弐
「まぁ、そういう一族だからよ。歴代で積み上げた四方八方からの恨みつらみっつーのは、まぁすげぇわけよ」
「国を潰された民の恨みやら、処刑してきた臣下の恨みやら、民から向けられる妬みやら、暴政やらかした先祖に向けられた怨念とか?」
「なーんで先祖代々のやらかしを、俺ら善良な末代が
直接皇帝に刃を突き立てることはできずとも、命を賭した恨みは姿なき刃となって皇帝とその一族に降り注ぐ。
そんな形のない攻撃から身を守るため、歴代の皇帝は有能な呪術師達を召し抱えてきた。
「ま、これが後に歴史の中で宮廷組織に取り込まれて
「そこで話が終わらなかったから、あんたが言う『隠密呪術師』ってやつが生まれたんでしょ?」
「そーゆーこと」
皇帝がどれだけ有能な呪術師を召し上げようとも、その呪術師もヒトだ。己の感情もあれば野心もある。
皇帝一族を守る最後の防壁となるべき人間も、
頭を悩ませた当時の皇帝は、そこでとあることに気付いた。
必ず皇帝とその一族を守らなければ呪術師自身も困るような立場にある者を選んで、お抱え呪術師として登用すれば良いのではないか、と。
「……ん? ごめん、一瞬言葉が複雑になったことない?」
「つまり、身内なら自分を裏切らない……というか、一蓮托生だから裏切れない。皇帝一族、できれば自分の息子やら娘やらをお抱え呪術師として召し抱えれば、自分が呪われたり殺されたりすると損害が出るだろうから、他所からどこの馬の骨とも知らない呪術師を召し抱えるより安心なんじゃないかって考えたってことだ」
「えぇ? 一概にそうとは言えないでしょ。身内で呪い合うなんて、貴族の家じゃよく聞く話じゃない?」
「相変わらず鋭い上に容赦ねぇなぁ。ま、そうではあるんだが、他所から迎え入れるよかまだ安心できるってのが、当時の皇帝の判断だったんだろ」
幸いなことに皇帝の血縁には時折、呪術師としての才を持ち合わせた者が生まれていた。その者を優れた呪術師として養育させ、皇帝は自分達一族を守護させるための専属呪術師としたのだ。
表舞台に立たせれば
そんな流れで、己も皇帝一族の一員でありながら、命を賭して皇帝一族を闇から守る存在、『隠密呪術師』が誕生した。
「で、当代隠密呪術師がこの俺、第三皇子の
「え。ちょっと待って、理不尽すぎる」
つらつらと語られる言葉を聞いていた
「それってつまり、皇帝一族の存続のために呪術師としての才を持ち合わせている人間が代々飼い殺しの捨て駒にされてて、さらには一人であれもそれもこれも負わされる超過酷な業務を課されてたってことでしょ?」
「話がちょーはぇーわ、紅珠。お前ならこのヤッベェ労働環境を分かってくれると思ってた」
「あんったねぇ! 何っでそんな理不尽押し付けられてんならさっさと私を呼びつけないのよっ!?」
「言っただろー? 機密保持とか柵とかだって」
「にしたって……」
呪術師という仕事は、常に危険と隣合わせだ。そして対応を求められる範囲はかなり広い。
幽鬼が出た、妖怪が暴れていると通報を受ければ、現場に急行して退魔に臨まなければならない。曰くがある土地や建物の浄拔だって呪術師が負う仕事だし、陰の気に当てられて体調を崩した人間の気脈の調整、
そしてその全てが、うっかり気を抜いて臨めばこちらがバクリと妖魔奇怪に頭から喰われかねない危険をはらんでいる。相対した人間そのものの毒気に巻かれる可能性は、実はもっと高い。
だから呪術師というモノは、基本的に二人以上の組での行動が推奨されている。在野の呪術師達はまた事情が違うのだろうが、明仙連ではそう明文化されていた。……紅珠に単騎出撃ばかりを命じていたド腐れ上司どもが軒並みクビを飛ばされたのは、この最悪命に関わる規律違反が明るみになったからというのも実はあるわけで。
──それくらい大変なことなのに、それを代々身内に課していた? 自分達の保身のために?
皇帝一族を守護するということは、すなわち王城と後宮を守護範囲として受け持つということだ。単純に範囲が広すぎるというのもあるが、場所も最悪だ。この国で一番毒気と陰気が渦巻く場所をたった一人で守ってみせろと言われたら、きっと紅珠だったら言われた瞬間に任を放り出して国外出奔している。
「まぁそんなわけでさ。俺は最初から隠密呪術師になるべく、
「隠密呪術師は首席で卒業しなきゃいけないとか、そんな規約があるとかないでしょうね?」
「そこは俺が歴代の隠密呪術師に比べてもずば抜けて優秀だったってだけ」
『行き先が決まってたなら、切実にその位を欲しがってた人間に譲れば良かったんじゃないの?』と言外に
「後は個人的に、お前と競うのは、自分に課された背景とか柵とかを抜きにして、純粋に楽しかったからさ」
思わず紅珠は舌打ちを放つ。
そんな紅珠の舌打ちに心地良さそうに目を閉じた涼は、よじった体を元に戻しながら気が抜けた声で言葉を続けた。
「そりゃあ俺も頑張っちゃうだろ。入塾当初は頑張るつもりなんてさらさらなくて、テキトーに実力隠してやってくつもりだったのに」
──涼……
そのしみじみとした言葉に、紅珠は一瞬声を詰まらせた。
涼のことは、自分が一番よく分かっていると思っていた。事実、祓師塾の同期に限定すれば、涼のことを一番知っているのは紅珠で間違いないだろう。
だがそんな紅珠でも、『涼』の大半を知らなかったのだと、今になって突きつけられる。
──でもそのことにしんみりするのは、何か私達の間では違うような気がするから。
「……そんなこと言ってきても、
少しだけキュッと痛んだ胸の内を押し隠し、紅珠はあえてツンッと顔を逸らしてみせた。そんな紅珠の様子が分かったのか、涼は『おや?』とでも言うような表情で目を開く。
「何だよ、紅珠。卒業試験の結界術実地で俺に負けたの、いまだに根に持ってんのか?」
「攻撃術実地は私が勝ったし、座学は同点だったでしょっ!?」
さらにツンケンと返せば涼は吐息だけで笑う。それが気に喰わなくてキッと涼に視線を向ければ、涼はくつろいだ様子で紅珠に笑いかけていた。
「で。そんな優秀な俺がどうにかこうにか頑張って王城と後宮を守護していたわけなんだが。……まー、どう頑張っても無理なもんは無理って話でよ」
いつになく邪気がない素直な笑みに虚を衝かれた紅珠は、思わず無防備に目を
「実は三日後に皇帝一族が一同に介する私的な宴があるんだが、その場を俺一人じゃ穏便に終わらせられそうにないんだわ」
「みっ……!?」
「猫の真似?」
「バッッッッカじゃないのっ!?」
前言撤回。
あれは『邪気がない素直な笑み』ではなく、全てを諦めて悟りを開いた者の笑みだ。
「何でそんな切羽詰まった日程なのよっ!?」
思わず絶叫した紅珠は両手を伸ばすと涼の襟元を締め上げた。紅珠にされるがまま力なく揺さぶられている涼は、変わらず悟った笑みを浮かべたままどこか遠い場所を見つめている。
「一ヶ月前に私を呼びつけたってことは、前々から『今回はヤバいかも』って分かってたってことでしょっ!? 初手で素直に説明してくれれば私だってすぐにこっち来たってのっ!!」
「いやぁ、限界まで粘ったら、案外お前を巻き込まずに終わんねぇかなって」
「普段図々しい癖に変なトコで遠慮するわよね、あんたってっ!!」
思い返せば涼は祓師塾での課題の提出もいつもギリッギリのキワッキワだった。恐らく今回のこのギリギリさ加減には紅珠への遠慮以外にその辺りの性格も反映されてしまっているに違いない。
「基本的に隠密呪術師は一人で事に当たらなきゃなんねぇんだけども。例外的に一人だけ、任務に巻き込んでもいいっつーか、立場的に業務内容を覚らせずにいるのは無理っつー理由で巻き込むのを黙認されてる存在がいる」
「それが隠密呪術師の后ってことね。だからあんたは私を無理やり、こんな手法で強引に自分の所に嫁入りさせた」
「そーゆーこと。ちなみに公主が隠密呪術師になった場合、巻き込まれるのは婿入りしてきた夫側な」
紅珠が涼の襟から手を離すと、涼の体はポスリと寝台に埋まった。枕を手繰り寄せて態勢を整えた涼は、そのまま寝入ってしまうのではないかと思うくらいくつろいだ空気を纏っている。
──隣に私がいるのに、ちょっとくつろぎすぎじゃない?
『あんたが私のことを女と見なしてなくても、私も一応生物的には女なんだけど?』と思わず考えた瞬間、ふと紅珠はとあることに気付いた。
「そういやあんた、結婚してなかったの?」
「はぁっ!?」
紅珠としては素朴な疑問をこぼしただけだったのに、涼の反応は劇的だった。つい一瞬前までそのまま寝入ってしまいそうな雰囲気まであった涼は、突如ガバリと身を起こしたかと思うとそのままズイッと紅珠に迫る。
「ちょっ……!?」
「んだよ、その『してて当然』みたいな言い方」
「え? だって、いかにもお嫁さんみたいな人、いたじゃない?」
反射的に体を引きながら、紅珠は胸の前で両手を広げて『どうどう』と涼をなだめた。だが突如険を醸した涼の機嫌は急降下を続けて留まる所を知らない。
「はぁっ!? いねぇよ、そんな人間!」
「いや、いたじゃない! 私を初めてこの屋敷に呼びつけた日、あんたの隣にいた人! 今日だって私の出迎えから屋敷の中の案内から、何から何までしてくれたすっごい美人の娘さん!」
そう、実は涼と再開を果たしたひと月前のあの日、謁見に用いられた部屋には紅珠と涼以外にもう一人、ちょっとやそっとではお目にかかれないような絶世の美女が控えていた。
人払いがされていたはずであるあの部屋の中に堂々と
あの日現場から引き上げた紅珠は、再会の驚きと涼への怒りがある程度収まってから『はて、あの美女は一体?』とようやく疑問に思ったのだが、答えを知っていそうな人間は周囲にいない。
ならば後々涼と顔を合わせた時に機会があったら質問してみるかと思っていたのだが、何と本日、涼と顔を合わせるよりも先にその美女と再会することになった。
──女官であるようには見えなかったけど、でもやってることは女官だったのよね。
外せない仕事があるせいで出迎えができなかった涼に代わり、その美女が紅珠のことを出迎えてくれた。
ひどく無口ではあったが至極丁寧な所作で紅珠を出迎えた美女は、至極丁寧ではあるが問答無用で紅珠を風呂に追い込み、紅珠一人で湯浴みをさせた。紅珠が適当にくつろいで風呂から上がり、用意されていた夜着に袖を通して外に出ると、待ち構えていた美女は再び至極丁寧な所作で紅珠をこの部屋まで案内し、至極丁寧ではあるが問答無用の所作でこの部屋に紅珠を軟禁した。
──そう! すっごく綺麗で、こっちを大切にしてくれてることは伝わってくるのに、完全に『問答無用!』って纏う空気が言ってた!
結局、美女が口を利いてくれなかったせいで、紅珠は彼女が何者であるのかをいまだに知らない。だが何となく、この屋敷に置かれていて奥向きの仕事を担っており、その上で女官でないならば残る立場は妃……紅珠が
──まぁ涼も二十歳だしさ? 皇帝直系第三皇子って話だったし、立場的に妃の一人や二人、いてもおかしくはないと思ったのよね。
しかし涼の反応を見るに、彼女は妃でもなかったらしい。ならば何者であるのかと、紅珠は視線で説明を求める。
「絶世の……? あぁ、
眉間に険しくシワを寄せて紅珠の言葉を聞いていた涼は、
「あいつは俺の側近。昔から俺のお守りを押し付けられてて、この屋敷に住み込みで仕えてくれてる。事務方担当の文官で、霊力は欠片も持ってない
「側近?」
「あ。ついでにあいつ、男な?」
「はぁ、おと……はぁっ!? 男ぉっ!?」
今度は紅珠が身を乗り出す番だった。いや、『あんな美女がただの側近?』と首を傾げていたわけなのだが、『あの美女は実は男でした』と言われた方が衝撃がすごい。
「どういうことっ!? どっからどう見たって絶世のド美人なのに、あの人男なのっ!?」
「第三皇子の唯一の側近が女装してるってことには驚かねぇの?」
「え、そこもなんだけど……えぇ……?」
恐らくあの美女……もとい美男子は、声音から男だと見抜かれないようにあえて口をつぐんでいたのだろう。いや、それでも少なくはあるが要所要所、必要最低限には口を開いていた。聞こえた声音は確かに低めの落ち着いたものだったが、それでもたおやかな女性のものであったはず。
「縁談避けが面倒くさくて、試しに女装させて宴に連れてったら、周りが面白いくらいキレーに騙されてくれてな。以降必要がある時に女装してもらってる」
「必要がある時に……?」
はたして謁見の場に侍らせる時と、本日の迎えに、女装で待機してもらう必要性はあったのだろうか。幼い時から李陵殿下の守役を努めている側近であるならば、別に普段通りの姿でも問題ないと思うのだが。
──というか私、その『普段通り』の方を知らない状態なんだけど……?
「お前がきっとおもしれー反応すると思ったから、あえて女装させといた」
「完全に無駄に女装させてるじゃない! というか! だったらあんたのさっきの剣幕は何なのよっ!?」
「いやぁ、お前があまりにもトンチンカンなことを真面目に訊いてきやがったから」
そう言う割に涼は心底楽しそうにケタケタと笑う。そんな涼に呆れを混ぜた溜め息をついた紅珠は、再び寝台へ体を預けた涼に対して腕を組みながら視線にも呆れを混ぜた。
「はぁ、でも、分かった。あの人は信頼できる人なのね?」
「そ。この屋敷には元々、俺が負ってる役目の問題でキチンと信頼が置ける人間しか立ち入らせてねぇんだけどな。瑠華は俺が世界で二番目に信頼してる人間だから、何かあったらお前も頼れ」
「分かった」
──二番目?
今の話しぶりからするに、瑠華は涼が幼い頃から仕えていて、今もこの屋敷に住み込みで勤めている側近中の側近であるはずだ。そんな瑠華を凌ぐくらい信頼できる人間が涼の中にはいるのかと、紅珠は内心だけで首を傾げた。
同時に、少しだけモヤリとしたものが胸の内に広がる。
──私は涼にとって、何番目に信頼できる人間なんだろう?
「んじゃ、明日は宴用の装束の確認と、……現場に入れるなら、現場の事前確認を……」
そんなことを紅珠が考えていると、涼の
──え? 寝た?
思わず紅珠は無言のまま目を瞬かせる。そっと身を乗り出して確認してみると、涼は糸が切れたかのように寝入ってしまったようだった。落ち着いた深い呼吸と安らいだ表情からは、この一瞬で涼の意識が完全に落ちてしまったことが
──確かにこいつ、昔から力尽きる時は一瞬、みたいなトコあったけども。
こんなに無防備なことで大丈夫なのだろうか。涼が身を置いている世界は、いつどんな形で寝首を掻かれてもおかしくはないはずなのに。
「……」
しげしげと涼の寝顔を観察していた紅珠は、涼を起こさないようにそっと体を寄せると、眠る涼の顔に指を伸ばした。その目元には、灯火の頼りない灯りでも分かるくらい、クッキリと濃いクマが貼りついている。
──こんなんになるまで、独りで頑張ってたの? あんた。
そっと目元に指先を滑らせてみても、涙を
そのことに、紅珠の胸の奥にまたモヤリとしたものが生まれたような気がした。
「……安心して、涼。私が来たからには、もうあんた一人に無茶はさせないわ」
そっと
部屋の中に寝台がひとつしかなくて、その寝台に枕はふたつ用意されていたのだから、つまり二人一緒にこの寝台で眠れということなのだろう。幸い寝台は十分に広いし、紅珠はどこでも眠れる健康優良児だ。隣にいるのが涼で、しかも完全に寝入ってしまっている状況なら、何ら問題はない。
──明日からバリバリ戦うために、まずはきちんと寝る!
心の内で力強く宣言した紅珠は、涼の体も掛布の中に収まるように位置を調整してから、自分用の枕を引き寄せ、目を閉じたのだった。
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