9 映す

少し前に遡る。


古びた無人駅のホーム。

駅舎に付くように設置された、青い古ぼけたビニル製の椅子に伊予たちは座っていた。

外と同じように夜ではあるが、外のそれよりもずっと濃い闇。

その暗さが、伊予にとっては心地よい。

目の前にいる標的に視線を戻す。

伊予と比奈の目的は、彼を足止めすることだ。

本来ならば、鏡合わせにまったく同じであるはずの彼に、は似ていない。

が言うには、オリジナルのほうが見てくれを偽っているらしい。

も、伊予も比奈も、オリジナルになることが目的だ。

伊予と比奈は、既に成功している。

小細工をする必要もなく、呆気なく成功した。

世の女子中高生は、本当にちょろい。

眼前の彼も、本当なら隙などできないらしいのだが。

が言うには、他人に甘いというか、一般人を警戒せず、庇護する傾向にあるらしい。

それなら、今までにでもが成功していそうなものだが、曰く、今までは厄介な人が近くにいたのだとか。

その人を遠ざけ、かつ「きさらぎ駅」による空間断絶をして、万全に近いと自負している。

壁際で座り込みながら、彼を観察する。

唐突に、彼が口を開いた。

「ところで、一つ聞きたいことがあるんだけど」

質問の予想とその回答の候補をいくつか浮かべながら、訊き返した。

「なんですか?」

けれど、彼の質問はその予想したパターンの中には無かった。

「君たちのオリジナルはどうしたの?」

「えっ?」

驚愕よりも、困惑が勝った。

——何を言っているのか、こいつは。

バレるはずがないのに。

今は伊予たちがオリジナルなのに。

「なにを言っているんですか。オリジナルは私達ですよ」

「そうか」

彼は少し目を伏せた。

「もう成り代わった後なんだ」

「なにを……?」

「だってさ」

視線を戻して続けた。

「普通、オリジナルとはなんのことか、とか、そんなことを聞くだろう? なのに君たちは、オリジナルが自分だと言った。まるで自分を否定されたみたいに」

まさか、と思う。

嘘だ。

完璧に入れ替わったのに。

バレるはずがないのに。

「君たちは、ドッペルゲンガーだ」

こんなことはおかしい。

嘘、バレるなんて。

——バレたなら、消さなくちゃ。

でも、伊予たちではできない。

それなら。

——人に頼ればいい。

「……先輩!」

背後から、一つの影が彼に躍りかかった。

彼は、とっさに振り返ったけれど、遅い。

そのスピードなら、先輩を避けることなんて出来はしない。

しかも、彼女のほうは、身体能力が高い。

降り下ろした拳が見えて——そのまま空振りした。

理由は簡単だ。

拳が当たる前に横に跳んだからだ。

避けたにしては、奇妙な動きだった。

まるで、何かに——糸か何かに、引っ張られたかのようだった。

「……」

彼女は、黙って彼のほうに目を向けた。

「……そういえば、君たち、さっき俺のことをお兄さんって呼んでたっけ」

「それがどうかしました?」

比奈が先に答えた。

だったら何だというのだろう。

彼はゆっくりと立ち上がった。

「今の俺の外見は及のだから、普通、お兄さんなんて言わないよね」

そのまま、裾を軽くはたき、襟を正す。

「情報はちゃんとあるってわけだ」

彼女の長い髪が揺れる。

彼は、彼女——と瓜二つな彼女を見据えた。

「まあ、な」

“もともとの折塚及”のドッペルゲンガーは、不敵な笑みを浮かべた。

「情報のない中でお前らに挑むような馬鹿じゃないんだよ、こっちは」

彼は、そっと後ろに下がった。

「そっか。でもね」

また一歩、後退した。

「まだ情報収集が足りなかったかな」

彼がそう言った次の瞬間。

伊予と比奈の存在が掻き消えた。


   ●


「今のを避けるのですか」

奴ではない、だれかの声が響いた。

何が起こったか、私にはわからなかった。

奴は何もしなかった。

それは確かなのに、瞬きするほどの時間で、後輩二人は血煙になって消えた。

ただ、ふと厭な予感がし、後方に飛びのいたのは正解だった。

理解が追い付かなかったが、まず間違いなくその声の主の仕業だろう。

「……なにをした?」

「俺は別に」

奴は、ぬけぬけと言い放った。

「こちらだって、一人じゃないってことだよ」

つまり、奴には協力者がいて、そいつがあのよくわからない攻撃をしたのだろう。

奴の動きと、得体の知れない攻撃。

その二つに気を払うのは、かなり骨が折れる。

はっきり言って、こちらの分が悪い。

「それに」

奴は畳みかけるように何かを持った手をかざした。

「これは羅針盤といって、特定の物や人の位置がわかるものだけれど」

これが指しているのは誰だろうね、と問いかけるように言った。

思考を巡らせ、ある可能性を思いついた。

「……折塚及か」

もしそうだとして、奴がそれを見せつける理由は何か。

答えはただ一つだ。

折塚及、つまり私のオリジナルが近いのだろう。

一人だけならなんとかなるやもしれないが、目の前の奴は間違いなく敵で、オリジナルのほうも疑いようもなく敵だ。

逃げる以外、選択肢は無いに等しいが、正体のわからない攻撃があることを鑑みると、簡単に逃がしてくれるとは思えない。

つまり、詰みだ。

しかし、ただ私を消そうとするだけならば、それを見せる必要はない。

考えうるとしたら、時間稼ぎか、可能性が高いのは。

「何を要求する?」

可能性が高いのは、交渉だろう。

「理解が早くて助かるよ」

案の定、奴はそう答えた。

助かるよとは言っているものの、表情は全く変わらない。

「こちらからの要求は一つだけ。ここを閉ざしている何らかの現象を取り除くこと。あとは逃げようが再戦しようが好きにしたらいい」

「なんのことか——」

「気づかないと思ってる? 俺がきさらぎ駅ここを復活させたとき、こんな、入ったら最後抜け出せないような場所にした覚えはないんだけどね」

奴の語気が少し荒くなったのがわかった。

あくまでも対話の域を出ないものではあったが。

しかし、私は。

「それは私ではないよ」

「……は?」

「私にそんな芸当はできない」

奴が眉をひそめた。苛つきと戸惑いが手に取るようにわかる。

「さっきお前が言った通り、こちらも一人じゃあない。後輩たちはものの数には入らんだろう」

思考に偏ったのか、奴の、張り詰めたような気配が一瞬途切れた。

その隙をついて、奴に肉薄し、間合いの内側に入り込んだ。

「油断したな」

そのまま左足を軸にして薙ぎ払うように胴の部分を蹴った。

駅舎の壁面に激突したのを後目に、遅れてやってきた斬撃を躱す。

「お前ひとりなら相手できるさ。不確定要素を排除できたなら、な」

何処かで聞いているだろう、協力者と思しき人物に向け、つぶやく。

「それに、お前はもうこちらに干渉できないはずだ」

を千切りながら、こんどは独り言をこぼした。

髪の毛よりも細い糸が、きらきらと蛍光灯の光を反射した。

糸使い、といったところだろうか。

攻撃や捕縛など、多数の手があるのは厄介だが、糸さえなければ何もできない。

倒れた奴に歩み寄り、襟を掴む。

背面を強打したからか、動きの鈍い奴を血溜まりに突き落とす。

「確か、血液が駄目だったんだよな」

碌な抵抗もされず、とどめを刺そうとした、その時だった。

パン、となにかが破裂したような音がして、音の方向から光が差した。

振り向くと、にヒビが入っていくのが見えた。

一瞬の戸惑いの後、すぐに次の行動を開始する。

ひび割れの正体については、考えるまでもない。

「悪運の強い奴め」

奴を突き放し、駅のホームの外に走り去っていく。

ふと思いついて、振り向き言った。

「じゃあな、囮くん」

そして、闇に向かって走り出した。

あとは、ただ一言呟くだけでよかった。


   ◉


「は……?」

かなりの範囲に広がった血の池の中心に、横たわる人が一人。

長い髪が赤黒い中に浮かんでいる。

絶句し、立ち止まった僕を後目に、及さんがその人——囮に駆け寄る。

「……生きている。問題ないな」

何を見たのか、及さんがそう判断を下す。

倒れてるのはかなり問題あるんじゃないか……?

「囮には悪いが、好都合と言えば好都合だ」

「どういうことですか?」

なにが好都合なのだろうか。

疑問は呈した僕に構うことなく、及さんは囮の片手をとる。

少し身動きしたようにも見えたが、関係ないとばかりに。

そして、彼女はただ一言だけ呟いた。

「解けろ」と。

光が弾けたように思うが、認識には自信がない。

それからあとは、ほんの一瞬で終わった。


_______________


今回と次回、かなりややこしいので、次回公開後に近況ノートに解説を載せます。

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折塚及の怪談消去 櫻井桜子 @AzaleaMagenta

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