8 停まる

ひときわ大きな振動がきて、比奈ひなは目を覚ました。

周囲を見渡すと、電車はがら空きだった。

というよりも、比奈と、その隣に座る友人の他、誰もいない。

窓の外には、見慣れた都市の明かりではなく、電車内からの光に照らされた田や畑が広がっていた。

どうも降りる駅を寝過ごしたらしい。

慌てて友人の伊予いよを揺り起こす。

「……ん、寝てた?」

伊予は、呑気にそんなふうに問うた。

「寝てただけで済んだらよかったんだけど……。どうも、寝過ごしたみたい」

「ええ!?」

伊予は、さっと電車の電光掲示板を見て、次の停車駅を確認した。

……が、掲示板は壊れているのか、到底文字には見えない記号の羅列が表示されていた。

しかし、光っている電球の場所から、ひらがな四文字で構成された駅名であるような気がした。

スマホの地図アプリで位置情報を確認しようにも、調子が悪いのか、『GPSの情報がありません』と表示された。

まもなく、電車はトンネルに突入した。

わずかに立っていたアンテナも、完全に消え失せた。

「とりあえず、次の駅で降りてみる?」

「そうだね。あまりにも遠くに行ったら、手の打ちようもないから」

電車がトンネルを抜けた。

トンネルを抜けても、そこは雪国だったわけでも異世界だったわけでもない。

入る前と同じ、田園風景が広がっていた。

しかも、もう夏だというのに、何も植えられておらず、雑草が生い茂っていた。

縦横に走るあぜ道で、辛うじて食物を育てる場だったのだとわかった。

はるか遠くに街の明かりが見えたが、見覚えのある気はしなかった。

と、車内にアナウンスが響いた。

『次は、————駅。————駅です。お降りの際は、足元にお気を付けください。』

聞いたことのない駅名だった。

古い車両なのか、音声が酷く割れており、正確に聞き取ることなど出来はしないが、それでも耳に覚えのない駅だというのはわかった。

徐々に車体が減速し、そして停まった。

空気の漏れるような音と、扉が引っ掛かる、ガガ、という音を伴い、電車のドアが開いた。

比奈と伊予は、吸い込まれるように——或いは吐き出されるように——ドアから車外に出た。

古く小さいホームだった。

表面の剝がれたコンクリートからは雑草が顔を覗かせ、屋根はあったものの、それについている蛍光灯は切れかかっていた。

金属製の青いベンチは、錆びて赤茶色が覗いていた。

ホームの端に塗ってある黄色い塗料はかすれていて、落下の注意喚起にほとんど役立っていない。

線路以外の場所は、背の高い雑草が埋め尽くしていて、他に道があるように思えなかった。

ホームにある看板には、「きさらぎ駅」とあった。

「ここも繋がらないね、電波……」

伊予の言う通り、アンテナは一本たりとも立たない。

電話をかけてみようと思っても、電波の届かない所にいると音声が告げた。

勿論、GPSも復活していない。

と、比奈の目にあるものが留まった。

「ねえ、これ……」

それは、電車のダイヤ表だった。

スマホで確認した、現在時刻は19:37。

終電は、19:35。

つまり、先ほど比奈と伊予が降りた電車が、この駅の終電だったのだ。

しばらく俯いて考え込んだ後、伊予は口を開いた。

「いっそ、トンネルの向こうまで歩いてみる?」

「トンネルよりこちら側に行ったことないからわかんないだけかもしれない……から?」

比奈が問い返すと、伊予は頷いた。

確かに、このまま何もせず朝になるよりずっといいかもしれない。

意を決し、線路に降りようとした、その時だった。

「止めたほうがいいと思うよ」

背後から声がした。


「で、なんで君たちはここにいるのかな?」

囮は、彼女たちにそう問うた。

見たところ、女子高校生の二人組のようだ。

肩の長さまでの髪型のほうが栗原伊予くりはらいよ、ひっつめのほうが弥生比奈やよいひなと名乗った。

「電車を寝過ごしてしまって……。気づいたら、知らない所を走っていたので、ここに降りました」

「あの、ここってどこですか?」

伊予の問いに、囮は答えた。

「ここは、きさらぎ駅。ちょっと特殊な駅でね、人が寄り付くことは滅多にない」

「どうやったら帰れますか?」

「特殊って、どういうことですか?」

立て続けに交わされる質問に、二人を宥めながらまた答えた。

「どうやったら帰れるかは、まだわからない。電車が来たところで、帰れるかは怪しい。それから、どう特殊か、という話だけれど。ここはね、本当は存在しない駅なんだ」

「……え?」

「……でも、歩いて行ったらいつか戻れるんじゃないですか?」

「あまりお勧めはしない」

「なんでですか?」

一瞬、言葉に詰まり、諦めて続けた。

「それはもう試したよ」

「……戻れなかったんですか、お兄さん」

黙って首肯する。

ホームから降りて、行く当てもなく探索してみたが、遠方に見えた明かりを目指すと、元の場所に戻っていたのだ。

他のルートを試すも、結果は同じだった。

勿論、線路も。

つまり、トンネルに行くことはおろか、ここから離れることさえできないのだ。

(……及なら、簡単に出られただろうけど)

囮の力が破壊に向いていないのは、誰よりも自分が知っている。

(考えても仕方がないが……。どうしたものか)

それにしても、と囮は二人の少女に向き合った。

意外にも、あまり動じていない様子だ。

昨今の女子高生は肝が据わっているのだろうか。

それにしてもかなり落ち着いている、そう思った。


   ◉


数十分後。


「この反応からして、かなり近いと思うんだが……」

及さんは、羅針盤を手に、先の空間を見つめた。

「それにしても、囮が怪談のすぐ近くにいるのって、珍しいですよね。何か思惑があるんでしょうか」

「そうですわね……」

誰ともなく呟いたのを、導子さんが拾った。

「おそらく、空間支配系の怪談ですから、復活した途端怪談を展開し、うっかり巻き込まれたのだと思いますわ」

意外と詰めが甘い……?

「まあ」

及さんは、羅針盤を懐にしまった。

そして、何もない空間へ、拳をたたき込んだ。

……もはやそんなに驚かなくなってるな、僕。

及さんが殴ったところを起点として、蜘蛛の巣状にヒビが走り、向こうに別の空間が現れた。

「本人に聞けばわかるだろう」

ヒビの入ったところを蹴り飛ばし、穴を拡大してから、それを潜った。

導子さんから急かされて入って、それに気づいた。


錆びた鉄のようなにおいと。

ホームに赤黒く広がる血だまりと。

その中心で倒れた人がいた。

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