『砂で塑像する男と見守る女』
小田舵木
『砂で塑像する男と見守る女』
僕は
僕はかつて失ったモノを取り戻そうと必死だ。
僕の手からこぼれ落ちる砂。それを目の前の像に押し付ける。
彼女は形になってはきているが。それは脆いモノである。吹きすさぶ風が彼女の像を削る。
僕は魂を込めて。手を動かす。そうすればこの像が動き出すような気がして。
でも。それは無駄な願いだ。砂なんかで彼女が戻ってくるはずがない。
僕は毎日。この像を造り続けている。それは虚しい作業だが。やれずにはいられないのだ。
僕はこの像の制作に取り憑かれて数年になる。この像の制作を日々のルーチンに組み込んで数年になる。
生活を何とか続けているが。半ば気がおかしくなってしまっている。
無情にも過ぎていく時間。僕の人生の砂時計は砂を落としながら時間を刻んでいる。
彼女の像は。大きな砂の塊でしかない。そんな事は分かってる。
だけど。時間と共に崩れゆく彼女の思い出を僕は何とか繋ぎ止めようとする。
僕はこういう事をしていると虚しくなる。
やっても無駄な事をしている気分になる。まるで賽の河原の石積みだ。
作ろうが作ろうが。彼女の像は完成を見ない。作る側から崩れていく。
これが死の本質のようにも思える。人は死ぬと世界からゆっくり消えていく。
僕は目の前の彼女の砂の像に愛を込めた目線を送るが。
像は応えてくれやしない。そこにあるのは巨大なケイ素の塊であり。タンパク質の超巨大複合体であった彼女とは雲泥の差がある。
僕は圭子を
僕はシニックな笑みを浮かべるが、砂の像は静かなままで。
僕は像を造り続ける。いつか。この作業が終わる日を願いながら。
◆
日々は。手から
圭子が亡くなってから数年が経つ。僕は大学生になっていて。
像を作らない時間以外はキャンパスライフを謳歌している。
僕はそうしている間は圭子の事を忘れられる。それはある種幸せな事だ。
誰かの死に取り憑かれる生活は悲惨なものでしかない。
僕は階段教室の半ばに陣取っていて。講義を聴いているのだが。
意識は半ば飛んでいる。隣の学友がアホだな、という目で僕を見ている。
昨日の像…失敗だったな。デティールが荒かった。彼女の人間性の一端すら表現できていなかった。
「おーい。
「…趣味の事を考えていた」僕は砂の塑像を趣味と表現する。正しくはライフワークなのだが。こんな事他人に言ったところで無駄なのだ。
「趣味ねえ。趣味も良いけど。真面目に講義受けてねえと泣きを見るのはお前だぜ?」
「…それもそうだなあ」僕は気のない返事をする。
「分かってんのかあ?」彼は呆れ顔をして講義を聴きに戻る。
大学での時間はあっという間に過ぎていき。
僕は帰り支度を整えると、原付きバイクに
いつもの砂浜を目指して走らせていく。
今日も像を造るのだ。圭子が好きだった海の近くの砂浜で。たったひとり。
◆
圭子は海を眺めるのが好きだった。
海辺の街で生まれた僕らの生活には海が必ず関わってくる。
圭子は海を眺めながら考え事をするのが趣味で。僕はよくそれに付き添った。
だから。圭子が亡くなった後も何かと海に来てしまう。彼女の影を追い求めているのかも知れない。
どこにも何もありはしない。
僕は視線を砂浜に戻して。砂の像の塑像に入る。
僕は原付バイクのメットケースの中にバケツとスコップを仕込んでいる。
それは塑像のツールであり。僕はそれを持って適当な場所に陣取る。
そして。バケツで海水を汲んでおく。砂の像を固める為だ。
僕は砂を一箇所に集めて。大きな砂の塊を造り始める。
ある程度の高さにしたら。スコップを使って砂を削る。
僕はこの作業が好きだ。まるで神のような気分になれるから。
砂の塊から圭子を削り出す作業。
頭から始めて。最後は脚元に。
削り出しが終わると。僕は砂の像に海水を浴びせて固めて。
更に細かく削りを入れる。細かいパーツを造っていく。
この時は記憶を頼りに作業をするが。年々、彼女の像はぼやけていきていて。僕の理想が混じった歪な彼女が出来上がる。
そんな事をしている間に時刻は夕方で。
その光に照らされていると、僕は何をしているのだろうという念が
いい歳して砂遊びに夢中になっているとは。
だが。僕はこのある種のセラピーに依って精神を安定させているような気がする。
◆
「すなかっわくーん」呑気な声が聞こえてくる。時刻は昼時。僕は学食で飯を食べている。
「…どうした?
「一緒に飯食おうよ」
「座んなさい」
「おっじゃま〜」彼女は僕の
「お前は相変わらず元気なだあ」僕は感心する。
「そりゃまあ。私はいつでも元気印がトレードマークだかんね」彼女の笑顔は眩しすぎる。
「僕にもその元気分けてくれよ」なんて僕は言ってしまう。いくら圭子の事を忘れているキャンパスライフでも、元気はでやしない。いつもどこか憂鬱なのだ。
「なんなら。何処かに出かけるかい?午後の講義サボって」
「一応。必修なんだけどなあ」
「いいじゃん。一回サボったくらいで単位落ちたりしないって」
「…たまにはこういうのも良いか」
「やりぃ。んじゃあ。何処行くよ?」
「お前が考えてくれよ。言い出しっぺの法則だ」
「…買い物でも行く?」
「特に買いたいモノはないぞ?」
「ウィンドウショッピングの楽しみが分からんかね」
「俺は。買うものがない時は店に近寄らない」
「実利的だねえ。無味乾燥な人生…」僕はその言葉で考え込んでしまう。
「…」
「いや。砂川くんを責めたい訳じゃない」
「良いんだよ。俺は何かと考え込み過ぎる」
「…忘れさせてあげよう。君の思案を。さ。おねーさんについておいで」彼女はもう親子丼を食べ終えており。
「へいへい…」僕は定食をさっさと片付ける。
僕と住原は連れ立って大学を出て。電車に乗って街へと出かけ。
街の中を2人でそぞろ歩く。側を歩く住原は楽しそうだ。
「何でお前は僕に構うんだろう?」僕は思わず疑問を
「…それを
「そんなに無粋なことだったか?」僕はバナナクレープを食べながら
「無粋だね。察せよと言いたい」彼女は眉をひそめながら言う。
「…僕が好きなのか?」僕はこういう事態に弱い。恋愛をしたのは圭子だけで。圭子と過ごした時間が長過ぎる。
「そうだよ。あたしは
「…」僕は考え込んでしまう。住原は魅力的な女性だが。圭子とはまるでタイプが逆だ。圭子は思慮の中に沈み込む静かな女だった。一方、住原は騒がしい。祭りの中にいるような陽気さがある。
「いいんだ。すぐに結論を出してくれなくたって。あたしは君を側で見守り続ける」
「お前は健気だなあ」僕が過去の女に囚われ続けている事も知らずに。健気に見守り続ける気らしい。
「健気だと思うなら。あたしを見てよ」
「見てるさ。でも…」
「いいや。見てないね。君は」
「僕の目が節穴だとでも?」
「節穴と言うより。何処か遠くを見ている感じがするの」
「中々鋭いな、住原」
「女は
「僕は丸見えな男なのか?」
「うん。君は隠し立てが得意じゃない」
「…なら。隠し立ては止めようか」
「何か。隠してる事がある訳?」
「あるねえ。君は病んだ男を見る勇気はあるかい?」
「ばっちこい…って訳じゃないけど。砂川くんなら見てあげる」
「んじゃあ。街を引き上げよう。海に付き合ってくれないか?」
「おっと。ロマンチックな話かい?」
「いいや。海に。僕の病みはある訳さ」
「コイツはヘビィな話になりそうだ」
◆
僕と住原は海辺にやってきた。いつもの砂浜が僕を迎える。
今日は住原と来たから原付バイクはなし。よって。スコップとバケツもなし。
それでも僕は塑像出来る。高2の頃…圭子が亡くなってすぐは素手で塑像していたから。
「ほいで?」砂浜に尻を落ち着ける住原は言う。
「どこから話したもんかね…」僕は思案しながらも。周りの砂を集めて。積み重ねる。小高い砂の塊を造る。
「最初っから聞かせてよ。時間はたっぷりあるんだぜ?」住原は僕の顔を見ながら言う。
「…僕にはね。幼馴染が居たんだ。名前を圭子と言うんだけど」僕は小高い砂の塊を手で削りながら言う。
「幼馴染の女の子…適うはずがないじゃんね」住原はため息を漏らす。
「まあさ。彼女と僕は近所に住んでいてさ。自然と仲良くなり。自然と恋仲になったんだ」僕は砂の像のてっぺんの辺りから髪を掘り出している。
「何処ぞのお話みたいなラブ・ストーリー」
「そうだねえ。そしてそこに不幸があるのもお話みたいだよ。彼女はさ。先天性の遺伝病持ちで。神経が段々と麻痺していく病気だった」
「…もしかして」
「察しの通り。彼女は17歳で心臓の神経がイカれて亡くなった」
「…砂川くんは。彼女の事が忘れられない?」
「…うん。だって初めて僕が愛した人間だからねえ」僕は砂の像の顔を塑像していく。
「愛したと来たか」
「じゃなきゃ。こうやって囚われる事もない」僕は彼女の胴体を掘り出し。ほっそりとした身体を造っていく。
「砂川くん…君がどれだけ彼女を想おうが。もう帰ってはきやしないんだよ。残酷な物言いだけど」住原は塑像する僕を見つめている。
「それが死の本質だ。僕も理解はしているけど。分かってはいないらしいね」砂の像の脚元を造る。そこが終われば今日のは完成だ。
「そうして君は。彼女の像を忘れない為に。砂の像を造り続けている…」
「そう。これが僕の病みだ。意味がないのは分かってる」僕は完成した像を愛撫しながら言う。
「…あたしには理解出来ない世界だ」住原は言う。侮蔑的なニュアンスではなく。ただただ理解出来ないという風に。
「正直。自分でも理解できていない。彼女が亡くなってから。好きだった海に来てはこういう事をし続けて数年。でも。何体像を塑像しようが。僕は満足が出来ない。日が経てば経つほど、彼女の思い出は色あせて。像が曖昧なモノになっていく」
「長い長いグリーフワークだ」
「そうだね。僕はこの砂の像制作で。彼女の死を受け入れようとしている…うまくいってはないけど」
「…忘れちゃいなよ。あたしでも抱いてさ…なんて言いたくなっちゃうけど。そんな事をしても君の心の穴は塞げない」彼女は目を伏せながら言う。
「…住原は僕にはもったいない」
「そんな事はないさ」
「僕は過去に囚われ続ける人間だ。下手しい一生このままかも知れん」
「そういう風に苦しむ君を見てらんない」
「苦しんでは―ない」言い切るには根拠が弱いが。
「
「僕は壊れているのかな?」
「…少なくとも健康ではない」
「でも。こうしていないと…僕は彼女を忘れてしまう」
「忘れちゃうのも人生だよ?人生はね。死んだ人間を置き去りにして進んでいくものなの」
「…住原。お前は酷く正しい。正しいが故に―残酷だ」僕は砂の像にすがりつく。
◆
寄せては返す波が砂浜を洗う。その様を住原は見守っている。
その側で僕は砂の像を眺めている。これは奇妙な風景だ。
最近の僕の人生のメタファーみたいだ。
「…砂川くん。人生はこの波と一緒だよ」
「寄せては返して。過去を洗い流す」
「そ。時間は残酷で。過去なんて何時でも置いてきぼり」
「僕は。それが嫌でさ」
「駄々っ子じゃないんだから」振り返る住原は言う。
「男なんて何時までもガキなもんだよ」
「砂遊びに夢中な大学生なんてめったに居ないけどね」
「…そう言ってくれるなよ」
「言いたくもなるさ。惚れた男がこの有様。あたしはいっちょ抱いて君の中からその像を消してしまいたい」
「僕が圭子を忘れたら。それこそ圭子はこの世界から消えてしまう」
「そういう運命に彼女は落ちていった。それは過去の事である。よって像が消えていくのも自然の摂理である…馬の耳に念仏かな」
「…分かっちゃいる」
「でも受け入れられない。ジレンマだね」
「僕は僕が病んでいることは分かってる」
「病識はある。でもそれは治癒できるかどうかとはノットイコールだ」
「そしてそれに効く薬はない…まるでカルマだ。背負わされた業」
「あたしを見れば良い。あたしが君の新しい拠り所になってあげる」
「僕の心には圭子型の穴が出来ているんだ。それを埋めれるのは圭子しか居ない」
「それじゃあ。君は死ぬしかない。イザナギじゃないんだ。死者を呼び戻す事は出来はしない」
「死ぬ勇気もないんだよなあ」僕は像から離れて。住原の隣に座る。
「そんな勇気ないほうが良いって」
「何度か自殺を考えた事がある…圭子が死んですぐの頃」
「決行しなくて正解。死者を追うなんて。意味がない」
「お前は現実的だよなあ」
「そりゃ女だからね。男と違ってロマンで生きてない」
「僕もそれくらい割り切れたら。君を抱いているんだろうが」
「砂川くんは据え膳食べ損なうタイプだね」
「…過去に生きすぎている」
「男の性だあ」住原は空を眺めて。そこに飛ぶトンビを眺めている。
「いい加減。この作業止めなきゃいけないんだけど。これを止めるきっかけがない」
「きっかけならあるじゃん。今だよ。あたしに醜態見せたんだ。恥じて止めるべきだね」
「ところがどっこい。僕は君にコレを見せて。恥ずかしくもなんともない。むしろ肩の荷が降りた思いだ」
「…あたしの恋は時間が掛かりそうだ」
◆
僕と住原の関係はあれ
そりゃそうである。好きな男が過去の女に囚われ、砂の像を造り続けているなんて。
普通の女ならドン引きである。
だが。住原は今日も僕に纏わりつく。
「砂川くん!」階段教室。隣の席に彼女は収まって。
「…住原。くっつき過ぎ」僕は
「あたしはねえ。決めたんだよ。君に纏わりつき倒して彼女の思い出を払拭するとね!あたしには時間的なアドバンテージが効いてるからね」
「未来は無限に伸びていく」
「その通り。過去なんてモンは後ろにしかないからね!」
「…好きにしろい」
僕の生活は続いていく。月日はあっという間に過ぎていく。
僕は圭子の像を毎日造り続けた。住原はたまに同行し見守っていた。
気が付いたら大学四回生になっており。
僕は就職活動に追われて。砂の像を造る時間はどんどんなくなっていく。
でも僕は時間を見つけては砂浜に行き。消えゆく圭子を塑像した。
住原に像造りを告白した頃よりも更に記憶は曖昧になってきている。
そろそろ。僕は圭子を忘れてしまいそうだ。
それが死の本質である。忘却。世界から人が消えるというのはそういう事だ。
「まーたやってんの?」リクルートスーツ姿の住原が僕の後ろに現れて。
「やらずにはいられなくてね」僕は像を彫りながら言う。圭子の目元…どうだったっけ。迷う。
「スーツを汚すなよ。一張羅だろ?」
「スーツで塑像するのも慣れっこさ。ここ一年はこういう機会が多かった」
「そりゃ考えもんだ」腕をすくめる住原。僕の隣で像を眺めている。
「君はずっと僕を見守ってきたんだよな」
「そりゃ。惚れた弱みがあるからね。あたしはダメ男に惹かれるらしい」
「ダメ男ときたか」
「そりゃそうでしょ?隣で美人が見守ってんのにさ。過去の女に囚われやがって」
「自分で美人言うな…」
「割とモテるんだよ、あたしは。放っとくと持っていかれちゃうぞお〜」
「そうやって。僕を試すんじゃないよ」
「いやいや。あたし。最近告られたもん」
「就活の時期に呑気なこって」
「離れ離れになる時が迫っているからね、みんな焦ってるんじゃん?」
「…住原。お前、就職先決まったのか?」
「内定もらって上がりだよ。リクスーも今日で一旦お預け」
「僕も何とか滑りこみはしたが…遠方に飛ばされそうだよ」
「マジで?」
「全国転勤ありの求人に応募しちまったからな」
「…ま。あたしもそうなんだけど」
「これで最後になっちまうのかな」
「最後にしたいのかい?」
「正直。惜しむ気持ちはある」
「そんならさ。あたしをいい加減受け止めてくれないかな」住原は僕を見つめ。
「ここ2年。付き合わせてきちまったからな。いい加減。責任を取らにゃいかん」僕は言う。素直な気持ちを。彼女には感謝している。病んだ僕を2年も見守り続けるとは。
「だけどさあ。君は。過去をどうするつもりだい?」砂の像は僕たちの眼の前に出来上がる。造り始めた頃よりも大分クオリティは落ちた。
「折り合いをつける時期だって…住原に付き纏われて2年経って、やっと気付いた」
「遅すぎるぜ?砂川くん?」
「僕はそういう人間だよ」
「…そういう律儀で不器用なところに惚れたのかもね」
「ありがとよ」
僕は出来上がった砂の像を眺める。ホント、造れば造るほど圭子は遠のいていった。
僕は段々と下手になっていったのだ。像を造り続けてきたと言うのに。
それは記憶の、死の、本質が忘却であることと深く関わっている。
僕はシーシュポスよろしく無駄な事をしていたのだ。
徒労。やってもやってもゴールのない徒労。
簡単に崩れる砂で彼女の像を造るという徒労。
僕は砂浜に落ちていた流木を拾う。住原はその様を見守っている。
僕はその流木を構えて。上から振りかぶる。砂の像に向かって。
海水で固めた像は少し固かったが、あっという間にぺしゃんこになる。
辺りに砂の塊が飛び散る。圭子の欠片が辺りに飛び散る。
僕が造った虚構の彼女はあっという間に
コレを思うと虚しくはなるが。
死の本質はココにある。忘却。
脆い砂で出来た思い出を僕は忘却する。
そして住原に向かい合う。彼女は
「ようこそ。現世へ」
「…
「そうでもないさ。今までの砂川くんは過去に囚われっぱなしで。生きてないようなものだったから」
「お前は厳しいなあ」
「そりゃ。ロマンティストで夢見がちな君を引っ張っていかなならんから」
「…世話かける」
僕と住原は打ち壊した像…砂の塊を踏みしめ。海へと向かっていく。
そこには青くて雄大な海があり。
僕と住原はそれを眺める。そこに未来を見ている。
◆
『砂で塑像する男と見守る女』 小田舵木 @odakajiki
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