第52話こうして勇者は旅立った
「おい、嘘だといってくれ。イアの兄貴が王様を脅しただなんて……」
店の常連兼母の幼馴染のルーベルは頭を抱えた。孫もいる六十代男性の常識では、イアの行動は受け入れられなかったらしい。
いいや、普通の人間ならば誰だって受け入れられないであろう。
「イアの兄貴の目が覚めたのはめでたいけど、王様なんてものを脅して大丈夫なのかよ。首とか切られないのか?」
ルーベルの言葉に、ルファは引きつった顔で笑った。
大丈夫ではなかったのは、実のところ王の方だ。
イア一人に王宮を占拠された王の恐怖と絶望は、想像を絶するものがあるだろう。絶対に安全だと思っていた場所が壊される恐怖など、ルファは想像もしたくない。
圧倒的な戦力差を前にして、王はイアの要求を飲むしかなかった。敗戦国の成れの果てを見た気分だったとは、ルファは誰にも言えない。
老いた王は、可哀そうなぐらいに小さくなっていた。
そして、そんな王にイアは約束を取り付けた。
フレジエの行動や人生には口を出さないし、干渉をしないことを。必要時には父親としての支援をすることを書面まで残して約束させたのである。
そして、イアとリーリシアは不死の呪から解放されたことも次いで発表した。
不死の秘密を狙っていたらしい王は、目に見えて落胆していた。ルファの気のせいなのかもしれないが、王はさらに老け込んだような気がしないでもない。
人智を超えた呪は、こうして誰の手にも渡ることなく消えていったのだ。
『あと、もう一つ我儘をいいかな。せっかくだし、いいよね。うん、いいよね?』
王を脅すといという前代未聞なことをしたイアは、ついでとばかりに要求を追加した。自分の実力を前面に押し出した脅しであったが、それに文句を言う人間は一人もいない。
「勇者としての身分の復活だなんて……。結局は、滅私奉公が好きな人なんだなぁ」
ルファは、大きなため息をついた。
勇者なんて面倒なものはすっぱりやめて、イアは町に落ち着くものだとルファは思っていた。だが、イアは勇者として弱者を救済する人生を選んだ。
そして、その活動の支援を受けるために勇者という身分の復活を望んだのである。これによってイアの活動には給金が発生し、安心して弱者に滅私奉公が出来るという仕組みである。
この件だけは、ちゃっかりしているなとルファは思った。
イアだって、無償での奉仕には限度がることは分かっていたらしい。
こうしてイアは勇者としての活動を復活させて、旅から旅の生活に戻っていった。だというのに、一週間に一度の頻度で手紙がルファ宛に届くのだ。手紙は何枚も書き綴られていて、身内ながらルファを呆れさせる。
イアは様々な土地をめぐって、色々な人を助けているらしい。そして、今日も誰かの人生にかけがえのない足跡を残しているようである。
リーリシアはイアとの同行を望んだが、断固拒否される。小さなトカゲの姿になってまで荷物に紛れ込もうとしたのに、気配に敏感なイアに見破られてリーリシアは暖炉に放り込まれそうになっていた。
まがりなくとも邪竜を名乗っているのだから暖炉にくべられるぐらいでは死なないと思ってルファは静観していたのだが、リーリアスの本気の抵抗ぐあいに怖くなって間に入ることになった。
似たような事件が何度も起こったこともあり、リーリシアはイアの旅に同行しない事が決定した。同行したら、間違いなくリーリシアが殺されるからである。
リーリシアの愛情表現が過剰だったので彼は伯父と仲が良いと思っていたルファだが、邪竜側の一方通行の愛だったらしい。おかげで、土竜の在庫管理は今でもリーリシアの仕事だ。
定住していないイアに直接手紙を届けることは難しいので、ロージャスからの手紙はルファが一時預かることにしている。
ロージャスにはイアが目覚めたことを手紙で知らせたのだが、機会があったら再会したいと熱烈なラブコールが帰ってきた。可愛らしいことだ。
「ニワトリの羽はむしり終わったが、爬虫類は羽も食べたりするのか?」
料理にすっかり慣れたシリエだが、ルファに味には届かないと言って店で修行を続けている。従業員の一人としても馴染んでいるが、リーリシアの扱いだけは相変わらず雑である。
スーリヤは、リーベルトの町を拠点にして占い師として稼いでいる。ときたま帰ってきては、また違う街に向かう日々だ。
フレジエは、王都ではなくてリーベルトの町に住むことにしたようだ。最初こそ普通の女性として王都に腰を据えようとしたのだが、考えていた以上に馴染めなかったという。
そんなときに、リーベルトの町に来ないかイアがと誘ったのだ。
イアやルファの母の存在に慣れている町の人々は、新たな労働力を喜んで迎い入れた。慣れない田舎暮らしにフレジエは四苦八苦しているようだが、周囲の人間に頼りにされる生活には充実感を感じているようだ。
ところで、シリエ、ロージャス、スーリヤ、フレジエの好意の行方なのだが――イアには全く届いていなかった。
眠っている間も意識があったイアは、自分は六十代だと考えているらしい。そんな老人の元に、四人の若い娘が好意を寄せるわけがないと笑うのだ。
「彼女らは、ルファが好きなんだと思うよ。僕のことなんて言い訳だよ。言い訳」
イアは、あろうことか四人の本命はルファだと思い込んでいる。自称六十代の伯父は甥っ子に春の気配を感じているが、残念ながら盛大な勘違いだ。
ルファは相変わらず独身で、土竜で料理と酒を提供している。人手は増えたのでやれることは増えたが、前の生活とさほど変わらない日々が続いていた。
静かな生活で、静かに閉じゆく人生なのだろうが、ルファ自身の人生も誰かに影響を与えるのだろう。ルファは、その影響のきっかけが料理であればいいなと最近は感じるようになった。
ああ、違う。
「おかえり」
この言葉が、人を笑顔にする魔法になったぐらいか。
「この隠し味は、妹が教えたのかな。あのね、君のおばあさんも使っていたんだよ。僕の妹を産んだお母さんのことね。その人は、牛乳が好きだったんだ」
自分の料理を口にしたイアは、思い出したかのように甥に沢山のことを語った。
それは、ルファが知らない家族の一面だ。
同時に、自分の料理の奥底には家族の面影があるのだとも知った。自分の料理が誰かに影響を与えたならば、家族の面影も引き継がれるのだろう。
誰だって、誰かの人生に足跡を残していく。
眠ったままの勇者の伯父さんが、甥っ子の俺の店でハーレムを作っている 落花生 @rakkasei
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