第51話君がいたから僕らがいる


「おい、馬鹿伯父」


 イアは、最愛の妹が生き返ったのではないかと思った。聞こえてきた声は男性のものだったのに、彼女の面影をたしかに感じたのだ。


「聞こえてないのかよ。馬鹿伯父!」


 イアは振り返ってみれば、そこにいたのは甥のルファだ。思いもよらない人物の登場に、イアは落胆しなかった。むしろ、喜んだ。


 自分の人生のなかで、最も愛した人の縁が眼の前にいる。


 何十年も眠った人生のなかで、唯一の喜びが自分を見ていた。これ以上の幸福があるなら、自分に教えて欲しいぐらいだ。


「あ……」


 イアは自分のおこないを思い出す。ルファが謁見の間に来る前に、彼は倒れた人間を山ほど見たであろう。甥は、自分をどのように思ったのだろうか。


 イアは、それを不安に思った。


 しかし、イアの不安は杞憂であった。


 一般的な町人では見ない光景だったはずなのに、ルファは伯父に恐れなど抱いていなかった。堂々と歩く姿に、イアは自分の甥を誇らしく想う。


 甥は、先祖返りではない。


 強くはない人々の臆病さをイアは知っていたが、甥は脅えてなどいない。イアと向き合うために、彼は覚悟を決めて伯父の前に立っているのである。


「ルファ……。あのね、僕は一つの目的の為だけに作られたんだ。その目的さえおこなえば、僕の人生なんて無意味なものだった。妹との日々も、愛してくれた人たちも、目指したものだって無意味なんだよ」


 イアは、自分の気持ちを吐露した。


 自分の人生の無意味さを知ったときの失望感は、今でも忘れられない。


 自分の人生が一つの目的ためだけあり、そのためだけの人生であった。


 全ての出会いと幸福は、たった一つを叶えるだけのものだったのだ。


「僕の人生に意味なんてない。僕ではなくても良かった人生なんだ。僕という存在は、いくらでも替えがきく人形なんだよ」


 リーリシアは、悔しさで拳を握る。


 イアを狂わせたのは、間違いなく自分のせいだ。


「勇者、我を殺せ。勇者の人生を無為にした罪は、我の命で償おう!」


 それが、リーリシアにとっての唯一の償いだった。しかし、そんなものはイアの慰めにはならない。イアにとって、リーリシアの命など価値がないのだ。


「ごめん。君の生死なんて、僕にはどうでもいいんだ。それに、君に償うべきことはないよ。だって、僕は君がいなければ存在することもなかった。そんな君がどのように生きようが死のうが、もう僕には関係がない」


 リーリシアには、イアが助けてくれと言っているように思えた。


 自分の人生に意味を見いだせず、喜びさえもイアは感じない。そして、今まで出会った良き人々に感じるのは罪悪感だけである。


 彼らとの出会いすらも、イアの人生では無意味なものだったからだ。


 いくらイアが苦しんだとしても、リーリシアでは何も出来なかった。自分の存在はイアを苦しませるだけで、救うことなどできない。


「おい、自分勝手に自分の人生を語るな」


 ルファは、低い声で唸った。


 そして、足音を響かせてイアに近づく。


 イアは、自分に近付いてくる甥の存在を愛おしそうに見つめる。他人が見たら、甥と妹との共通点は少ないであろう。


 髪色も瞳の色も顔立ちすらも違うのである。


 それでも、イアにとってルファは妹の忘れ形見に間違いなかった。


 彼が産まれたことで、妹の人生は喜びに彩られたものになっただろう。優しい妹は、息子の成長を愛しげに見つめ続けたに違いない。


 ルファには、感謝してもしつくせない。


「おい、歯を食いしばれ」


 三十代の老い始めた甥は、若々しい肌をした伯父の顔を殴った。


 ルファにとっては渾身の力を込めた拳であったが、イアは目を白黒させるだけである。痛みを感じている様子はない。だが、戸惑ってはいる。


「あ……えっと……。あの……」


 イアは殴られた理由が分からずに言いよどむが、ルファはそれを睨みつける。


 ルファの様子を伺うイアの顔は、とても幼かった。青年期で眠ったイアは、時の流れこそ感じていたかもしれない。けれども、何かを経験するということはなかった。


 成長は出来なかったのである。


 未熟で寂しがり屋の勇者は、何も学べてはいなかった。怒りの矛先も、悲しみの訴え方も分からなかったのだ。イアは眠ってしまって成長できず、その心は未熟で若いままだった。


「俺は、小さい頃から伯父さんの事を聞いて育ったんだよ。俺は伯父さんに憧れた時期もあったし、伯父さんみたいになれないんだって無力感に苛まれた時期だってあった」


 側にいなくとも伯父の存在は、ルファにとっては大きかった。彼がいなければ、ルファの少年期は違うものになっていただろう。今のような人生だって、送っていなかったかもしれない。


「母さんだって、そうだからな。母さんは最後まで伯父さんが生きているって、信じていたんだよ」


 それを哀れだとは思わない。


 だが、母が開いた店は残そうと思った。


 兄が帰ったときに、居場所を残しておきたいという母の気持ちは痛いほどに分かっていたから。母が言葉にしなくとも、いつも痛いほどに伝わってきていたから。


「あんたが、自分の人生を否定するな!俺たちは、その人生に振り回された。でも……それが俺たちの人生だ。伯父さんが伯父さんを否定したら、母さんと俺の人生も否定される」


 ルファが思い出すのは、いつだって笑っていた母の姿だ。母はいつも幸せそうで、根拠のない自信で満ち溢れていた。


 それは、深く愛されたせいなのだとルファは知っている。


 自分を肯定され、抱きしめられた温度で愛を実感しつづけた人間は身勝手になる。母は、そんな幸せな身勝手さを持っていた。


 そして、自分は会ったこともない伯父の存在や生き方に心を揺すぶられた。比べては自分の無力さを実感し、手紙の文面に呆れ、町に住んでいては知らない知識と世界の広さを知った。


「あんたが自分を否定することは、俺と母さんを否定することだ。俺たちのだけじゃない。あんたが残した実績や伝説に影響された人間だっているんだ」


 自分の人生を否定するには、イアは立派に生きすぎた。


 伝説を残しすぎた。


 そして何より、家族を愛しすぎた。


「ルファ、君は肯定してくれるの?僕の人生を……僕の存在を」


 ルファは、ため息をついた。


「最初から自分を否定しているのは、あんただけだよ」


 イアは、甥に向かって手を伸ばす。


 手が届くまでの距離は、家族が離れた距離だった。


 いくら願っても埋められない距離であった。


 それでも、今だったら埋めることが出来る距離だった。


 イアは、ルファを思いのままに抱きしめる。全身で甥の身体を確認すれば、彼は自分よりも身長が高かった。自分よりも立派になった甥っ子に、涙と笑いが同時に込み上げてくる。


 イアの体重を支えきれなかったルファは、ごろんと床に転がってしまった。背中をしたたか打ったのでリーリシアに助けを求めようとしたが、胸元で鼻をすする音がしたので止めることにする。


「今更だけど……。おかえり、伯父さん」


 イアは顔をあげて、涙を浮かべたまま笑っていた。


「ただいま」



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