第24話 終章―竜の口

 時系列は少しだけ戻り、これは孤児院の閉鎖が決まった直後のこと。


 卓人はナタリアに連れられて全滅した集落へ訪れていた。


 すでにすべての死体は軍によって埋葬されており惨劇の形跡は消えてしまっているが、快晴にもかかわらず空気はじめっと灰色がかって妙な暗さを覚える。


「あらかじめ断っとくけど、可能性は低いよ」


「何がですか?」


 卓人は何も聞かされていなかった。


「タクトを呼び戻して、あんたを元の世界に帰す」


「え?」


「あんたが言った理論であれば、ここなら多分できる。そしてその方法は私も心当たりがある。まさかこんな方法とは思わなかったけどね」


 突然の提案に卓人は動揺した。


 戦いが落ち着いて、ナタリアは卓人にこれまでの成果を聞いた。そして本物のタクトの居場所に関する情報が全く得られなかったこと、そして彼が『魂の編成について』という本を失踪する直前まで何度も読んでいたことを報告した。


『その本には、ドラコーンという伝説の生き物を例えに出して、生命の原理を説明しているように思われました』


 ずっと考えていたせいで、タクトはその一文をまるまる暗記してしまっていた。


『己が尾を喰らうドラコーン。


 いずれは自らを食い尽して無に帰すや、


 あるいは永劫に食み続けるや。


 魂は永劫なれ、変成しつつ、変成しつつ、魂は永劫なれ。


 魂は、他の秩序を壊してその秩序得るなり。


 その変成とは、秩序を失うこと甚だしくも、


 新たな秩序をもたらすはドラコーン。


 その口の先には異なる秩序の世界がある』


『これが生命の原理なのかい?』


『魂とか、秩序とか……なんか僕の世界でも全然解明できてないことなんですけど、なんか当てはまるような感じがしたというだけなんですけど』


『へぇ』


 卓人は後半部分の記述から散逸構造について論じていると直感した。エネルギーが流入し散逸していくとき、生体を形成していくのではないか。


 そしてそのエネルギーの流れは尾を食む竜のように環を形成しているのではないかと。生物の食物連鎖は、生産者を消費者が食べ、消費者が死ねば分解者が栄養分にまで分解して生産者が育っていくという環を形成している。


 つまり生命とは環であると述べているのではないか。


 しかし、その環がほどけたとき何が起こるというのか。


 ドラコーンの口の先には異なる秩序の世界がある。


 つまり異世界がある。


 本にあった記述の五、六行目はまさにそれを論じていると思った。


 だが次の『新たな秩序をもたらすはドラコーン』とはどういうことだろうか?


 ドラコーンという架空の竜が自らの尾に食いつくことでできる環こそが生命の永劫性、連続性をもたらしているのではないだろうか。それは食物連鎖のような生命環がを隠喩しているのだろうか。


 そして最後の『その口の先には異なる秩序の世界がある』。


 その口の先とは何だろうか。


 その口が開かれたとき、ドラコーンが自らの尾を吐き出したとき、生命環が環をなさなくなったとき、すなわち生命が終わりを告げたときではないだろうか。


「たくさんの人が同じとき、同じ場所で死んだら異世界への門が開かれる……なるほどね、確かにそんな感じのするおどろおどろしさがあるね」


「だけど、そう読み取れると思っただけで、本当にそうなるか……」


「タクトは大勢が死んでいく戦場でまさにあんたを召喚した。あんたの仮説は正しいかもしれないよ」


「だけど、人間が死なないといけないとか……いや、ほかの動物がたくさんそうなったらやっぱりそうなるのかとか、菌は僕たちが生きていくだけでたくさん死んでいってるわけで……本当かどうか」


「やってみればわかる」


「だけど、失敗したら……」


「どうなるんだろうね。異世界に行けるかもしれないし、とんでもないところへ行くかもしれない。何も起こらないかもしれないし、命だけを吸い取られてしまうかもしれない。もしかすると、術を行った私が入れ替わってしまうのかもしれない。何もわからない」


 古戦場や大災害があった場所では霊的な現象がしばしば報告される。それがなぜかということについて、科学的議論の俎上にすらない。だから卓人が導き出した理論は完全な直感によるものでしかない。


「だけど……こんなところで。不謹慎というか、亡くなった方々を利用するみたいで……怒ったりはしないんですか?」


「呪われてしまうという説もあるし、全然関係ないという説もある。事件から数日経ってるから、もううまくいかない状態になっているかもしれない」


「そんなの……あまり、気が進まないです」


「要はあんたが元の世界に帰りたいかどうかだ」


「エミリは?」


「本物の卓人が帰ってきたら問題はない」


「確証はないですよね」


「まったくない」


「帰ってこなかったら?」


「エミリだってもう子供じゃない。自分でなんとかするよ」


 エミリのお兄ちゃんでいてくれと指示した本人は、存外冷酷だった。


「私はあんたには感謝しているつもりなんだ。だから、元の世界にあんたが戻りたいと願うなら、一縷の望みにかけてみたいと思っている」


 それはリスクが大きすぎる。


 成功するかどうかわからない。失敗して、何も失われないかもしれないし、大きなものを失うかもしれない。不確定要素が大きすぎる。


 とはいえ、元の世界で学ぶべきことはまだまだたくさんある。そして、自分が戻ることで家族や友人を安心させることができる。何より、自分の理論が正しいのかどうかについて確かめたいという思いもある。


 この提案は魅力的でありえた。


 本物のタクトは次々と人が死んでゆく戦場で、自分を召喚するために魔法を使ったというのだろうか。その精神性に理解が及ばない。


 未知の実験を行うとき、そこには一定以上の狂気が必要となる。その狂気を御しえた者は偉大な科学者として名を残し、できなかった者は人の道を踏み外す。


 タクトはそれができたというのだろうか。


 卓人にはそれが可能なのだろうか?


「どうする?」


 ナタリアの言葉は、意図があるかどうかわからないが、本物のタクトと自分を常に比較しているように聞こえる。そしてそのたびに劣等感を覚える。


 自分には不確実さで満たされた海へ飛び込む勇気はあるのだろうか。


 その勇気の先に、代償に見合った結果は待っているのだろうか。


 勇気がない奴だと思われて生きるのはいやだ。


 その勇気とは本当に正しい勇気なのだろうか。


 ――卓人は絞り出すように答えた。


「今は……いいです。帰れなくてもいいです……」


 科学的な真実にたどり着くことと、どこに行ったかわからない人を捜し当てるのでは、どちらが確率的に高いのだろうか。いずれにしても、むやみに取りかかれば失うものの方が多くなるのは間違いないだろう。


「もっと勉強します。もっと魔法について理解を深めて……ある程度以上の確信をもった上で試すべきです」


「そうなのかい?」


「……それに、エミリを独りぼっちになんて……できません」


 だけど今帰らなかったら、また人がたくさん死ぬ場面が必要になるのかもしれない。現実的にこれは千載一遇の機会であり得た。ぐるぐるとさまざまな感情と理性が行き交っては惑わせた。


 それでも卓人は言い切った。


「本物のエミリのお兄さんを見つけるまでは、僕は帰りません!」


「……ふふ、ずいぶんと男らしい顔になったじゃないか」


 ナタリアが卓人を認めるような言葉をこぼしたのはこれが初めてかもしれない。

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理系少年の異世界考察 ヴォルフガング・ニポー @handsomizer

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