同じくして導入されたスマホ投票システムによって投票率は87%を記録、これまで浮動票と言われてきた票田を一気に平等党がかっさらった結果、大与党なってしまったのである。


大与党になった平等党の躍進は凄かった。まずは国民にベーシックインカムの素晴らしさを味わってもらうということで、国民ひとりあたり月20万円の支給を始めた。この結果、歳出は一気に5倍の年間500兆円に膨れ上がった。だが平等党これを日本銀行にすべて引き受けさせ、その後に「生活基盤は整ったので、所得税を累進課税で80〜96%に引き上げます。」としたのだ。これに猛反発したのは富裕層だったが、これまでの格差社会化によって貧困層に陥ってしまった大多数の国民パワーには勝てず、所得税は大幅に引き上げられた。


多くの国民は働いて得た収入のほとんどを税金として奪われたが、4人家族であれば月80万円、年にして960万円のベーシックインカムであったことから、文句を言う人間はほとんどいなかった。そして「結婚した方が得だ」「子供を生んだ方が得だ」となった結果、婚姻数、出生率も大幅に上昇した。これがさらに支持を集める要因ともなった。


一方、平等党の収入監視は鋭く、あらゆるビジネス・商取引に対してマイナンバーの紐づけを徹底させた。法改正を行い、マイナンバーを紐づけしない取引には取引金額の100倍の罰金を取引した両者に課した。これにより、相互監視体制が構築され、不正を行う者は全くと言っていいほどいなくなった。この結果、年間所得が1億円を超える者はほぼいなくなったが、数千万円の者はそれなりに残った。だが、この微妙な格差を残したのが平等党の上手いところである。この微妙な格差を狙って経営者や資本側に回ろうとする人間を残したのである。そのため、ギリギリながらも資本主義経済の体は保たれた。


ところが、これに勢いづいた平等党はいよいよ暴挙に乗り出した。それが政府解散である。理由は至極簡単だ。政府が赤字を脱せなかったというだけである。だが、政府を解散し、無駄な支出を一切無くせば収支差ゼロに出来るという試算が出た結果、国会での議論が白熱し、最終的に解散するという判断に至ったのである。政府機能は税金回収とベーシックインカム再配布、さらには戸籍等の帳簿管理だけ、つまり財務省と国税庁、法務省だけが残された。


無論、多くの懸念が持ち上がったことは言うまでもない。まず、遡上に上がったのは社会保障問題だ。だが、これは全員がベーシックインカムを使って保険加入すれば問題ないとされた。次に遡上に上がったのは警察、消防のような安全保障である。これについては、先ほどと同様、民営化した上で全員が加入するという措置が取られた。ダムや道路などの社会インフラも同様の措置が取られた。また、司法や立法の機能は残されたため、国会と裁判所はこれまで通り存続された。だが、この費用についても先ほどと同様、全員加入という措置となった。


こうして、公共の予算は事務手続きにかかわる費用分を除き、一切が「全員加入」という方式が採用された。これについて、平等党は「契約が切られる可能性がある方が緊張感が高まり、質が向上する。NHKは既に同様の方式でありながら、いまだもって80%台を維持しており、この考え方は十分に成立するものである。」と説明した。現に成立しているNHKを引き合いに出したこともあり、一方で経済学者達もこれに賛同したため国民の納得度も高く、次から次へと「これも加入方式にしよう」という方向へと向かったのである。


こうして、様々な公共サービスを次々に民営化すると同時に全国民の加入を確認し、準備が整ったところで、いよいよ政府解散の日を迎えることとなった。多くの国民が平等で平和に暮らせる社会の到来である。


だが、この読みは大きく外れることとなった。


これは、政府解散から20年後の話である。


ある日の夕暮れ、学校から帰る途中であろう若者二人が歩きながら、これからの進路について話し合っていた。


「あれ?おまえ、4月からどこに配属されるんだっけ?」


「あー、オレは下水道局。」


「すげーな。なんで、そんなトコいけんの?」


「まぁ、化学が結構得意だからな。俊哉は?」


「オレは・・・福祉課。」


「うわー、超ハズレじゃん。」


「そうなのよ。いやー、もう化石がいないことを祈るしかないね。」


「ホント。化石は色んな意味でやべーからな。」


「まぁ、あいつらのおかげで今の世の中になれたところもあるから、なんとも言えないけど。」


「たしかに・・・。でも、どんなんだったんだろうなぁ?役に立つコトを実感できないままに勉強をしつづける世界って。」


「まぁ、オレなら勉強する気になんないけどね。」


「そうだな。だから、あんなんになっちゃったんだろうけど。」


「で、おまえ、その次はどうするん?」


「そうだなぁ。オレ、化学が得意だから、もしかするとエネルギー系いくかも。で、俊哉は?」


「オレ、どうも理数系が苦手でさ。だから福祉課になっちゃったんだけどね・・・。とりあえず化石でも相手にしながら考えてみるわ。」


「ふーん。なるほどね。」


平行ならざる今の世においても、普通にありそうなこの会話。だが、今と唯一違う点は、彼らが歳の頃にして中学生ぐらいであるというところだ。さて、なにゆえに彼らがこのような会話をしているのか?これを理解するには、政府解散から15年の経緯を知らなければならない。


政府解散の日、報道番組では街角のインタビューが多く流れるとともに、様々な有識者によって白熱した議論が展開されていた。


「なんか、みんなの労働意欲が無くなって経済が破綻してしまう気がする。」


「政府を解散したら近隣諸国から攻められてしまう!」


「これで働かなくも食っていける!」


その日は、そのような意見が多く報道されていた。だが、全体としては陰鬱な雰囲気ではなく、新しい門出に対する期待と不安が入り混じった、どこか穏やかな雰囲気だった。この時、多くの国民が関心と懸念を寄せたのは経済と国防であったが、案外この点に関しては大きな問題は生じなかった。


まず、国防については政府解散前から多くの関心が寄せられていたこともあり、周到な用意がなされた。それは「世界に類を見ない新たな取り組みを支援」するようアメリカに依頼したのである。アメリカとしては、日本が行う壮大な社会実験は今後の自国政策の検討にも役立つということで、全面的な協力が約束された。この協力の柱として大きく2つが提示された。


ひとつは日本国内のアメリカ軍基地継続である。これについては従来、日本政府により捻出されていた在日米軍駐留経費負担を問答無用で維持することを条件に約束された。もうひとつは、アメリカへの属国化である。日本をアメリカの自治連邦区のひとつとしたのである。この2つにより、日本は名目上、アメリカということになった。そのため、隣国も下手に手出しが出来なくなってしまったのである。


次に経済についてだが、こちらについては資本主義理論に基づき、あまり大きな対策はなされなかった。だが、経済については政府解散により、一時的に良い効果があった。それは労働選択性の向上である。ベーシックインカムによって生活基盤が保証されている上に、多く稼いだところで、自身の収入にあまり変化が無くなったことから、ブラック企業に勤め続ける必要が無くなったのである。そのため、多くの労働者は「本当にやり甲斐のあるコト」「本当に意味のあるコト」を職業として選択するようになった。この結果、労働環境の悪い会社はあっという間に淘汰され、従業員をキチンとケアする会社が人気となり、一方で社会に不必要だと思われるような会社もあっという間に淘汰された。


こうしたこともあり、政府解散後1〜2ヶ月はさほど大きな問題も生じず「案外このままイケるのでは?」という雰囲気が流れ始めた。だが、人間の強欲はそんなに甘くは無かった。問題が表面化したのは政府解散から約半年が経った頃である。


この頃から真っ当な会社の多くは、謎の人手不足に悩まされるようになった。だが、世の中を見渡してもベーシックインカムに甘んじてダラダラしている様子はあまりなかった。理由は簡単である。みんな働いていたからだ。そう、脱税の横行である。考えてみればしごく当然のコトだ。ベーシックインカムがあったところで、働いた報酬をほとんど持っていかれるのだから、何とかバレないように誤魔化そうとする動きが出るのは当然である。その手口は案外簡単なもので、現金取っ払い取引が横行し始めたのである。さながら現代の闇市といったところだが、戦後の闇市のような大っぴらな取引はされず、誰しもが裏帳簿と裏台帳を持ち、合言葉により裏取引が行われるというスタイルであった。そうなれば、突然にして「真っ当な会社で働くのは時間の無駄」という話になるのである。これが人手不足の真相であった。


こうなると、通常であればGDPなどの経済指標に影響が出るところであるが、政府が存在しないため統計データは何も無く、正確に状況を掴む手段は無かった。唯一、税収が極端に落ち始めたコトがそれを暗に示していた。


このような流れに乗じて登場したのが現金取っ払いで労働対価をピンハネする闇企業である。彼らは対価の半分近くを手数料として徴収したが、所得税率に比べれば遥かに低かったため、多くの人間がこぞって雇われた。


次に起こったのは、全員加入が義務づけられた様々な公共サービス料金の未払いである。特に直接的な利益に繋がりにくいモノから真っ先に未払いが始まった。最もそれが顕著に現れたのは警察、消防、道路、立法、司法である。支払率は50%台まで落ち込んだ。


こうなってくると、取り締まりが行われそうだが、膨大な量の取り締まりが必要になってしまった結果、賄賂が横行し、正常な取り締まり機能はほぼ消失していた。民事訴訟数も膨大に膨れ上がったが、取り締まり機能が消失していた事も相まって機能不全を起こし始めていた。代わりに蔓延ったのが用心棒業であり、その様相はまさに戦後の混乱期と同じような状況になりつつあった。


だが、残念ながらこうした状況に対する不満の捌け口たる政府は存在しなかった。そして、多くの人間がこう思った。


やっぱり政府は必要だ!と。


というか、もはやそうせざるを得ない状況が訪れていた。この理由も簡単である。税収の極端な落ち込みにより、どうあがいてもベーシックインカムが成立しないことが見えてしまったのである。この結果、政府解散から3年目にしてアメリカ主導の元で暫定政府が樹立された。2度目のGHQである。この点に関してはアメリカの属国となっていたことが功を奏した。あえて1度目との違いを言うなれば、軍服を着たマッカーサーではなく、スーツを着たアメリカ人が飛行機から降りてきたコトだろう。


流石に今回は東京裁判よろし「戦犯の特定」は難しかったため、戦犯探しではなく「このような事態を巻き起こした原因の究明」が行われた。


原因究明に先立ち、暫定政府ではまず政府解散前の政府・自治体職員の呼び戻しが行われ、税制・税率、民営化された公共サービスはすべて平等党躍進前の状態に戻された。また、立法たる国会議員は全員解雇となり、今回の事態に対する責任として全員の被選挙権が剥奪された。このため、暫定立法としてアメリカ下院により50名程度の派遣チームが組織され、日本に送られた。


この混乱は大きく、一時的に犯罪発生率が急上昇、生活困窮者も街に氾濫した。ただし、この時はベーシックインカム失敗の反省を踏まえ、生活保護金の給付ではなく、フードチケットや住居無償提供など、現物支給の公的扶助が行われた。


政府解散からたった3年のコトであったが、ダメージは想像以上であり、ほぼ元通りの状態に戻るまでに約2年の年月を要した。その間も原因究明は行われ、政府解散の日から約7年が経った頃、調査チームからひとつの結論とともに新たな提案が暫定政府に提出された。そして、その様子はテレビを始めとした、あらゆるメディアによって同時配信された。


その後、このレポートについて記者会見が行われた。あらゆるメディアが集まった記者会見場で司会から指名され、演台に向かったのは調査チームの代表であるハーバード大学教授のテイラー・リチャドソン氏であった。彼は演台につくと、軽く一礼し、演台の両端に手をそっと添え、ゆっくりと、そしてどこか優しくも落ち着いた声色で話を始めた。驚いたことに、その言語は実に流暢な日本語であった。


「皆さん、本日はお忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます。今回、我々は約4年の歳月をかけ、極めて慎重かつ公平に『日本という国が機能不全に陥ってしまった要因とは何か?』を調査分析しました。きっと多くの人は『政府を解散した』ことに要因があるのは、お気づきかと思います。ですがみなさん、よーく考えてみてください。問題の根本は『政府を解散したコト』にあるのではなく、国民が『政府を解散させてもよい』と判断してしまった過程の中に存在します。」


「そこで私は、皆さんにひとつの問いかけをしたいと思います。皆さんは何故『政府を解散させてもよい』と考えたのでしょうか?ここで少し考えてみてください。」


そう言うとリチャードソンは少し黙った。そして会場は沈黙に包まれた。時間にしてほんの5秒程度だったが、思いのほか長く感じられた。そして、リチャードソンはおもむろに話を再開した。


「答えは皆さんが『知らない』からです。」


リチャードソンの話は続く。


「例えば、皆さんは中央省庁で何人の職員が働いているかご存じでしょうか?・・・そうですね、そこのアナタ、何人ぐらいだと思いますか?」


いきなり質問をされた記者は少し戸惑いながら宙を見上げ、やや不安そうな声で答えた。

「ええっと・・・6万人ぐらいでしょうか?」


その答えを聞いたリチャードソンは、少しだけニヤリとしながら「そう!それ!」と言わんばかりに右手の人差し指を少し縦に振り、優しく答えた。


「ちょっと惜しいですねぇ。実は少なくとも、その倍はいます。」


そして、再び右手を演台の縁に置くと、話を続けた。その穏やかではあるがちょっとだけユーモラスのある物腰によって、徐々に会場の雰囲気は大学の講義室かのような雰囲気へと変わっていった。


「これが皆さんの『知らない』ということです。政府、つまり行政がどれぐらいの規模でどんな活動をしているのか?を多くの日本人が実はあまりよく分かっていない。そして、あまりよく分かっていないものは『必要ない』とつい思ってしまう。これが、我々の出した結論です。」


「もちろん、日本の学校教育の中にも行政を学ぶ『社会』や『公民』といった授業はあります。なので、我々も最初はこの問題に気がつくことが出来ませんでした。ですが、慎重に調査を続ける中で、あることに気がついたのです。」


「それは位置づけです。実はこれらの内容は教育プログラムの中で重要視されていない。それに気がつきました。もちろん歴史も重要ですが、『今』はもっと重要です。ところが、これらの授業で『今』を学習する時間は全体の約10%程度しかない。これは『変化が多くてテストにし難い』というコトが要因かと思いますが、テストはあくまで確認でしかありません。『みんなが学ぶべき内容』をキチンと考えたら、このような比率にはならないと思います。」


「そして我々は、重大な事実に気がつきました。それは多くの日本人が、学校で学ぶ内容の大半について『役に立つと思っていない』コトです。これでは何も学びません。であれば当然、適切な判断はできません。つまり、今回の件に関する根本的な原因は日本の教育プログラムであり、ここを全面的に見直さなければならないというのが最終的な結論です。」


「さて、実は同様の問題は私の国、アメリカにも存在します。今回は日本がたまたま問題に直面しましたが、これは全世界共通の問題とも言えます。そこで、我々としては是非この機会に、日本が教育プログラム最先端の国になって欲しい。そう考えています。ということで、提案の話をしましょう。皆さんはどうすればこの問題がもっと良い方向に向かうと思いますか?」


「・・・中々難しい問題ですよね。すぐには答えが出せません。我々も悩みました。悩みに悩みぬいた結果、ひとつのキーワードを得ました。それは『実体験』です。皆さん、理科の実験はちょっと好きですよね。きっと家庭科の調理実習も。それらはすべて『我が身で体験する』から好きなのではないでしょうか?実は国語も算数も理科も社会も皆さんの身近に存在しています。もちろん行政もです。」


「これを机の上で学んでも面白くない。だから何も覚えていない。ならば『現場で学ぼう』というのが我々の提案です。」


「ルールはとっても簡単です。日本から高校を撤廃します。その代わりに日本国民全員に15歳から18歳まで行政で働くコトを義務化します。もちろん給料はお支払いします。我々はこの制度を『公役』と名付けました。」


「これは単に『働け』というのではありません。『働きながら学ぶ』のです。みなさんはご存知ないかもしれませんが、行政の現場には数学や歴史、物理や化学だってあります。それに加えて法規や福祉もあります。行政の現場には社会に必要な知識が沢山あるんです。」


「ですので、行政で働いてもらう目的は『学習』です。それは『行政を学ぶ』と同時に『数学や物理のような今までの科目』も一緒に学ぶというコトになります。」


「では、実際にどのようにして働くかというと、この公役の間、彼らには様々な部署を経験してもらいます。1ユニットを2ヶ月として、2ヶ月単位で部署を移動します。3年間あるので、全部で18ユニットです。そしてそれぞれの部署には『化学1』や『英語2』『法規3』のようなクレジットをつけます。例えば土木課であれば『物理4』や『化学3』のようなクレジットがつきます。これは、その部署で働くにあたって必要な知識を表しています。そして、その部署で働きながら、同時にそのクレジットを学習します。」


「ですので、彼らが行政で働く時間は朝9時から15時までです。そこから17時まではそのクレジットをオンラインで学習します。そして、2ヶ月後にはそれらの修了証が発行されるというものです。つまり、この『クレジット学習』が高校の次なる役割となります。」


「ですが、それぞれの部署で受け入れられる人数にも限りがあります。ですので、2ヶ月毎に次に希望する部署の調書を取り、そこで試験をします。そして配属を決めます。もちろん、この公役は中央省庁だけではなく、地方自治にも適用します。」


「これが我々が提案する『現場で学ぶ新たな教育プログラム』です。そして、行政の中ではもう既に各部署へのクレジット付与がスタートしています。恐らく皆さん、色々な疑問が浮かんだと思いますので、本日はすべての質問に対して何時間でもお付き合いします。」


恐らく、全くもって予想外であっただろうこの提案を咀嚼仕切れなかったのか、しばらく質問は出なかったが、その後徐々にに質問が出始め、この日、夕方5時に始まった記者会見は最終的に夜11時まで続いた。


だが、そこからの動きは極めて早かった。政府解散から8年目、提案からたった1年後にそれはスタートした。それほどまでに政府解散後のあり様は国民にとってトラウマだったのだろう。また、約4年という年月をかけて慎重に検討したことも功を奏したといえよう。様々に出された疑問の多くは既に検討済みとして、明確な回答が用意されていた。ちなみにスタート時、既に16〜18歳だった子達は適用外とされたが、これも提案段階で既に検討済みとして明確な理由が用意されていたため、決定までにさほど多くの時間はかからなかった。


こうして恐ろしくも早いスピードで実現化された公役制度だったが、年を経るに連れて徐々に好評になっていった。それは、公役制度を経験した卒業生達が行政に理解を示し始め、行政に対する対応が柔軟かつ柔和になってきたからである。それもそのはずで、行政窓口に行けば後輩達が初々しくも精一杯業務を頑張っているワケで、その姿を見ると「かつてそうであった」自分の過去が蘇ってしまい、ついうっかりアドバイスやサポートなんかをし始めたりしてしまうからだ。かつて、敵のようにしか見えなかった行政が、まるで仲間かのように見えてしまうのだ。


そして、彼らは政治家の声を真剣に聞くようになり、かつて人気投票かの様相を呈していた国会議員の投票も、政策の提案内容をしっかり吟味した上で投票するようになった。


一方、クレジット制度も違う効果を生み出した。それは、産業界への拡充である。まず反応したのは産業界だった。かつて多くの企業はインターンという名目で学生を無償で働かせ、なおかつ青田買いをしていたが、これを「学習・研修」という方向に転換させた上で「教育クレジットも自前で用意するから、我々も仲間に加えてくれ」と言い始めたのだ。また、彼らは様々な業界団体内に「特定のクレジット群を取得したら、それらを資格として認める」という制度を設けさせ、若者達に「企業でクレジットを取得する」コトを積極的にアピールし始めたのだ。


この結果、大ダメージを受けたのが大学である。産業界が本気で乗り出し始めたコトによって存在意義があやふやになってきたのである。そのため、大学本来の役割である研究へと軸足を移せた大学はかろうじて生き残ったが、そうでない研究力の低い大学はあっという間に経営難に陥り淘汰された。一方、専門学校は「企業内で行う教育用の人材派遣を行う」という方向へと業態を転換することで生き延びた。


こうして公役制度開始から12年、政府解散から20年経った今では、15歳から行政で働き始め、同時に様々なクレジットを取得、その後は企業で働きながらさらにクレジットを取得し、研究開発職など高度な知識が必要になった段階で大学に行き、研究開発をしながらクレジットを取得するのが通常のスタイルとなった。また、公役で行政を体験することで興味関心が自然と高まるようになった結果、公務員は人気の職業となった。


だが、こうした大きな価値観変化についていけなかったのが老人達である。彼らは相変わらず行政で働く人達を公僕と呼び、「誰のおかげで給料貰えているんだ!」と喚き散らした。かつての価値観そのままである。そんな彼らは影で「化石」と呼ばれ、疎まれるようになった。


ただし、弊害が無かったかといえばそうでもない。いくつかの弊害が表面化した。そのひとつは「スポーツの弱体化」である。これまでの日本では教育機関という緩やかな場があったからこそスポーツに打ち込める環境を構築できたが、それが公役によって叶いにくくなった結果、あらゆるスポーツは弱体化を余儀なくされた。


もうひとつの弊害は「公役内での序列形成」である。配属先が試験によって決定され、取得できるクレジットも部署によって異なるコトから「○○部署に配属されるにはこのルート!」といった対策本や「□□部署の試験対策講座」のような学習塾が登場し始めた。これにより、全国各地の部署は偏差値のようなランクづけがなされ「どこのどの部署に配属されたか?」による階級意識が芽生えてしまったのである。その結果、エリート部署と呼ばれる部署が登場し、その部署に対する国民の当たりは強くなってしまった。いわゆる「やっかみ」というヤツである。


まぁ、万事すべてが上手くいく世界というのは中々構築しがたいものである。スポーツについては現在、公役に「スポーツ免除枠」を設けるコトが国会で検討されているが、序列形成に対する対応策は今のところ無い。


現在、こうした大きな価値観の転換と環境の劇的な変化は、新たな教育のロールモデルとして全世界中から注目されているが、いまだもって日本と同じシステムを実現できた国は出ていない。やはり、政府解散という劇薬が必要なのだろうか。


そして今日も若者達は、次なる現場と学習に期待と不安を寄せるのである。あの二人のように。果たしてこの世界が吉と出るか凶と出るか、それは彼らの双肩にかかっているのである。

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さて、いつの世も「今の世の中はおかしい!」と声を上げ、改革に乗り出す者は後をたたないが、改革の多くは失敗しており、我々はその多くの「失敗という犠牲」の上に今を生きているのである。そして今日も失敗は繰り返され、その失敗の上に次の世代は生きるのである。この平行世界において、次なる失敗が登場するのは、これまた少し先のお話。


ということで、今宵の話はここで一旦お開き。お開き。


おわり


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妄想短話 もちもちの餅 @yuashizawa

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