第23話 審判

 強権と蹂躙による支配は現地民の反感を呼び、長続きしないことは多くの論者が語り、戦争を知らぬ者でさえそれが当たり前だと認識している。


 そんな中で侵略戦争をするならば、反感さえ抱かぬほどの圧倒的な侵略をしてみせるか、より絶対的な正義を見せつけたうえでの解放のための侵略を演出しなければならない。


 エルゲニアはドマニス侵攻に際し、前者を選択したわけだが結局失敗に終わった。


 エルゲニア帝国は三五〇年前までドマニスやバルツを含めた広大な領土を侵略によって獲得していたが、内部クーデターにより崩壊し、それを機にさまざまな国が独立を果たすことを許した。


 そこから現在まで何度も革命によって支配者が変わり、そのたびに国力は衰退していった。


 しかし現皇帝ヘイズ三世が政権を手にすると、まず内政を盤石なものとするために産業を推進し失業率を低下させ、安定的な経済の成長に成功した。


 その後に過去の栄光を取り戻すため旧支配下にあった近隣国を武力と金で威圧して水面下で支配していった。


 しかしドマニスとバルツは従わなかった。


 これらの国には天誅を下す必要があった。


 まずはバルツだ。支配下の四つの国家を通って進軍し、バルツの街を焼き払った。この惨劇は、世界的に嘘が広められたが、協力したすべての国は事実を知りながら口を噤んだ。


 以降、実質的な属国にしたバルツ兵を海から攻撃させつつ、同時に山脈を穿つ坑道作戦を実行した。だが大軍を移動させる前に見破られ、ドマニス軍が出口を塞いでしまった。


 狭い坑道ではいくら兵力を注いでも各個撃破されてしまえば死体の山を築くだけで、防御する側に圧倒的な利がある。


 このたびのエルゲニアの戦略は人道的に多くの国々から批判され、エルゲニア皇帝はドマニス国王正式な謝罪の書簡を送った。


 そこには、軍の一部が勝手に軍事行動を起こし、それを把握できていなかったことを心より陳謝すると記されていた。そして、作戦責任のある将軍を処刑したことも添えられていた。


 つまり、自分は責任を取らないと暗に宣言したわけだが、少なくとも実質的な終戦を意味していた。


 その報はドマニスの国民も知ることとなり、人々は大いに喜んだ。


 ――エルゲニアの坑道作戦を潰したのは、一人の少年兵だ!


 その噂は国民に新たな英雄の誕生を期待させたが、軍は少年を祭り上げることはしなかった。


 結果として秘匿された英雄は人々の想像を膨らませ、軍に対する期待は一層大きくなった。




「孤児院を閉鎖する?」


 ナタリアの発言に卓人はさほど驚かなかった。


 先日の集落皆殺しの事件によって、孤児院の子供たちによる自立的な生活を支援する見通しが立たなくなったことが最大の理由である。


 何より恐ろしい事件のあった集落に喜んで近づこうとする者などいるはずもなく、孤児院が孤立した状態になることは明らかだった。


 さらに坑道が山脈を貫いてしまったことにより、隣国エルゲニアとの徒歩による越境が理論上可能になってしまった。それにより正式な外交調停がなされるまでスズ鉱山は軍の管轄下に置かれ、その途上にある孤児院にも軍が常駐することになった。


 子供たちが安心して暮らせるというには程遠い。


 そのことについて、孤児院の住人やそれ以外の何人もの人たちがテーブル囲んで話し合っている。


「安心して。お父様が子供たちの処遇については必ずいいようにしてくれるから」


 そう言ったのは同席したルイザだった。領主の娘である彼女がこの件について積極的に取り計らってくれている。


「それなりの身分の家の人達に使用人として雇ってもらうか、あるいは里親になってもらえる信頼できる人を探してる。すでに心当たりはいくつかあるわ」


 ナタリア先生の教育の賜物とでもいうべきか、ここの子供たちはみな素直で働き者である。受け入れ先でも喜んで迎えられるだろう。


「ショータくんとゲオルギくんは寄宿舎のある幼年学校を勧めることにしている。タマラちゃんは私の家で使用人として住み込みで働いてもらうことになっているわ」


「よかったじゃないか。普通ならこんな待遇ありえないからね」


 ナタリアはそう言うものの、子供たちはあまり喜んでいるようではなかった。生活環境の変化や慣れ親しんだ人たちとの離別の不安のほうが大きいらしい。


 このようなやり方は乱暴とそしる者もあるだろうが、大人がある程度道をつくって、子供に最後に決めさせるようにもっていかなければいつまでも埒が明かない。


「……それで、エミリちゃんなんだけど」


 エミリもうれしそうな顔はしなかった。


 というより、ぼんやりしているようにも見える。


「あなたはすでに成人しているし生活力もあるから、働き口を探して独立するという選択肢もある。もちろん、あなたくらいしっかりした子なら使用人として雇いたい、いいえ、養女にしたいという貴族もいると思うの」


 エミリはちゃんちゃんと話を進めていく美しい女性の姿を見て混乱していた。


『あなたは……汚れる必要はない……』


 あのときのこの女性の表情は、兄とのただならぬ関係を窺わせるものだった。


『この人がお兄ちゃんの将来のお嫁さんなんだ……』


 勝手にそう思い込んでショックを受けていた。


 兄の人生の妨げになることはやめようと過去に誓ったときから、そういうこともあるだろうと考えたことはあるが、実際に当の人物に出会ってみると、どうにも心の置き場所を定められないでいた。


 しかし、念を押しておくがあくまでもエミリの勝手な思い込みである。


「俺の嫁になるって選択肢もあるんだぜ」


 レヴァンニのその言葉は、エミリを我に返させた。そして否定の意味を込めて兄の背中に隠れた。


 レヴァンニはルイザと違ってこの場にいる理由などなかったのだが、なぜかきてしまっている。


 しばらく何も言わなかったエミリだが、あるところで恥ずかしそうにではあるが意見を述べ始めた。


「……私は、魔法の勉強がしたい……」


 言ってしまうと吹っ切れるものがあったのか、以降は次々と言葉をつないだ。


「お兄ちゃんが……魔法を教えてくれて……熱いの反対は冷たいだから、火の魔法と反対になるように魔法を使ってみると本当に冷たくなったんです。誰も教えてくれなかったことを、お兄ちゃんが教えてくれました。魔法ってすごいんだって、そのとき初めて思いました。魔法についてもっと知りたいって……」


 自分の思いを吐露して、エミリは改めて顔を赤くした。


 ルイザとレヴァンニは驚いたような顔をして卓人を見た。火の魔法で冷たくするという発想はなかったからである。魔法が使えなくなったはずの男がどうやってそんなことを思いつくのか。


「じゃあ、ティフリスの魔法学校に行くといい」


 そう言ったのはナタリアだった。


「きちんとした魔法の勉強をするにはたいてい、軍に入るか、独自で研究している変人のところへ弟子入りするかだ。だけどもう一つ、魔法の基礎理論を体系的に研究しているヴァザリア魔法研究所が運営する魔法学校がある」


「へえ、そんなのがあるんだ」


 いかにも知らないといった口調で言ったのはレヴァンニだ。実際には各地に魔法学校と呼ばれる学校はあるが、国内トップレベルの研究者がそろった魔法学校はここしかない。


「流行り廃りを追いかけてるわけじゃないからね。地味な研究をコツコツ積み重ねているようなところさ。ただ、魔法を戦争のために使うことを目的としていない。エミリには向いていると思うよ」


 それを聞いてエミリは嬉しそうな笑みを浮かべたが、すぐに卓人の方を見て困ったような顔をした。


 首都ティフリスは遠い。


 ここからアイア兵学校の距離の比にならないほど遠い。自分に選択権があるからこそ、自らの意志で兄のもとを離れるのは嫌だった。


「まぁ、ここが閉鎖されるまでまだ時間はある。じっくり考えるといいさ」




 みんなでの会議が終わったあと、ルイザは孤児院裏の人気のないところへ卓人を呼び出した。卓人の身体は回復魔法によってなんとか歩ける程度までは戻っていた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん、って。あんた随分と妹さんには尊敬されてるのね」


「え? ああ、そうかな……」


『妹さんには』に嫌味を込めて言ったつもりだったが、その反応は面白みのないものだった。


「タクト、あなたに伝えておくことがあるわ」


「何?」


「あなたは軍法会議にかけられる可能性がある」


「会議か……わかった」


「あんた! 軍法会議よ、わかってるの?」


「え、会議に出ればいいんじゃないの?」


 軍法会議とは軍規に基づく裁判のことである。今回の卓人の行動は、国難を回避したという側面があると同時に、軍規に違反しているとの見方もある。


 軍が卓人を英雄として称えなかったのはそこに理由がある。今回の交戦に当たり、国境警備兵でもないただの予科生が戦端を開いてしまったという事実は覆しようがない。


 軍事力を厳しく管理しなければならない軍において何の権限もない予科生が勝手に戦ったというのはかなりの問題があった。


「じゃあ、その……裁判を受けないといけないのか……」


 落ち込む卓人の肩に、ルイザはそっと手をやった。


「軍がどういう判断を下すかわからない。だけど、あなたはこの国を救ったの。それが仮に言い過ぎだったとしても、少なくともこの孤児院の子たちは守った。誇りに思いなさい」


「あ……うん……」


 あのルイザが励ましてくれたのは意外だった。



 数日後、兵学校に戻った卓人は懲戒室に通された。現時点でここに通されたからといって必ずしも有罪と判定される訳ではない。単に聞き取りをするのに適した部屋がここだったというだけだ。


 本人からの聞き取りをしたうえで軍法会議を行うかどうかが決定する。そして会議ではどのような罪状を与えるかが審議されるのみで、この段階ですでに有罪は免れない。つまりこの聞き取りで罪の有無が決まる。


 寄宿舎の同室は、仲間の危機を助けるべく教官たちに掛け合ってくれた。すべて排除されたが、卓人はそれだけでもありがたいと思った。


 暗くて狭い部屋にずっと閉じ込められていると、急激に軍のことなどどうでもよくなってきた。


 エミリが魔法学校に行きたいなら、学費が払えるだけの稼ぎがある仕事をすればいいだけだ。それに軍にいても本物のタクトを見つけられる情報がこれ以上手に入るとも思えない。だったら軍なんて辞めてしまえばいい。


 ふっきれてしまうと随分と気持ちが楽になった。卓人は自分の好きなことだけを考えようと思った。


 その頃、仮司令部では一悶着が起こっていた。


「それは納得できませんな。一切の状況を知らないあなた方が聞き取りを行う前から判断を決定していようとは」


 露骨な不快感を示した教官はニコライだけではなかった。事件後、ティフリスから聞き取りの調査官三人がすぐにやってきた。


 こちらが戦っているときには一人の応援さえよこさなかったくせに。


 そして軍法会議にかけられることは既定事項であると告げた。


「どうおっしゃろうと、これは上が判断したことです」


 上と言われると、組織の人間としては反論が難しくなる。


「上とは、具体的にどなたを指すのでしょうか? 意思決定の過程として不適切なのは明らかです。こちらから問い質す必要があります」


「よせ、ニコライ」


 食いかかったニコライだが、結局他の教官が抑えることになった。


 調査官のリーダーであるダニエラは有能な女性であるが、人間的に歪んだところがあった。立場的に弱い者をいじめては喜ぶ。


「くくく。じゃあ、ナナリのタクトのところへ案内していただけるかしら」


 案内された懲戒室は扉が半開きにされている。取り調べを受ける者がおかしなことをしないか見張るためである。


 ダニエラはにまにまとしながら尋問対象をそっと覗いてみた。幼い少年がどんな罰を下されるのか怯えているかと思うと楽しくて仕方なかった。


 椅子の上で丸くなった背中に悲壮感がある。


 左腕の肘を膝に置き、左手は頭を支えるようにあごにそえられている。


 その目はさぞや失望の色に染まっていることだろう……


「はう?」


 思いがけないダニエラの反応に他の調査官が何事かと驚く。


「どうされましたか、ダニエラ中佐」


 しかし返答はなかった。


 そのまま中に入るでもなくじっと調査対象を見ていた。


 いや、見つめていた。


 そしておもむろに両手を頬に当てると一言つぶやいた。


「す、吸い込まれちゃいそう……」


 ダニエラは頬を染めていた。




「うはは! お咎めなしか、よかったじゃねぇかよ!」


 卓人は軍規違反には問われないことになった。


 レヴァンニたちは全身でその喜びを表現した。


 そもそも今回の件について騒いだのがダニエラだった。彼女の性分として敵を追い払ったという結果に手放しで喜んでいる連中が許せなかった。そして彼女の提言には妥当性があった。


 だけど言い出した本人が問題ないと宣言すればもはや問題はなかったことになる。


 ダニエラは見てしまったのだ。


 左手をあごに添え、じっくりと考える卓人の姿を。


 すべてがどうでもよくなった卓人は、これから聞き取りがあるというのに火の魔法に次ぐ魔法の仕組みを考察していたのだ。


 その姿は厳格な調査官の心の自由を奪った。もういじめるなんてできなくなったダニエラは、聞き取りもそこそこに卓人の無罪を宣言した。


「あははは、ありがとう」


「よっしゃ、エミリちゃんのところへ行くぞ!」


 エミリは兵学校の外で待っていた。


 兵学校の学校長が、卓人が軍人を続けられるという前提で、魔法学校受験までの三ヶ月間は家族に対する特例として寄宿舎へ住むことを勧めてくれていたからだ。軍法会議にかかればかなわないところだったが、もうそんな心配はしなくていい。


「よかったね、お兄ちゃん! ……え、うわ!」


 卓人はエミリを抱き上げるとぐるぐると回った。


「お兄ちゃん。あはははは!」


「やったな、タクト!」


「エミリちゃん、仲良くしようぜ!」


「おうおう、回れ、回れ!」


「いやー、よかった、よかった」


 そんな光景を遠巻きから見ていたルイザも喜びを隠さなかった。


 回りすぎて足がもつれると、卓人とエミリは草むらの上に転がった。見上げた空は、青く澄み渡っていた。


 さっきまで軍なんて辞めてやると思っていたのに、覆ってみれば自分でも驚くほどに嬉しかった。その喜びは妹を抱き上げるなんて自身でも信じられないような行動を導いた。


 そしてきっと同じ気持ちなのだろう。エミリは卓人の手を握ってきた。


 その手のぬくもりが伝わってくる。


 ――なぜ僕はここにいるんだろう。


 その思いは今でも消えることはない。


 だけどエミリが自分に向けてくる笑顔が、初めは悲しくにしか映らなかったのに、今はこの少女の兄としてここにいられることがうれしく感じられた。


 そして、魔法が使えるこの不思議な世界をもっと知りたいと思った。

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