「ねぇ、りょう。素直に答えなさいよ」

「おん?」

「あんた、いつから私を巻き込む算段を立ててたわけ?」


 半歩前を行く涼の横顔を眺めながら、紅珠こうじゅは低く切り出した。不機嫌や困惑、猜疑心といったものが籠もった声に、涼はニヤニヤと悪戯いたずらを楽しむ猫のような嫌な笑みを浮かべる。


「さぁ? いつからでしょーね?」

「ふざけんじゃないわよ! どう考えてもひと月やそこらで用意できるもんじゃないでしょ、これ!」


『これ』と示されたのは、紅珠が今袖を通している装束のことであり、髪を彩っているかんざしのことであり、さらに言うならば耳元で揺れている飾りのことである。


 紅珠が今纏っているのは、『第三皇子后』という肩書きに相応しい煌びやかな襦裙だった。


 上に着た襦は柔らかな茜色。中に合わせた衣は鮮やかな山吹色で、どちらも織りで花の模様が散りばめられている。上半身の衣の色合いは女性らしく華やかなのだが、フワリと広がる裙は深い藍色で全体を見ると甘くなりすぎない組み合わせがされていた。それでいて襟や帯といった要所要所に施されている金糸の刺繍は、品良く全体を華やかに演出してくれている。


 結い上げた髪には透かし彫りも美しい金の簪。耳元には小ぶりだが色合いが美しい紅玉の耳飾りが揺れていた。


 ──色味やら意匠の趣味やら寸法から察するに、これ、いつか来る后のために用意された物じゃなくて、どう考えても用意された物だと思うんだけども!?


 普段野郎どもに混じって戦いに身を投じている紅珠は、自分には世間一般で言われている『女性らしさ』というものは欠片もないという自覚がある。今まで必要だとも思ってこなかったが、第三皇子の后という肩書きがついてしまった以上、それらしく振る舞わなければならないのだろうなということも多少は気にしていたのだ、これでも。


 だがひとまずこの装束に身を包んでいれば、みてくれだけはどうにか繕うことはできるだろう。下手に甘すぎず、紅珠のキツめの顔立ちや武人然とした雰囲気を引き出す方向で装束を揃えてくれたおかげで、口さえ閉じていればあまり立ち居振る舞いも気にしなくて済みそうだ。


 ──おまけにこれ、全力で暴れられることが大前提の仕様であつらえられてるのよねぇー!


 普通の襦裙は腰に剣を佩く前提で帯の強度を考えたりしないし、派手に足を捌いてもいいように裙の中に共布の下位を用意してくれたりもしない。


 おまけに足元は足場が悪い場所での戦闘を前提に、見栄えと実用性を兼ね備えた特注の革靴が用意されていた。


 簪が透かし彫りだけで華やかさに欠けるのは、下手に揺れる素材や重い素材を使うと暴れる時に邪魔になると分かっているからだ。現に涼はこの簪を用意しながら『いざとなったら飛刀代わりにはなる。値段は気にせずぶん投げろ。お前得意だったろ、暗器術』と言っていた。耳飾りが小ぶりで控えめなのも、装飾品を身につけることに慣れていない紅珠をおもんぱかってのことだろう。


 ──いや、ここまでされて『別にお前用じゃないし』とか言われても逆に信じられないっ!


「これだけ仕込んでるくせに、何っっっっで私自身を呼びつけるのはこんなギリッギリなわけっ!?」


 紅珠は確信を持ってキッと涼を睨みつける。そんな紅珠に涼はニヤリと笑ってみせた。


「俺の目って確かだよなぁー。よく似合ってんぜ、紅珠」

「だから……っ!」

「『馬子にも衣装』っつーんだっけ? こういうの」

「……っ!!」


『紅珠のために用意していた』と認めつつも紅珠からの質問ははぐらかす受け答えに、紅珠は装束の機動力を存分に活かした怒りの拳を涼へ叩き込む。だが涼は今回もその拳をサラリと避けた。第三皇子という肩書きに相応しい立派な装束に身を包んでいるくせに、涼の動きは学生時代と変わらずどこまでも軽やかだ。


 ──きちんとした格好してるせいで見てくれが良く見えるせいか、なんか余計に腹が立つ!


 紅珠と対となるように意識したのか、本日の涼は紅珠の裙と揃いの深い藍色の衣に身を包んでいた。襟元や帯周りに散らされた金糸の刺繍は紅珠と揃いで、襟元からチラリとのぞく内衣の茜色が深い藍色の装束にも、涼自身にも映えている。ひとつに結い上げられた髪には小さな冠が添えられていて、髪と冠を支える淡水色の髪紐とサラリと揺れる黒髪の対比が目に鮮やかだった。


「紅珠」


 腐れ縁の見慣れない姿に一瞬たじろぎながらも、紅珠は次手を出すために身構える。


 その瞬間、紅珠の反応を読んでいたかのように、涼は紅珠の目の前へ何かを放った。


「やる」


 山なりに自分へ向かって放り投げられた物を、紅珠は反射的に片手で受け取る。パシリという小気味のいい音とともに自分の手のひらに収まった物は一体何だったのかと視線を落とせば、そこには蓮の意匠が刻まれた玉牌が握り込まれていた。色から察するに、材は恐らく紫水晶だろう。


「隠密呪術師の身分証になる玉牌だ。失くすなよ?」

「バッ……!? あんた、そんな大切な物、投げて寄越さないでよっ!! 落として欠けでもしたら……!!」

「お前がそんな鈍臭いことするかよ」

「万が一ってことがあるじゃないっ!!」


『しばらく第三皇子しかやってなかったせいで、庶民の感覚を忘れたんじゃない!?』とブツブツ文句を呟きながら、紅珠はさっそく玉牌に通されていた紐を使って己の腰に玉牌を吊るした。こういう物は案外、懐にしまい込んでおくよりもこうやって身につけておいた方が失くしにくいものだ。


「その玉牌があれば、俺が立ち入れる場所はお前も同じように出入りできる」

「具体的には?」

「王城と後宮、ほぼ全域」

「でしょうね。必要がなきゃ出入りしないから安心して」

「お前ならそう言うと思ったよ」


 涼の言葉に紅珠は軽く肩をすくめる。


 同時に、なぜこの瞬間に涼がこの玉牌を寄越してきたのかも理解できた。


「まぁ、ひとまず、あんたの案内の下に、毒蛇の巣に初来訪って洒落しゃれみますかね」


 二人が進む先に、小さな門が見えた。門自体は小さいが、その左右には槍と剣で武装した門番が立っている。


 今二人が言い合いをしながら歩いていたのは、李陵りりょうが住まう屋敷の廊下などではない。


 王城の奥深く。数少ない、許しを得た者しか行き来できない場所。


 後宮関係者が後宮の内と外を行き来するために設けられた通用路を、二人は後宮がある方向に向かって進んでいた。


「そういえばあんた、第三皇子なのに後宮の外に住んでるのね?」


 第三皇子・李陵りりょうの屋敷は、城下の一等地に構えられている。表通りから二、三本奥まった場所で、規模もこぢんまりとしているが、無駄に広すぎない手入れが行き届いた屋敷と静かな雰囲気に紅珠は好印象を抱いていた。


 ──とは言っても、涼の場合は呪術師としての守備範囲が王城と後宮なわけじゃない? 一人で受け持つことを考えれば、住み込みで対応した方が楽な部分もあると思うのよね。


「皇帝の血を引く皇子っつっても、いつまでも後宮で暮らせるわけじゃねぇよ。ある程度成長すれば、太子を除いた人間は独立するなり結婚するなりして外に出る」


 門番からこちらの様子が見える場所に入ったからか、涼はスッと姿勢と表情を正した。いかにも第三皇子らしい雰囲気を醸した涼にならい、紅珠も多少淑やかに見えるように姿勢を正して涼の後ろに従う。


「それに、あんな場所、出れるもんならさっさと出た方が身のためだ。通いの手間なんざ、身の安全に比べりゃ安いもんだぜ」

「あー……」

「お前も行きゃ分かる。あんな場所、一秒たりとも長くいるべきじゃねぇよ」

「そんな場所の守護を押し付けられるなんて、あんたも大変ね」


 と言っても、まだまだ声が届く範囲ではないから、取り繕ったのは表面上だけだ。変わることなく軽口を叩き合いながら、紅珠と涼は体面上だけ『第三皇子夫婦』を装いながら門の方へ進んでいく。


「ご苦労」


 そんな涼が声まで第三皇子に化けたのは、門番との間合いが十歩ほどまで縮んでからだった。常よりも一段低い威厳に満ちた声に打たれた門番が、たった一言だけでピシリと背筋を正す。


「皇帝陛下の御下命だ。通してもらうぞ」

「は!」

「通行許可証のご提示を願います!」


 門番の言葉に、涼は腰に下げた玉牌を片手で掬い上げて門番へ示した。その仕草を横目で眺めていた紅珠も、涼を真似て玉牌を提示する。


「は! ありがとうございます、殿下!」

「しかし、あの……」


 門番はきちんと玉牌の意味が理解できる者だったのだろう。立ち入りの理由を深く聞かず左右に分かれて道を譲った門番二人は、涼に敬意を示しながらもチラリ、チラリと紅珠に視線を向けている。


 ──ん? 何?


 何か今の自分に不審な点があっただろうか、と紅珠は小首を傾げる。そんな紅珠の様子が後押しになったのか、門番はおずおずと口を開いた。


「殿下、そちらの方は……?」

「私の后だが、それが何か?」

「き……っ!?」


 紅珠としては『状況的にそれしかなくない?』と言いたい所なのだが、どうやら門番にとってその答えは予想外のものだったらしい。


 思わずといった体で紅珠を指さしかけた右側の門番の手を、左側にいた門番が飛びつくようにして叩き落とす。だが左側の門番も言いたいことは右側と同じであるらしく、二人の白黒した目が紅珠と涼の間を行き来した。


「后っ!? 殿下のっ!?」

「いつの間にっ!? あんなに女ぎら……っ!?」


 しかしその口は次の瞬間、他でもない門番自身の手によって塞がれた。


 まるで鏡わせにしたかのように同じ挙動で互いの口を互いの手で塞ぎあった門番は、凍りついたような顔で涼のことを見つめている。二人ともが両手を相手の口を塞ぐことに使っているせいで、支えを失った槍がカランカランッと妙に虚しい音を立てながら地面に転がった。


 ──何事?


「もう行く。いいな?」


 なぜそんな反応をしているのか、と紅珠が首を傾げる前で、涼が『李陵殿下』の声音で言い放つ。問いかける形を取っていながら有無を言わせぬ言い方に、門番はガクガク頷きながら道を譲った。一体どんな顔で門番二人に対して圧をかけたのかと気になった紅珠だが、涼は紅珠に顔を覗き込まれるよりも早くスタスタと門の内へ歩き出してしまう。


「……あんた、ああいう物言いもできたのね?」


 結局紅珠が再び口を開いたのは、門がはるか遠く、背景の中に埋没していってからだった。『第三皇子夫婦』から『腐れ縁同期』の距離感に立ち位置を戻して涼の顔を覗き込めば、すでに涼の顔はどこか気だるげな紅珠が知る『涼』のものに戻っている。


「そりゃ、元々はあっちが素なわけだし」

「じゃあこっちは素じゃないの?」

「今はどちらかと言やぁ、こっちが素だな」


 軽く答えながら涼はチラリと紅珠に視線を投げた。その中にほんの少しだけ怯えのようなものがぎったように見えた紅珠は、見上げる視線だけで涼に問いを投げる。


 その視線に一瞬だけ、涼は躊躇ためらいを顔に浮かべた。だがその表情はすぐにふてぶてしい笑みにかき消される。


「惚れ直した?」

「はぁ?」

「俺の皇子姿に、惚れ直したかって訊いてんの」

「何バカなこと言ってんの?」


 何を言い出すのやら、と紅珠は呆れを隠さずに涼を見上げた。歩む足は止めないまま、視線だけではなく顔ごと涼を振り返って思ったままを口にする。


「気の抜けたニヤけ顔してても、皇子として高圧的な空気を醸してても、あんたはあんたよ。私はそれだけの要素であんたに惚れるような安い女じゃないっての」


 その言葉に涼は面喰らったように目を丸くした。さらにその瞳の奥が小さく震える様を見た紅珠は『やっぱりか』と小さく溜め息をつく。


「あんたね、私は気にしないって言ってんでしょ? あんたが秘密を抱えてきた六年間のこと」


 茶化すようなことを口にした涼だが、涼は紅珠を茶化したいわけでもなければ煽りたいわけでもない。ましてや本当に問いたいことはそんなくだらないことではないはずだ。


 他の人間は誤魔化せても、ずっと『涼』に一番近い場所にいたという自負がある紅珠は誤魔化せない。


 ──本当はあんた、『惚れ直したか』じゃなくて『幻滅したか』って訊きたいんでしょ?


 軽口に加工された言葉の奥底にあるのは、後ろめたさと恐怖だ。


 きっと涼は、己の事情を伏せて紅珠の同期をやっていたことに、ずっと後ろめたさを感じていたのだろう。自分は紅珠を騙し続けてきたのだと思っているのかもしれないし、その事実を紅珠に明かした今、紅珠に伏せてきた『李陵』を知られることで紅珠に幻滅されるかもしれないとも思っているのかもしれない。


 ──私をその程度の存在って思ってることこそが、私に対して失礼なんじゃない?


「騙されたとか、思ってないから」


 これ以上ツベコベウダウダ言うつもりなら、シメる。


 その一念を込めて涼を見上げると、涼は紅珠の視線に射すくめられたかのように足を止めた。一歩追い越し、クルリと踊るように涼の前に回り込んだ紅珠は、ふてぶてしく腕を組んだまま涼の瞳を見つめ続ける。


「お前……」


 呆然と紅珠を見つめ返す涼は、複雑な表情をしていた。驚きから始まった表情は泣き出しそうに歪み、さらには驚きも涙も残したままわずかな笑みが混ざり込む。


 最終的に完成したのは、かなり不格好だが嫌な感じはしない、苦笑のような笑い顔だった。


「お前さ、カッコ良すぎ」

「惚れてもいいのよ?」

「ぬかせ」


 ようやく毒気が抜けた涼に不敵な笑みを残し、紅珠はヒラリと身を翻す。クイッと指先で合図を出しながら歩みを再会すれば、意図を察した涼はすぐに紅珠の隣に並んだ。


「で? どこに行くわけ?」

「明後日の宴の会場になる殿舎。今ちょうど準備が進んでる」

「今なら入り込んで事前調査をしてても大丈夫ってことね」

「そゆこと」

「道中で事前情報もちょうだい」

「お前やっぱクッソ頼もしいわ」

「今更ね」


 紅珠のすげない言葉に、ようやく涼が見慣れた笑い方で笑う。


 そのことにひっそりと満足の吐息を吐きながら、紅珠はこれからのことに意識を切り替えた。


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