妄想短話
もちもちの餅
「社畜選手権」
とかくこの世に生きる者は、今の世をかくも正しいものと思いがちだか、あながちそうとも限らない。我々が歴史を振り返った時、過去がさも滑稽に映るように、またこの世も明日から見れば滑稽に溢れているやもしれない。
妄想短話は、そんな滑稽含むやもしれない現代のとある部分を少し変えてみた平行世界を妄想し、ひとときの風刺をお届けするものである。
さて、今宵お届けする「社畜選手権」は、現代はびこる社畜なるものが羨望浴びるものであったらどうなるか?というお話である。いやはや、ニントモカントモ、にんにん。では、お楽しみあれ。
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「よう、久々。元気か?」
「おう、智也、久々だな。1ヶ月ぶりぐらいか?」
「まぁ、そんなもんかな。なにせ、ずっと残業続きで家にも帰れない状態だったからなぁ。」
「さすがだな。やっぱエリートは違うねぇ。」
「お前こそどうなんだよ?最近。」
「まぁ、あんまり残業とかは出来てないかなぁ。実は彼女が出来ちゃってさ。」
土曜日の昼下り、年の頃10代後半であろう若者二人は、ファミレスのボックス席に向かい合って座り、日替わりランチを頬張りながら、そんな会話を繰り広げていた。ただひとつこの世との違和感を指摘するなれば、どうも見るに二人が高校と思しき制服を着ている点にあるだろう。
さてさて、なおも会話は続くのである。
「彼女!?マジか!お前、大丈夫かよ?まさか休日にデートとかしてるんじゃなかろうな?」
「あ、まぁ、そうだな。まぁ、な。実はこのあともまぁ、その、な。」
「お前、正気か?そんなんで全国大会行けると思ってんの?ヤバくね?」
「いや。まぁ、その、お前んとこは全国大会常連校だからアレだけど、ウチは弱小だから・・・。」
「決勝で会おうって強気発言したのオマエだろ?そんなんでいいの?」
「あ、まぁ、なんというか、その、休日を楽しむっていうのも案外悪くないっていうか。その・・・。」
「うわー、引くわ。まさかお前、有給休暇とか取ったりしてないだろうな?」
「あー、まぁ、ほとんど残ってるけどね。」
「ほとんどってことは使ったの?マジで?いやいやいや、全国大会行くための最低条件よ?有給全残しは。お前、もうほぼ全国大会の望み無しじゃん。」
「まぁ、そうかもなぁ。いや、でもさ。お前の高校はIT系だから、毎月納期前デスマーチとか余裕だろうけど、ウチの高校は総合職の経理系だから、デスマーチとか相当ハードル高いんだよ。それこそじゃないけど、あって半期に一回、しかも不正経理でもない限り、徹夜デスマーチできないんだよ。」
「いやぁ、そうかもしれないけど・・・。あ、そうだ。今夜だっけ?日本社畜GPファイナル。」
「あー、うん。アレだよね。吉岡俊哉だっけ?新進気鋭の。」
「そう!3日連続徹夜からのクレーム対応出張、しかも接待つき。あれは凄いよ。いやー、よく死なないよね。ヤバいよ。あいつ。」
「なんか最近、家庭内別居始めたらしいよ。だから今夜はかなりアツい社畜になるんじゃないかなぁ。」
「それは見逃せないなぁ。でも、今日もサービス残業あるからなぁ。」
「今日ぐらいは定時あがりしてもいいんじゃない?それか、どうしても勉強したい!って言えば。」
「そうだな。業務化して分析レポート提出します!って言えばなんとかなるかもな。」
「さすが、IT系エリート私立は違うね。」
「まぁな。なにせ、分析レポートは無償サービスだし、要件定義もワイヤーフレーム制作も無償、ソースコード書き始めてようやく費用発生するスタイルだからな。結構ヤバいだろ?」
「そりゃ凄いな。ってことは、お金にならない仕事が山のようにあるわけ?」
「当然。だからボーナスなんて全然出ないどころか、遅刻回数に応じて減給あるからね。まぁまぁの強豪校よ。」
「凄いな。それでよく労基の目を誤魔化せるな。」
「まぁ、ウチはディフェンスが優秀だからね。プライベートで勝手にやってます化のテクニックはハンパないのよ。だから、まぁ今日も『そのためのブラフ作りです』って言えばなんとかなるかなぁ。」
「なるほどね。さすがだな。あ、そうそう。そういえば今日はブラフの貴公子も出るらしいよ。」
「それってあの西田裕也?」
「そう。テレワークの申し子。」
「それは見たいなぁ。最近ウチもテレワーク導入し始めたから、参考にしたい。」
「そしたらテレワークで見れば?」
「そうね。分析ってことで会議にして、全員強制参加ってコトにしてもらうわ。」
「なるほど。頭いいな。」
「まかせろ。じゃ、オレ、これからクレーム対応だから先行くわ。またな。」
「おう、また連絡するわ。」
よもや高校生とは思えぬ、げに恐ろしき会話が繰り広げられたるファミレスの光景ではあるが、これもまたこの世界においては正しき姿であるのが、平行世界の真実なのである。
さて、時と所は変わり、何やら注目されているという日本社畜GPファイナルの実況へと情景は移るのである。
「さぁ、いよいよ始まります。日本社畜連盟主催の日本社畜GPファイナル。今年でいよいよ40周年を迎える記念大会となりました。さぁ、今回はどんな社畜が見られるのでしょうか!本日の解説は、第18回大会優勝の谷川義人さんにお越しいただきました。谷川さん、どうぞ宜しくお願いします。」
「あー、どうも宜しくお願いします。」
「さて、谷川さん。今回の大会ですが、いかがでしょうか?注目の社畜などいらっしゃいますでしょうか?」
「そうですねぇ。まぁ、一番の注目は大本命の吉岡なんですけど、今年はテレワークの躍進もありましたから、まぁ期待できる社畜も多いですねぇ。」
「なるほど。やはりIT系に注目といったところでしょうか。そうすると西田あたりに期待が持てるといった感じですか?」
「そうですね。彼はテレワークのおかけで勤務が24時間体制に移行しつつありますからね。しかも、あくまで定時で勤務終了したプライベートという体ですから。これは見どころも多いんじゃないなかぁなんて思っています。」
「なるほど。たしかにそうですね。そういえば谷川さんの時代はまだIT化が進んでいなかったから、残業が目に見えてしまっていたかと思うのですが、いかがでしょう?」
「そうなんですよ。だから労基に見つかってしまいやすかった。我々の時代はまぁ、接待ぐらいですかね。手法としてあったのは。そう考えると、たとえ現役の私だったとしても、今だったら多分、予選落ちしちゃうんじゃないかなぁ。」
「いやいや、ご謙遜を。谷川さんの忠誠心たるや誰しもが憧れましたよ。朝礼時の社訓朗読なんて、今でこそ使い手は少なくなりましたけど、社畜手法としての芸術性は極めて高いと思います。」
「あ、ありがとうございます。そう言っていただけると報われます。」
「さすがですね。社畜精神は今も健在といった返答をいただきました。さて、西田も注目ですが、他にも注目社畜はいらっしゃいますか?」
「そうですね。やはり本命どころの中央省庁は外せないかと思います。特に今年は社会情勢が不安定だっただけに内閣官房あたりににいい社畜が多くいますね。」
「そうなると、注目は佐野、吉田あたりでしょうか?」
「佐野はかなり期待大ですね。女性躍進という名の下に、家庭状況お構いなしで最前線に立たされたと聞いていますからねぇ。まぁ、男女平等という言葉は、社畜力が試されるいい機会でもあるんですよね。そもそも身体的特徴にも差があり、文化としても家庭における女性負担が大きいところをそのままに、男女平等、女性躍進となっていますからね。相当、社畜力が高くないと生き残れないんですよ。女性は。そういう意味ではGPファイナルに女性の佐野が残っているというのは、それだけで男性なんかよりも遥かにアドバンテージが大きいと思いますね。」
「吉田はいかがでしょう?」
「吉田は今回、コロナ対策とワクチン手配の両方を担当しましたからね。これもまたかなり期待が持てると思います。なにせ、どっちを向いても四面楚歌ですから。月の残業時間が200時間を超えるほど必死で頑張っているのに、世の中から『政府は何もやっていない!』『無能だ!』なんてアチコチから批判されるワケですからね。私だったらとっくに投げ出してるでしょうし、批判を生で聞いた日には『じゃあ、お前がやってみろよ!』なんてキレちゃう気がするんですよね。」
「たしかに、キレる・投げ出すは、社畜としては大減点ですね。」
「そうなんてすよ。なので、その四面楚歌状況にありながら200時間の残業をこなす。この芸術点には大いに期待が持てますね。」
「なるほど、ありがとうございます。さぁ、そろそろ第1社畜の調書確認がスタートしそうです。期待しましょう。最初の社畜は長嶺颯馬です。」
1万人は入るであろう円形の競技場に設置された真っ白なステージ。そこに第1社畜の長嶺颯馬がおもむろに壇上へと上がる。当然にして観客はいない。社畜にとってはむしろ好都合な環境といえよう。彼がステージ中央にスタンバイすると、それまで全灯で煌々と明るかった会場全体の照明がゆっくり下ろされ、会場は漆黒の世界へと移り変わった。そして、天井からは一筋のピンスポットが差し込み、彼だけを照らした。
まぁ、その姿はどこにでもいる普通のサラリーマンそのものだ。普通のスーツに普通の髪型、そして書類やらが入っているであろうリュックを背負っている。一見すると好青年のような出で立ちの彼だが、足元だけは若干の違和感を醸し出していた。それは靴が革靴ではなく真っ黒なスニーカーであるということだ。革靴では社畜生活に耐えられないということであろう。スニーカーという存在によって、彼が社畜としてのスキルが高いことを物語っていた。
そんな彼が立つステージの真後ろには500インチはあるであろう大きなスクリーン。そして、ピンスポットの中央で直立し微動だにしない彼をよそ目に、スクリーンには隠しカメラで撮影したであろう映像が投影され始めた。調書確認のスタートである。
会場の静寂をよそに、別室の実況は続くのである。
「さぁ第1社畜、長嶺の調書確認がスタートしました。まずは出勤風景でしょうか。おっと、これは武蔵白河駅でしょうか。」
「武蔵白河駅は快速が止まらない各駅停車の駅ですね。たしか小野急線の中でも遠方にあるため比較的、家賃相場の低いところですねぇ。とはいえ、通勤ラッシュ時のピークには乗車率が160%ぐらいになっちゃうところですね。」
「なるほど。薄給であることが伺えますね。あーっと、ホームにはどっさりと人がいます!やはり出勤タイミングが通勤ラッシュのピーク時ドンピシャということでしょうか!」
「テレワークの時代とは思えない量ですね。まぁ、彼はバリバリのIT系なので、イチイチ出社しなくても仕事は成立するんですけどね。恐らく勤務時間も勤務体制も硬直的なんでしょう。それでも不満そうな顔を一切していない。これはポイント高いですね。」
「さぁ、ここで本を取り出しました。これは一体なんでしょう?資格取得の本でしょうか?」
「あー、ITパスポート試験の対策本ですね。恐らく会社から資格取得の命令が出たんでしょうね。まぁ、一見すると自分磨きかのように見えますが、彼は応用情報技術者試験を既に合格しているので、いまさらITパスポートなんか取ったところで何の役にも立たないんですよね。それなのに今さら対策本を読むというのは、社内のレベルがよっぽど低いか役員がまったくITに詳しくないかのどちらかでしょう。それでも文句ひとつ言わず、ただでさえ苦痛な通勤時間にさらなる苦行を課している。まあ、恐らくあの本も自腹でしょう。かなり高難度な複合技ですね。」
「表面上は充実しているかのように取り繕うのは、IT系を中心に近年多く見られる社畜手法ですからねぇ。今大会でも様々な取り繕いが期待されるところです。おっと、ここで映像が切り替わりました。さぁ、これは何でしょう?どうやら朝礼のようですね。IT系にもかかわらす朝礼があるんですねぇ。しかも全員直立不動です。これは意外な展開です。」
「いやぁ、懐かしいですね。私もつい現役時代を思い出しちゃいますね。まぁ、朝礼というのは社畜の基本ですからね。下火になったとはいえ、今でも採用しているところはそれなりに多いんですよね。」
「なるほど、基本を疎かにしないということですね。やはり基本は大事ということでしょうか。」
「そうですね。やっぱり基本がなっていないと、すぐに横着をしようとしてしまいますからね。特に最近だとスマホがありますから、トイレに行くという体で何とでも出来てしまうんですよね。ですから、こうした朝礼のような基本をキチンとおさえて、サボらせないぞ!サボることは悪なんだそ!というのを無意識下に叩き込んでおくことは重要だと思います。」
「でも、朝礼だけならさほど難易度は高くないと思うのですが。」
「まぁ、ここから何かが始まるんじゃないですかね。もう少し様子を見てみましょう。」
「そうです・・・おっと、朝礼に動きがありそうです。あっ、長嶺が何やら社長から小言を言われています。あー、どうやらスニーカーを指摘されているみたいですねぇ。高い社畜精神の現れなのですが。おっと、そこから派生して、スーツの品質に小言が移動しました。これは案外長丁場になりそうです。まだ朝の8時半だというのに、ダメージが大きそうですね。おっと、社長がまとめに入りました。どうやら『キチンとしたモノを身に纏っていないと人間力が下がるぞ』とのこと。これは中々の試練です。『キチンとしたモノを身に纏えないのはおまえが薄給にしてるせいだろ!』と思わず言いたくなってしまうところですが・・・おおっと、さすが長嶺です。一切そんな素振りを見せません。それどころか、『改めます。ご指摘ありがとうございます。』の返答です。これは高得点が狙えるのではないでしょうか?」
「アレですね。ポイントは彼が心から社長の指摘を受け入れているところでしょうか。まぁ、人間誰しも心と体が裏腹な時は、声の調子や指先、顎なんかに反応が出てしまうんですよね。ですが、彼の場合はそんな素振りを一切見せていない。それどころか『朝からよいご指摘をいただけた』と言わんばかりの感謝オーラが出ている。これはかなり高い芸術点が狙えるんじゃないでしょうか。」
「なるほど、さすがですね。私はそこまで読み解けませんでした。さぁ、調書も中盤戦に差し掛かってきました。ここで映像が切り替わります。これはどこでしょう?オフィスですね。社員が黙々と働いています。何というのでしょうか、社員みんな死んだ魚のような目をしています。かなり殺伐とした雰囲気です。」
「社畜環境としては、ほぼ完璧ですね。」
「おっと、社員に動きがあります。どうやら営業担当が帰社した模様です。営業担当も落ち着いた様子なので、特に何かが起こりそうな雰囲気もなさそうなのですが・・・、あ、先ほど帰社した営業担当が何やら打ち合わせ資料と思しき書類を取り出し、PCになにやら入力を始めています。おっと、席を立ちました。あー、また打ち合わせに出かけるのでしょうか。ホワイトボードに『直帰』と書き込んでますねぇ。」
「・・・これはくるか。」
「谷川さんはもうお分かりになったのでしょう・・・っと、あれ?何やら急に長嶺が立ち上がり、足早に営業担当に駆け寄ります。」
「やっぱりそうか。」
「おっと、何やら営業担当と言い争いになっています。あー、これはよろしくない!」
「いやぁ、これ。納品間際の仕様変更でしょう。きっと。まぁ、軽微なモノならどうってことないんですけどね。恐らくはテーブル組み直しが必要だったり、かなり深刻なレベルだったんじゃないでしょうかねぇ。まぁ、営業担当のITリテラシーが低い場合によく起こる現象ですね。ですが、今回の場合は営業担当も少しは分かっていたんでしょうね。だから直接話をせずにメールで伝えたんですね。ですから多分、あの直帰もウソですね。」
「なるほど、あの一瞬でそこまで読み解けるんですね。」
「まぁ、比較的よく起こる現象ですからね。この場合、多くは営業がエンジニアから怒られて、見積や納期の修整交渉をさせられるパターンになるのですが、今回も残念ながらそうなってしまいましたね。業務としては健全なのですが、社畜としては大減点ですね。」
「高難度技にチャレンジしたがゆえの失敗といったところでしょうか?」
「そうですね。技としてはかなり高難度ですね。なにせ納品間際の仕様変更はデスマーチ確定ですからね。これは中々の高難度です。」
「この場合のコツは何かあるのですか?」
「とにかく低姿勢っていうことに尽きると思います。デスマーチになったとて、絶対に間に合わない場合もありますからね。そうなっちゃうと、今度は訴訟やら補償問題になっちゃいますよね。社畜は社に対して損失を与えないことが大前提ですから、ここはどうにかしなければならないんですね。まぁ、そこが難易度を上げている部分でもあるのですが、まぁ、まずは営業担当に『この変更だと、どうあがいても今の納期には絶対に間に合わないので、大変申し訳ないのですが、なんとか納期を延ばす交渉していただけないでしょうか?』と低姿勢にすり寄り、果てはは自らが交渉にあたり、そこで納期延長の合意を得たところで心から喜び、そして嬉々としてデスマーチを敢行する。そんなところじゃないでしょうか?」
「なるほど。そこで値引き交渉されたのをどうにかしのぐも、次の発注時の交渉材料として使われてしまう。そんなパターンも透けて見えますね。」
「いい読みですね。繰り返しになりますが、社畜は会社に損失を与えてはなりませんからね。すべてのしわ寄せを自分に向ける。そういった好循環が発生するパターンですね。」
「そこまでいくのは、かなり高難度ですからね。相当な高得点が狙えたかと思います。」
「そういう意味では長嶺、惜しくも残念な結果になってしまいました。」
その後も長嶺の調書確認は続いたが、中盤の減点が響き、高得点には至らなかった。その後、飲食業の中原、工場勤務の篠崎、アニメーターの富樫と調書確認が続いたが、いずれも高得点には至らなかった。
「さぁ、社畜GPファイナルも中盤戦です。いよいよ今大会の最注目社畜、吉岡俊哉の登場です!」
「いよいよですね。どんな社畜を見せてくれるのかが楽しみです。」
「谷川さん。吉岡の所属している証券業界は、昔から社畜エリートを多く輩出することで有名ですが、今回、吉岡がGPファイナルで最注目されるようになったポイントを解説いただけますでしょうか。」
「はい。まぁ、証券業界というのは昨今、IT化の流れを受けて、ビジネスのあり方自体に改革が求められているんですね。基本的に証券会社のビジネスというのは手数料ないし相談料、または自社資金による投資益あたりが収入の軸になります。特に世の中がデジタル化する以前というのは株式売買の手数料がかなり大きな収入源でした。ところが昨今はネット証券の登場したおかげで、誰もが手軽に株取引できるようになりましたよね。」
「たしかに、私もスマホアプリで株取引しています。」
「ですよね。まぁ、そうした変化に伴い証券各社の取引手数料は大幅に下がってきました。我々みたいな使う側の人間からすると、手数料が大幅に下がった上に、取引もアプリでサクサクできちゃうというのは実に魅力的なのですが、こうなってくると営業社員の必要性が無くなっちゃうんですよね。なので、ひと昔前から証券会社では債権や先物、デリバティブなど、ネットやアプリでは取引出来ないような商品を作って、これらに高い手数料を設定するようになりました。例えばリーマンショックの時にCDSが話題になったかと思いますが、あれはまさにこの流れが生み出した商品といえます。」
「なるほど。となると、社畜環境としては、かなり好条件が揃っているということでしょうか?」
「ええ。昔の比じゃないレベルですね。まぁ、今でも大口顧客を探して投資してもらうという手法に変わりはないのですが、証券会社さんの営業にわざわざお金払って頼む必要はありませんからね。ですから、顧客を探すのは並大抵のコトじゃないんですよ。特に地方の中堅どころの証券会社はかなり厳しい。まぁ社畜力が試される環境にあるといえるでしょう。吉岡の場合は、まさにその地方の証券会社ですからね。給料も薄給でしょうし、それでいてノルマは厳しいという最高の環境でトレーニングを積んでいる。まさにエリート街道まっしぐらといったところでしょうか。」
「なるほど。注目が集まるのにも頷けますね。さぁ、いよいよ吉岡の調書確認が始まります。まずはいきなり出社後から始まりましたね。こ〜れ〜は、課内ミーティングでしょうか。」
「そうですね。まぁ、昔は証券会社も朝礼を行うのが主流でしたが、最近は効率化という名の下に割愛しているケースが多いみたいですね。」
「あー、効率化ですね。社畜にとってはあまりイイ言葉のように聞こえないのですが、ただ、これにも裏があるんですよね?」
「ええ。もちろんあります。効率化や実力主義という言葉は、聞こえはいいんですが『使えないヤツをとっとと辞めさせるための口実にできないだろうか?』というのが本音なんですね。だから経営者はよく言いますよね。アメリカはいいなー、アメリカはいいなーって。日本では正社員にしたが最後、相当な理由がない限り、首切れませんからね。社畜にしながらも、簡単に首を切れるようにする。まさにこれが経営者の理想なんですね。そして、そこで登場するのが効率化なんです。まぁ、効率化そのものは社員の手間が減るように実行するワケなんですが、ポイントは効率化後なんですね。どういうことか?というと、効率化して余裕が出来たんだから、もっとノルマこなせるよね?という風にするんですね。つまり、効率化したら社員に余裕が出来て楽になりますって思われがちなのですが、経営者から見れば単に『詰め込む量に余裕が出来た』という話でしかないんですね。要は、こっちは詰め込めるだけ詰め込む気満々だから、効率化したとて決して楽になんかはならないよ。ってことなんですね。まぁ、そのおかげで、こうして優秀な社畜が次から次へと誕生するようになったワケですから、我々としてはある意味、効率化という言葉には感謝しなければいけないとは思います。」
「なるほど、分かりやすい解説ありがとうございます。さて、調書の方にも動きがあったみたいです。おっと、これは電話攻勢ですね。証券系の伝統的な手法ですねぇ〜。」
「いやぁ、いつ見ても美しいですね。やはり、これなくして証券は始まらないですよねぇ〜。」
「そうですね。おや?吉岡がスマホを取り出しましたね。これは何をするんでしょうか?」
「あー、早速出ましたか。あれはSNSですね。彼の得意技ですね。」
「証券とSNSって、結びつきにくい気がしますが・・・。」
「実はそこが彼の注目ポイントなんですね。彼はお客様とプライベート携帯でSNSコミュニケーションを取っているんです。」
「それって非常に危険だと思うのですが・・・。」
「そう。とても難しいんですよ。人間、プライベートとビジネスでは人格が違うのが普通ですからね。そこをプライベートまで食い込ませてしまうのが彼の素晴らしさなんです。しかも、彼の場合はTwitterのようなソーシャルコミュニケーションとLINEのようなプライベートコミュニケーションの両刀使いですからね。驚きですよ。」
「でも、それってインサイダー取引になる可能性があるのでは?」
「そうなんです。そこがポイントなんです。その可能性があるから、証券マンはSNSに手を出すのを躊躇しがちになるんですね。ですが、彼の手元をよーく見てください。彼がSNSでコミュニケーションしているのは投資情報ではありません。グルメ情報です。」
「どういうコトでしょうか?」
「要は接待で使うためのお店や、お取り寄せ食材の情報ですよ。大口投資家はいいモノを沢山食べていると思いますよね?ところが、案外そうでもないんですね。まぁ、彼らはお金がありますので、高いモノは日常的に食べますが、でも、必ずしも高いモノが美味しいモノとは限りませんよね?つまり、彼らは食については金にものをいわせて探究を怠る傾向があるんです。要は『高いからこれは美味しいんだ』と自分自身を洗脳している。そんな感じですかね。ですから、彼らは実際のところ、美味しいお店や食材の情報を持っていないことが多いんです。そこでSNSを駆使してその情報を集めておくことで、営業の際にも『実はグルメが趣味で〜』という切り口から会食に持っていきやすくもなりますし、案外、グルメ系のインフルエンサーは大口投資家のような人間にマークされやすいんですよね。なにせ、自分が接待するのに情報を手っ取り早く手に入れられますからね。」
「なるほど。かなりの変化球といいますか、労が実りにくい感じはしますが、戦略として考えた場合、綺麗で上手な感じがしますね。」
「そうでしょう。ただ、これが社畜とどう関係あるか?について疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。」
「たしかにそうですね。趣味と実益を兼ねているようにも見えます。」
「ポイントは吉岡がグルメに一切興味がないということですね。彼が好きなのは、いわゆるジャンクフードですから。」
「そうなんですね。そうなると苦痛でしかなさそうですね。」
「ええ。社畜力があってこそなせる技です。しかも、他の社員からしたら、サボっているかのように見えますからね。この技術点は高いですよ。」
「でも、接待店リストを作るなんていうのは、比較的多くの社畜がやっているかと思うのですが・・・。」
「あー、いいご指摘ですね。まさにその通りです。でも、多くの場合はお客様や会社の近所です。ですが、よく彼のリサーチしている内容を観察してみてください。彼の場合は対象地域が全国です。つまり、お客様が望むのであれば全国どこでもお供します。というスタンスなんですね。しかも、その情報収集をSNSでやるということは、結果として365日24時間、仕事をするということになります。しかも、あくまでプライベートという体なので、当然にして勤務時間外ですし、給与対象外なワケです。ということで、一見普通そう、むしろサボってそうに見えますが、実はとてもテクニカルなんですね。」
「言われてみればたしかにそうてすね。近頃、このあたりの技術が特に高まってきているように思うのですが、いかがでしょう?」
「そうなんです。バスマーケティングみたいな言葉が登場してきた頃から、このテの技術は高度化していますね。ですから、審査する方も判定が難しくなってきてはいます。まぁ、吉岡の場合は、その世界とは一線を画していた証券業界にそれを持ち込んだという点で注目が高まっているといったところでしょうか。証券業界はそもそも要求される社畜水準が高いですからね。そこにこの技術を導入するのは並大抵ではないですよ。」
「なるほど。あーっと、吉岡、20時で退社しました。これはどうしたぁ〜?」
「いや、あれは退社を装っただけですね。恐らく近くのビジネスホテルにチェックインするのではないでしょうか?」
「どういうことでしょうか?」
「証券業界は元々、社畜水準が高いですから、労基が敏感なんですね。ですから、ああやって一度退社して戦場をビジネスホテルに移すんですね。移すと言ってますが、あくまでも自主的に実施していることなので、会社は一切関係ないという話です。徹夜しようが何しようが自由になるというカラクリです。」
「費用はどうなるんですか?」
「無論、自腹です。彼の場合、最近、家庭内別居状態になったそうですから、彼にとっても逆に好都合なのでしょう。」
「なるほど。追い風ということですね。」
「そうですね。彼の場合、全国接待も入りますし、LINEのおかげで24時間いつでもフル対応状態ですからね。もう、状況としては住所不定に近いですね。あの若さでここまでできる社畜は珍しいですよね。」
「たしかに。23歳にしてこの状態というのは素晴らしいですね。」
「そうなんです。30代中盤ではよく聞く話だったりしますが、20代前半にしてこの状態まで登り詰められているのは素晴らしいですね。まさに天才と言っても過言ではないんじゃないでしょうかね。」
「なるほど。さぁ、調書も終盤戦に差し掛かってまいりました。おーっと、これは証券業界のお家芸、果し状です!」
「あー、いよいよ出ましたね。まぁ、業界的には巻紙と呼んでいるんですが、いつ見てもやっぱり果たし状にしか見えないですよね。」
「谷川さん、これってやはり効果あるものなんですか?」
「まぁ、今となっては一発ギャグみたいなものなので、ウケる人にはウケますが、思いっきり引いてしまうパターンも増えてきてはいますね。ですから、社畜としては人を厳選する能力が試される場でもあります。」
「なるほど。にしても吉岡は達筆ですねぇ。」
「まぁ、彼はこのために小学校から習字を習い続けていたそうですから。」
「小学校からですか。それは単なる習い事としてやっていたのではなくってことですか?」
「そうみたいですね。早くから『手紙を書くやり方を習得したい』と言って、訓練していたそうですからねぇ。確実に狙っていましたよね。」
「そうですか。それは芸術点が期待出来そうですね。」
「そうですね。かなり高いモノが期待できるかと思います。」
終盤、証券業界の伝統芸を披露した吉岡は、古きと新しきを高次元で融合した社畜として、その日の最高得点を叩き出した。その後、テレワークの西田、内閣官房の佐野、吉田が僅差まで迫るも、吉岡を追い抜くことはなかった。
こうして、第40回の日本社畜GPファイナルは吉岡の優勝で幕を閉じた。その後、賞金100億円を手に入れた吉岡はあっさり証券会社を辞め、田舎に移住し、農業をやりながら『社畜ではない新たな生き方の提案と後進の育成』に邁進するようになるのだが、それはまだ少し遠い将来の話。
さて、時と場所は変わって翌日のとあるコンビニ。
今度は中学生と思しき二人組がペットボトルのジュースを飲みながら、昨日の日本社畜GPファイナルについて会話を繰り広げていた。
「おまえ、昨日社畜GPファイナル見た?」
「あー、あれね。見たよ。何で?」
「吉岡凄かったよなぁ。オレもあんな社畜になりたいなぁ。」
「そうかなぁ。ボクはあんまりなりたいとは思わないなぁ。」
「なんでだよ!」
「だって、あんまり楽しそうじゃないから・・・。」
「・・・まぁな。でも、優勝したら100億円手に入るんだぜ!」
「うーん。まぁ、そうなんだけど。」
「じゃあ、おまえは何に憧れるんだよ!」
「そうだなぁ・・・。サッカー選手かな。」
「まじで?サッカー選手なんか食えるかどうか分かんないじゃん。そりゃあ、すっげー金稼ぐ選手はいるけどさ。社畜は一応、普通には食えるワケだろ?それでいて100億手に入るかもしれないんだぜ。そっちの方が絶対にいいじゃん!」
「んー、まぁそうかもしれないけど・・・。でもさ、健二は社畜好きなの?」
「あんなの好きなワケないじゃん!社畜を一生懸命やって、いつか100億手に入れて、一気に社畜辞めるぞ!っていう以外の何物でもねーよ。」
「だよね。そうしたら、100億手に入んなかったらどうするの?」
「そりゃあ、社畜をやり続けるだけだろ。」
「楽しくないのに?」
「どうせ社会人になったら多かれ少なかれ社畜になるんだよ。だったら今から鍛えておいた方が100億手に入る確率が高くなるワケだし、それのどこが悪いんだよ!」
「んー、悪くはないんだけど、好きじゃないことだけを一生やり続けちゃう人生って、なんか魅力的じゃないような気がするんだ。」
「じゃあ、おまえはサッカーに明け暮れて、最後は食えなくなって路頭に迷う人生になっても、楽しければオッケーって言うワケ?っていうか、サッカーもプロを目指したら辛いことだらけで、全然楽しくないと思うよ。そしたら社畜だって同じじゃん!」
「んー、そうかもしれないね。でも、どこかで好きだなって思えるコトだったら、辛くても我慢できそうな気がするし、最後はどんな状態になっても『仕方ないな』って思えるような気がするんだ。健二は社畜をずーっと一生懸命やり続けて、結局100億円手に入らなくて、そんなに幸せじゃない人生になっちゃった時、『仕方ないな』って思えると思う?」
「うーん・・・そんなの、なってみねぇと分かんねーよ!」
「そうだけど、なんとなく分かりそうな気がしない?っていうか、少しでも思えそうだったら『思えるに決まってんだろ!』って言うよね。健二なら。」
「うるせーな。イチイチ裏側まで読んでんじゃねーよ!みんな普通に社畜を目指してんだから、オレも目指したって問題ねーだろ!」
「うん。問題はないよ。ただ、ボクはなんか『目指すもの』なのかなぁ・・・っていう疑問があるだけで・・・。」
「あー、もぅ。面倒くせぇなおまえ。もういい。先行くわ。」
「えーっ、待ってよー。ごめんって。」
「うるせぇ。」
------------
さて、いつの世も、それが「さも当たり前」かのように存在する今の有り様に素朴な疑問を持つ者が現れ、そんな彼らが世の中を少しずつ変えていくものである。この平行世界において、社畜文化を彼が変えるのは、これまた少し先のお話。
今宵の話はここで一旦お開き。お開き。
おわり
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