第2話
「彼女、筋金入りだな」
「ああ、身柄を拘束されているのにあの傲岸不遜で油断ならない態度。いかにも総督が好みそうな女だ」
「個人端末もIDカードも持ってないとはな。調書はどうか。何か読み解けそうか」
「万が一を考えて身元が割れそうなものは持って来なかったんでしょ。ああいう手合いは真実に嘘を織り交ぜて巧みに認識を誘導する。質問を少しずつ変えて客観的な共通点を事実として積み重ねていくほかない」
彼らは彼女の尋問以降、彼女の扱いについて手を焼いていた。
彼女の来訪はまったくのイレギュラーだった。マンホール近くに落ちていた紙の切れ端が意味することは、誰かが抜かったか、〈
考えられるのは〈黒鼠〉の抜かりだった。戦後間もなく復興の道を歩み始めたこの国だが、生き残りの傷痍兵や空爆の被害者、戦争孤児など、体制に恨みを持ちながら棄民され続けている
彼女の私物に身分を証明するものはなく、所持品はアンティークの一眼レフとフィルムが数本だった。フィルムのうち何本かは何かが写っており現像に回す。
「トレヴァー。どうする」
「ゲラルトのやり方が甘すぎる。俺にやらせろ。全部吐かせる」
「苦痛を与えたら拷問になる。マクシム、あなたの意見は」
「椅子への拘束は余計な反感を買う。独房に入れ、ある程度自由の利く恰好で尋問した方が我々の知りたい情報は得やすいだろう」
「わたしもそれに賛成。2人は」
ゲラルトは賛成した。トレヴァーは黙る。反対の立場をとった彼だけが鼻を鳴らして言った。
「お前らのやり方が上手くいくといいな。俺はあっちで精肉に勤しんでるよ」
トレヴァーが机に置かれていた革のエプロンに身を包み
「調子が良さそうだな。どれ、彼女の所へ行ってくるか」
「どうするの」
「まずは飯を食わせよう。頭の傷を消毒して包帯も替えてやらんと。ジーンも来るかい」
「ええ。マクシムは」
「僕はトレヴァーの子守りをしているよ」
彼らはそれぞれやるべきことを見つけ、ゲラルトとジーンは食事を用意したのち、彼女のいる監禁房へと向かった。
▒▒▒▒▒▒▒▒▒▒
「体調はどうかな。地下室のお姫様」
ゲラルトが椅子に縛り付けの彼女に呼びかけ目隠しを取った。項垂れていた頭をゆっくりと上げた彼女は憔悴しきった顔で「あなたたちの言いなりにはならない」と力なく呟いた。
ジーンがゲラルトを一瞥し、“だから無駄だって”の目を向けた。ゲラルトは食い下がる。
「しかしここに来てもう三日だ。飲まず食わずはいかん。それに、あなたは生きてここから脱出し我々のことを報告するという責務があるんだろう。だったらなおさら食わないと始まらない」
「もう誰かが気づいてる……」
彼女が譫言のように呟いた言葉で、ジーンが冷静に続けた。
「ここ最近の新聞や雑誌を確認してるけど、あなたのことはベタ記事にすらなってない。勤め先では騒ぎになってるかもしれないけど緘口令が敷かれてるかもね。それにこの場所はわたしたち以外は誰も知らないの。だから助けは来ない」
彼女がジーンを睨みつけた。何か言い返そうとしたのか口をわずかに動かしたが、やがてまた項垂れて沈黙した。あれだけの啖呵を切っておいて座して死を待つつもりでもないだろうに、とゲラルトは思ったが、しかしこのまま彼女が食事に口を付けず死なれて困るのは彼ら全員の総意だった。
ジーンが大きく溜め息をついて、項垂れる彼女の髪を掴んだ。たった三日間とはいえすっかり傷み痩せてしまった髪はジーンの指に容易に絡みつく。無理やり顔を上げさせ、空いた右手でさらに彼女の顎を掴んで口を開けさせたところへ、ゲラルトがじゃがいものスープを流し込んだ。吐き出そうともがく彼女の力は健全な者のそれには敵わない。噎せながらも最後には自らスープを飲み込んだ。
涙目になりながら息を整えた彼女が言った。
「バカじゃないの、あなたたち」
「わたしたちはあんたに死なれちゃ困る。あんただってそれは同じ。利害が一致してるのに食事を拒む理由がどこにあるの」
「私がここを脱出したら全員捕まる。生かしておく必要なんかない」
「本当にそう思ってるならバカなのはそっちね」
ジーンはもう一度彼女の口を開けさせた。ゲラルトはスープに浸したパンを口に放り入れる。咀嚼しようとしない彼女の顎を動かしジーンは無理やりパンを食べさせた。
それを何度か繰り返し、ついに諦めた彼女は親から餌を与えられる小鳥のように運ばれる食事を次々と飲み込んでいった。黙々かつ淡々と、彼女に親鳥よろしく食事を与えるという異様な光景が数十分あまり続いた。彼女の表情は最後まで泥団子を噛みしだくようなそれだった。
食器を片付けに行ったジーンを尻目に、今度はゲラルトが前に一歩躍り出た。彼女は身構え、彼を睨みつける。
ゲラルトは彼女の後ろに回ると再び布で固く目隠しをした。それから椅子の足に縛り付けていた脚をひとつずつ外す。それだけでは彼女の頭の中は混乱しなかった。場所を移すのだろう──その考えの通り、ゲラルトは後ろ手のまま彼女を立たせるとゆっくりと歩くよう命じた。排泄以外長い時間拘束されていた足はいくぶんふらついていたものの、自力で歩けない訳ではなかった。ゲラルトは彼女が躓かないよう注意を払いつつ、ひとつ部屋の扉をくぐり内鍵をかけた。そしてそこで、目隠しを取った。
殺風景な部屋、とは言いきれない。そこには粗末なベッドと小さな机、洗面台があり、簡素だが間仕切り付きのトイレもあった。部屋の奥に杭に繋げられた鎖のまとまりがある以外は緊張感を煽るものもなく、監禁房とは違い、ある程度自らの意思で行動できる独居房だった。
「どうして」
「あなたの扱いをどうするか決めかねているんだ。我々も一枚岩ではなくてね。あなたを傷つけてでも情報を得たいのがいれば、せめて人並みに扱わなければという者もいる。今回は後者が勝ちという訳だ」
「なぜ私を生かそうとするの」
「少々複雑だな。それは頭の傷を消毒しながらでも教えよう」
彼女は咄嗟に手で押さえようとしたのか、後ろ手がぴくりと動いた。しかし、それは自分で行うことが許されないと思ったのか、観念してベッドに腰かけた。
「あなたは我々がどういう存在か知っていたのかい」
ゲラルトはそれとなく聞いた。腹が満たされると人間はかくも従順になれるのだろうか。否、それは彼女の情報開示を導くための話のきっかけに過ぎなかった。いまこの時もゲラルトは逆襲を許す隙なく彼女の頭の包帯を解いていた。
「〈
「ちょっと膿んでるな。拭い取るから痛いぞ」
脱脂綿にアルコール消毒液を浸したゲラルトは、それを傷口に当てて皮膚を擦った。左の後頭部に鋭く沁みる痛みが襲いかかってきた彼女の体が、少し強ばる。数回繰り返したのち、新しいガーゼを当てて真っ白の包帯を巻き直したゲラルトが言った。
「肉の塊に異物を混入させて市場に流してるって噂だろう。あれは半分正解、半分間違いなんだ」
「というと」
「肉は確かに流通している。ただし我々独自のネットワークを使ってな。ただ単に市場に流せばすぐ足が付いてしまう」
ゲラルトは続けた。
「我々は製本をしている。それもこの国では決して流通しない発禁書をね」
発禁書──その言葉を聞いた彼女は粟立った。その言葉は明確かつ絶対的な反体制の意味を持つ。この国では義務教育課程で口酸っぱく教えられることのひとつだった。
この国は先の戦争における英雄ヴァルトフ・セバスティアン・ヤナーエクによって建国された厳然たる彼の国だ。彼の意思は国家の意思であるため、その意思を煽動し変える行為は道徳的に決して許されるものではない。そして、先の戦争に勝利した総督の意思は建国の礎そのものであり、この地にこの国が存続する限り未来永劫絶対に守り伝えねばならないものであるから、国内に流通するものは全て内務啓発省の許可を得たもののみとする、というものだ。特に総督の意に反する思想・信条を伝えるものに関しては、国内での制作のみならず国外からの輸入も厳しく制限されている。
〈
「そう身構えなくても、我々はこれまで過剰に詮索する者以外に手荒な真似はしてこなかったよ」
「……後ろから頭を殴られた」
「トレヴァーという者がなかなか血気盛んな奴で、体制に対して苛烈な恨みを持っているんだ。まあ、それは我々全てにいえることだがね。同じ穴の狢にはなるなよと常に忠告してはいるが。許してやってほしい」
恐らく、そのトレヴァーなる人こそ彼らが一枚岩ではないことの一端なのだろう、彼女は直感でそう思った。
「ところで、そろそろ教えてもらいたいのだが」
「何を」
「あなたの名を」
彼女は考えた。大人しく本名を名乗れば、彼らがこの素性に探りを入れる行動を促すことができる。そうすれば必ず、〈
もちろん、トレヴァーという人物がいつ豹変してしまうかも彼女の勘定に含まれていた。場合によっては逆上を誘うこともできる、と。
大人しく救助されるのを待つか、記者として情報収集に注力するか、彼女は選んだ。
「私はサマンサ。サマンサ・エラストヴナ・カー。サムでいい」
告発者が消えた夜 -Мир- 籠り虚院蝉 @Cicada_Keats
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