貴族が夜宴を好むのは、醜い策略を描く自分を夜闇の中に隠したいからなのかもしれない。


 ふと紅珠こうじゅは、そんなことを思った。


 宴が開かれた夜は、はかったのかたまたまだったのか、深い闇が支配する新月の日だった。ひと月で一番深い闇を蹴散らすかのように万灯が灯された中、後宮の毒花達は場に酔った体を演じながら策略渦巻く宴に興じる。


 そんな光景を、紅珠は紅の薄絹の内から見つめていた。


 暗がりにひっそりとたたずむ紅珠に目を止める人間など誰もいない。新参者の第三皇子后はもっと注目を集めるかとも思っていたのだが、主賓達の他にも下働きの人間が多く出入りしているせいか、紅珠の存在はうまく人波の中に溶け込んでいるようだった。


 ──もしかしてりょうのヤツ、私に認識阻害の術でもかけてるのかしら?


 今宵の紅珠には、陰の気に巻かれないように涼の手によって浄祓術がかけられている。そのついでに紅珠が周囲から認識されにくくなるような術もかけたのかもしれない。『余計なことに力を使ってんじゃないわよ』と思う反面、周囲にわずらわされなくて済む分目の前の仕事に集中できるから、これはこれで助かるというのが正直な所だった。


 ──紅晶これの説明を求められたら、ちょっと面倒だもんね。


 チラリと紅珠は己の左腰に視線を落とす。


 今宵の紅珠の腰には、紅の装飾も美しい一振りの剣が納まっていた。嫁入道具として持参した、紅珠のもう一振ひとりの相棒である。


 ──さて。こっちの仕込みは済んだわけだけども。


 やはり涼があつらえてくれた装束は紅晶こうしょうが腰にある前提で考えられていたらしい。先日初めて袖を通した時よりもしっくりとくる装備に感嘆しながら、紅珠はそっと会場に視線を滑らせた。


 今宵のこの殿舎の中は、一昨日外から眺めた時以上に陰の気が充満している。涼が紅珠に浄祓術をかけてくれていなかったら、紅珠は今頃陰の気に巻かれて体調を崩していたことだろう。紅珠の目には凝った陰の気が雲のように部屋の中に充満している様がクッキリと映っていた。


 ──普段から陰の気が濃い中で生活しているせいなのか、案外みんな平気そうなのよね。


 あるいは自らが内より生み出す陰の気の方が濃いせいで、この程度の邪気は『濃い』の内に入らないのだろうか。主賓達は誰もが一様にこの場を楽しんでいるように見える。


 とは言っても、場に出入りしている女官や端女はしため達の中には気分が悪そうにしている者もチラホラと見えた。やはり後宮で暮らしている人間にとっても、この場の陰気は尋常ではないのだろう。


 ──まぁ、そうよね。わけだし。


 これから起こるだろうことを考えながら視線を巡らせていると、キンッと微かな耳鳴りが聞こえた。同時に場が閉じられたことを察知した紅珠は、パチリ、パチリとまばたきをしながら会場の中を見回す。


 その視界の端で、垂らされた紅絹が不自然にユラリと揺れた。広間を挟んで紅珠と対面する位置にある薄絹の先に目を凝らせば、紅珠の裙と揃いの深い藍色の衣に身を包んだ影がいつの間にか佇んでいる。


 遠目であっても、紅珠がその影を見間違えるはずがない。


 ──そっちの仕込みも無事完了、と。


 紅珠は自分の姿を隠す薄絹を揺らして涼へ合図を送った。『気付いてるわよ』という合図を受け取った涼は『りょーかい』と言わんばかりにもう一度薄絹を揺らす。


 ──さて。


 あとは待つばかりとなった紅珠は、広間の真ん中に視線を向けた。


 そこでは一段高くなった壇上で、声も高らかに献上品の見せびらかし……もとい開陳が行われている。あの起き上がりこぼしのような独特な体型から見るに、口上の述べ主は第五公妃お気に入りの宦官かんがん陳珪ちんけいなのだろう。


「さてさて、こちらはずい吏部尚書より献上されて参りました、はるか西の国より取り寄せられた珍らやかな織物でございます!」


 一々品の詳細をけたたましく紹介しながら開陳されていく献上品に、第五公妃の取り巻きと思わしき人間達が逐一わざとらしくどよめいていた。これが今宵の主目的であり一番の余興なのだろうが、他の后妃達はとうの昔に飽きたようで、そちらには興味を示さず思い思いにくつろいだ様子を見せている。今宵の状況を考えると、あくまで『見た目上は』とつけた方が正しいのかもしれないが。


 ──それにしても、品がない催し物よね。


 口上に呆れながらも、紅珠は注意深く壇上の端に積まれた献上品の山を注視する。


 別に献上品そのものに興味があるわけではない。


 動きがあるとしたらそこだという予感があったからだ。


「さぁて、お次はこちらのお品! まぁなんと美しい翡翠の首飾りであることか!」


 紅珠が開陳を見つめている間も、場を満たす陰の気はジリジリと濃度を上げていく。さすがにここまでになると陰の気に慣れた妃達も耐えきれないのか、何人かの妃達がコホコホと咳き込む声が聞こえたような気がした。


 ──そろそろかしら?


 陳珪の傍らにうず高く積まれた箱がカタカタと震え始めたのを見た紅珠は、そっと腰の紅晶に手を添える。


 陰の気は、妖怪を生み出す源だ。限界点を超えた陰の気は、核となるを得ると、弾けて人を害する獣と化す。


 この場を満たす陰の気は、とうの昔に臨界点を越えている。あとは『核』が揃うのを待つばかりだ。


「こちらのお品、献上主の書付によりますと……」

「待ちや!」


 紅珠が密やかに構えた瞬間、開陳が始まってから絶えることなく朗々と響いていた口上が金切り声によって遮られた。突然のことに壇の周辺に群がっていた取り巻き達がザワリとどよめき、声の出どころを探してキョロキョロと首を巡らせる。


「それは妾の手元からなくなった、我が家伝来の首飾りではないかえっ!?」


 その視線が、一点に集中した。皆の視線が集まる先には、寝椅子からスクッと立ち上がった一人の女性がいる。


 煌びやかな装いを見るに、彼女も妃の一人なのだろう。真っ直ぐに陳珪の手元に視線を据えた女性は憤怒の表情を浮かべていた。


「貴様……春瑶しゅんよう!! 大方貴様の手の者が妾の元から盗み取ったのであろうっ!! 妾のことが気に入らぬからと言ってこのような狼藉、許されることではないぞっ!!」

「あら、明華めいか様、そのような言いがかりをこんな場所で仰るの?」


 対する第五公妃・春瑶はおっとりと首を傾げた。明華と呼ばれた女性から激しい怒りを叩きつけられたことによりさしもの陳珪さえ凍りついたように固まっているというのに、あどけない少女のような雰囲気を残した春陽は口元をたもとで隠しながら悲しそうな表情を見せる。


「これはわたくしの元に献上されてきた物であって、わたくし自らが欲した物ではありませんわ。そもそも、こんな暗い中、この距離では」

「ええい、一々白々しいわっ!!」


 紅珠としては春瑶の言い分の方が正しいような気もするのだが、明華は己の言い分に絶対の自信があるらしい。


 あるいは普段は心の奥底に押し込められている『気に入らない』という感情が、場に充満する陰の気によって暴走しているのか。


「妾が確認すれば一目で分かる! 寄越しやっ!」

「あらぁ? そんなことを仰って、横取りするつもりなのは明華様の方なのではなくって?」

「貴様……! 妾を愚弄するかっ!!」


 その叫びに、ズズッと、空間に満ちた陰の気が共鳴するようにうごめく。


 静かにその変化に目を凝らしながら、紅珠はスラリと紅晶の鞘を払った。その動きに柄の房飾りに通された水晶の飾りが微かにチリリと清涼な音を響かせる。そんな紅珠の動きに呼応するかのように、広間の反対側に控えた涼がスッと印を結んだ。


「まさか、愚弄だなんて」

「春瑶……っ!! しゅゅゅんよぉぉおおおっ!!」


 ──弾ける。


 陰の気が弾けるのは一瞬だった。スッと波が引くように明華の元に集結した陰の気は、次の瞬間ゾンッと低い音を響かせながら春瑶へ飛びかかる。


 ──蛇。まぁ、王道と言えば王道ね。


 ついに徒人ただびとの目にも映る形を取った陰の気は、巨大な蛇の形を取っていた。明華の怒りを核とした妖怪は、祝宴の場に置かれた何もかもを……物も者も構わず跳ね飛ばしながら春瑶に向かってあぎとを剥く。


「ヒィッ!!」


 響いた微かな悲鳴は、春瑶のものだったのか。あるいはその傍らにいた陳珪のものだったのか。それを確かめるよりも早く、微かな悲鳴は会場に響き渡った絹を裂くような悲鳴に飲み込まれる。


 ──初手はとりあえず弾くようになってるから大丈夫、なんだっけ?


 事前に涼から受けていた説明を思い返しながら、紅珠は身じろぎひとつせず状況を見守る。その視線の先で春瑶に躍りかかった漆黒の大蛇が不可視の壁に弾かれ、献上品の山を薙ぎ払いながら広間をのたうち回った。


「ヒィィッ!! ヒッ、ヒィィッ!!」

「呪術師はっ!? 呪術師は何をしておるっ!?」

「後宮の中はあの第三皇子が守護しているのではないのかっ!? あの役立たずは何をしているっ!?」

「たっ、たすけっ……助けてくれぇっ!!」


 ──何って、あんたらがバカみたいに生み出した陰の気の浄化作業だけども?


 この場は陰の気を追い込むために展開された結界によって封鎖されている。逃げ出そうとしても鼠一匹どころか蟻一匹さえ逃げ出せないことだろう。何せ涼は結界術において『稀代の天才』と謳われた名手なのだから。


 ──その涼をして浄化しきれない陰を吐き出しまくったのはあんた達でしょうよ。浄化作業くらい、ちょっとは手伝いなさいよね。


 薄く広くたなびく陰の気を完璧に浄化するのは、実は案外難しい。狭い範囲に限界まで凝った陰の気を一撃で叩く方が、簡単で確実だったりする。


 そして誰かを害するために仕込まれる呪物という物は、それ自体が陰をはらみ、自ら陰の気を生んで周囲に吐き出しもするが、実は自身が耐えきれる以上の陰の気を受けると暴走して自壊するという性質も持ち合わせている。密かに仕込まれていた呪物も過度な陰の気に触れれば勝手に正体を現し、最終的には仕込んだ術者の制御から外れて崩壊してしまうのだ。


 だから紅珠と涼はその性質を逆手に取ることにした。


 今宵、最も陰の気が凝るこの宴の場に後宮中の陰の気を集結させ、固めて浄化するついでに仕込まれた呪具達も暴発させて全てをスッキリ片付けてしまおうと。


 ──あと、もうちょい。


 今宵、結界による防御と陰の気の凝縮を全て涼が担っている分、前線での攻撃は紅珠に一任されている。


 どの時点で突撃するかも、どのように片を付けるかも、涼は『お前の好きなようにしろ。何してきても責任は俺が取ってやんよ』と楽しそうに笑っていた。恐らく涼はその時点で、今宵この場で紅珠がどう振る舞うか予測がついていたのだろう。


 妖怪が暴れ始めても動き出そうとしない紅珠に、涼が結印したまま面白がるように片眉をね上げたのが気配で分かった。


 ジリジリと結界の展開範囲が狭められているせいで、広間を満たす陰の気はさらにトロリと濃くなっている。その陰を吸い上げた大蛇はさらに輪郭を際立たせながら第五公妃一行に向かって牙を剥いていた。


 毒牙から滴る毒液は第五公妃達の周囲に予め仕込んであった防護結界によって弾かれているが、シュウシュウと沸き立つ煙は徐々にその壁が薄くなってきていることを視覚的に第五公妃達へ見せつけていることだろう。バシッ、バシッと叩きつけられる尾は、各要人ごとに展開された涼の結界に弾かれてさらに広間を暴れ回っている。


「ヒッ、ヒゥッ、た、助け……っ!!」

「こ、こここ殺されるっ!!」

「誰か! これ、お前達! 妾を助けぬかっ!!」

「わ、妾を助けた人間には礼を弾むぞっ!! それ、妾のために死んで来ぬかっ!!」


 地獄の底にあるかのような絶叫の渦の中で、紅珠は抜き身の剣を携えたままゆったりとまぶたを閉じる。視覚が閉ざされた分研ぎ澄まされた聴覚で、紅珠は広間の音を聞いた。


 耳にしたいのは、醜い保身の言葉でもなければ、身勝手な絶叫でもない。


 それよりもずっと儚くて、澄んでいて、美しい音。


 薄氷を割るような、突撃の瞬間を知らせる音色。


 結界が耐えきれずに崩壊するその音に、紅珠はグッと身を縮めると弾かれるように前へ飛び出した。物が散乱した床も、逃げ惑う人々にも構わず一直線に走り出した紅珠は、ダンッと床を踏み切ると今まさに春瑶に展開された結界を割り砕いた大蛇へ躍りかかる。


 次に重い着地音が広間に響いた瞬間、振り抜かれた紅晶は大蛇の首をね飛ばしていた。その衝撃に、頭を失った大蛇の体が宙を舞う。


「ねぇ、あのさ、何か勘違いしてない?」


 紅珠が着地したのは、献上品を開陳するために置かれた台の上だった。まるで軽業師のように抜き身の剣を片手に深く膝を負って着地した紅珠の周囲を、茜色の襦と深い藍色の裙が舞う。その様はきっと周囲には突如空から天女が舞い降りてきたかのように見えたことだろう。


 だが生憎あいにく紅珠は、天女などという優美な存在ではない。


「私達って、別にあんた達を助けなきゃならない義理もなければ、助けろって命じられなきゃなんない立場にいるわけでもないのよ?」


 紅珠はゆっくりとその場に立ち上がると、ヘナヘナと腰を抜かした春瑶を上から見下ろした。耳元で揺れる紅玉の耳飾りと手の中にある剣が、大蛇に薙ぎ倒されずに残った灯火の光をチラチラと反射させている。


 ──案外、今のこの人にとっては、大蛇よりも私の方が怖い存在なんじゃないかしら?


「な、なん……」

「だって、そうでしょ? 私達、あなたの臣下でもなければ、血縁でもないんだもの」


 そう考えた瞬間、紅珠の口元には柔らかな笑みが浮いていた。慈愛や親愛を感じさせるものではなく、死神が狩るべき獲物に見せる笑みなんだろうなと紅珠は思う。


「私達があんたなんかを守ってやってるのはね、『見殺しにするのは私達の矜持にもとる』っていう、あくまで私達の心境的な問題があるからなのよ。一度に救える人間の数が限られていて、目の前にそれ以上の人間がいたら、どの命を捨ててどの命を拾うか、選択が生まれるのは当然のことよね?」


 その自覚があっても、紅珠は浮かべた笑みを消すこともなければ、春瑶から視線を逸らすこともなかった。さらに紅珠は春瑶を見据えたまま、フワリと音もなく台の上から床へ舞い降りる。


「その選択権って、私達にあるのよ。あんたの頭の中が毒花のお花畑でも、それくらいのことはさすがに分かるわよね?」

「ヒッ……ヒィッ!!」


 わざとゆっくり春瑶の方へ足を進めれば、床に座り込んでいた春瑶は尻をついたまま手足を使って必死に後ろへ下がろうとする。陳珪はすでに気を失っているのか、床に転がったままピクリとも動こうとしない。


「助けてほしいなら、助けてもらえる努力をまずしなさい?」


 春瑶の足先ギリギリで歩を止めた紅珠は、腰を曲げるとそっと春瑶の頬へ指を伸ばした。恐怖に震える春瑶の肌の感触を確かめるように滑った指は最後に顎に添えられ、クイッと強引に春瑶の顔は紅珠の方へあおのかされる。


「私はね。私の大事な人をないがしろにされるのが、何よりも腹立たしいの。三人の御子を愛情を持って立派に育て上げたあなたなら、この気持ち、分かるんじゃない?」


 紅珠と視線が合った瞬間、春瑶は息を詰めたまま目をみはった。色の薄い瞳の中に映り込んだ紅珠が、そんな春瑶の様子にフワリと酷薄に笑みを深める。


「せいぜい、私達に助けてもらえる価値のある人間でいることね」


 そう言い放った瞬間、フッと紅珠の手元が陰った。紅珠に結ばれていた春瑶の視線が紅珠の背後へ向けられ、そのまま恐怖に凍りつく。


 その瞬間、紅珠は後ろを振り向かないまま手元の紅晶を振るっていた。


「いい? 私との約束よ?」


 シャンッと、鈴を打ち鳴らしたかのような清涼な音が響き渡る。その音が鳴り響いた瞬間、頭部を失ってなおヒトを襲おうと鎌首をもたげた大蛇は半分に千切れていた。


 さらに大蛇へ向き直った紅珠は続けて紅晶を振るう。痛覚を持たない陰の気の塊はそれでもなお紅珠に襲い掛かった。その全てを紅珠は紅晶で弾き返し、蛇体を細かく斬り刻む。


 やがて大蛇はヒトの頭部大の大きさに解体され、狭められた結界の中を跳ね回った。もはやヒトを襲うだけの力を失い、純粋な陰気の塊となった妖怪の慣れの果てを前に、紅珠は紅晶を手にしたまま印を結ぶ。


天一てんいつ天剣てんけん 撃来来げきらいらい


 守りを担っているのは涼なのだから、遠慮はいらない。打ち合わせも、意識して呼吸を合わせる必要だってない。


 だって意識するまでもなく、互いの手癖を知り尽くした二人の呼吸は、最初から揃っているのだから。


「雷帝招来 急急如律令っ!!」


 腹の底から声を張った瞬間、紅珠の呼び声に応えた世界は空気を張り詰めさせた。


 その静寂を切り裂くように、屋根を突き破って天の剣が突き刺さる。視界を白く焼く閃光と聴覚と言わず五感全てを消し飛ばす衝撃に、凝り固められた陰の気が木っ端微塵に浄化されていく。


 次に紅珠の視界が色を取り戻した時、殿舎の中には清涼な風が吹き渡っていた。燭台は全て薙ぎ倒され、光源は落ちた屋根からわずかに注ぐ星明りだけだというのに、紅珠が暴れ回る前よりも視界はよほど明るくなっている。


「あっはは! さすがにやり過ぎちゃったかしら?」


 肩に紅晶を担ぎ上げた紅珠は、己が作り出した惨劇にケラケラと笑ってやった。もちろん、この場にいるほとんどの人間が気を失ってしまったと分かっているからやっていることである。


「おーおーおー、お前は俺の想像を超えたことをやってくれるなぁ、相変わらず」


 ひとしきり気がすむまで笑い飛ばしてから紅晶を鞘に納めると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。言葉だけで捉えれば批難されているのかとも思える発言だが、その声音が芯まで笑っていては共犯もいいところだろう。


「とか言っちゃって。私ならこれくらいやるって予測できてたからこそ、ああいう形で結界を展開してたくせに」


 振り返って笑みかければ、案の定歩み寄ってきた涼はニヤニヤと笑っていた。酷く痛快なものを見ているかのような、楽しくて楽しくて仕方がないといった表情だ。


「あんたが責任取ってくれるんでしょ? お望み通り、きっちり陰の気も仕込まれた呪具も片付けてやったわよ?」


 だから紅珠も『どうだ!』と笑ってやった。きっと今の自分は祓師塾ふつしじゅくで涼とともに暴れ回っていた時と同じ顔で笑っていることだろう。


 その証拠に、涼は日向を見つめるかのように、まぶしそうに目を細めた。


「……おーよ」


 あの頃と同じ言葉で答えた涼は、一度瞬きをするとニヤリと不敵に笑った。


「お前が叩いて俺が守る。それが俺達の形だからな。任せんさい、後片付けは俺の分担だよ」


 その変わらない反応が嬉しくて、紅珠はニシシッと悪ガキのように笑った。


『隠密呪術師』と『武侠仙女』の武闘派夫婦が捌いた最初の事件は、こうして幕を閉じたのだった。

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