残念
増田朋美
残念
その日も暑い日で、日中は暑いのであるが、朝と晩はかなり涼しいなと感じられるようになった。そんな中、杉ちゃんとジョチさんは、富士駅近くの商店街を買い物していた。
その商店街の中には、学生服を販売している店があった。そこに一人の松葉杖をついた男性が、詰め襟学生服を着用しているマネキンをしげしげと眺めていた。
「何をやっているんだよ。川村千秋さん。」
いきなり声がして、男性は後ろを振り向いた。
「そんなに真剣に学ランを眺めて、何をしているのかな?」
「い、いや、単に学生生活するときの服装って、こういうものなのかなと思いまして。それだけのことなんですが。やっぱりね、学生服は、長年の憧れというかなんというか。」
「そうなんですね。」
川村千秋さんがそう言い訳すると、ジョチさんはにこやかに笑って言った。
「それでお前さんは、単に憧れの気持ちで詰め襟学生服を眺めていたのか?」
「まあ確かに、学ランは学生しか着られませんからね。」
二人は、なるほどという顔をする。
「それでお前さんはどこから来て、何処へ行くつもりなんだよ。」
杉ちゃんに言われて、川村千秋さんは、
「いやあ、大したこと無いんですけどね。本当に自宅からお使いがあって、ただこさせてもらっただけのことです。それではいけませんか?」
と言ったのであるが、
「いや、それは違うね。お前さんの顔を見ればなんとなくわかるもん。お前さんはなにか悪いことがあって、ムキになって飛び出して来たんじゃないの?」
杉ちゃんに言われて、川村千秋さんは、申し訳無さそうな顔をした。
「ほらあ、やっぱりそうだ。何かあったの?支えてること吐き出しちまえよ。どうせ、お前さんはちゃんと歩くこともできんのだし、隠し事をずっともっていられるタイプじゃないよ。そういうことなら、ちゃんとはじめから終わりまで話した方がいい。そうでないと、ぶっ壊れてしまうからな。はははは。」
「ここでは、長時間居ることもできないでしょうから、製鉄所へ戻ってみますか?」
とジョチさんは二人に言った。すぐにスマートフォンでタクシーを呼び出して、三人は製鉄所へ戻った。製鉄所と言っても、鉄を作るところではなく、居場所がない人に勉強や仕事などをさせる部屋を貸しているフリースペースのようなところである。
杉ちゃんとジョチさんは、段差も上がり框もない製鉄所の入り口から中へ入り、川村千秋さんにも中に入るように言った。川村千秋さんは、日本舞踊のような特徴的なあるきかたで中に入った。
「とりあえず、お前さんの身に起こった事を話してもらおうか。あれからどうなったの?望月学園に入らせてもらったのではなかったの?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい、裕子さんと一緒に望月学園に編入しようと思ったのですが、彼女のほうが優先的に入学させられて、僕は少し待ってくれと校長先生から言われました。それでやっぱり、僕は、だめなんだなと思ったのです。」
と、川村千秋さんは答えた。
「そうか、お前さんだけ、編入を待ってくれと言われたのか。」
杉ちゃんは川村千秋さんが言った言葉をそのまま返した。時々言われたことをそのまま返されると、何故か安心することもあるのである。
「何のためにしばらく待たなければならないのか、理由を聞いたりしましたか?」
ジョチさんがそういうと、川村さんは、
「はい、教室のドアを作り直すとか、色々しなければならないことがたくさんあると言われました。でも、それは多分きっと、僕みたいな人間を受け入れる気がないんだってことが、表情を見ればわかりましたから、この学校はのぞみがないって、それで落ち込んでしまいました。」
と、言うのだった。やはり通信制高校と言っても所詮は学校だ。面倒を起こしてしまいそうな生徒は、即退場ということができるのも学校である。そして学校自体は、被害者の顔をして存続している。
「まあそうだねえ。学校と言っても人を選ぶからねえ。それでもお前さんは学生になりたいんでしょう。ああして学生服を眺めていたんだから。」
杉ちゃんは川村千秋さんに言った。
「どんな人だって、教育を受ける権利がありますからね。それを求めるのは、本来評価されなければ行けないはずなんですが、貴男のような、歩くのもやっとという体では、通信制高校もなかなか受け入れてくれないでしょう。それは仕方ないといえば仕方ないことでもあるんですけど、でも貴男は教育を受けたいんですね。」
ジョチさんは腕組みをしてなにか考え始めた。
「学校へ行きたい、勉強したい、そういう気持ちがあるのはとても素晴らしいことで、理解できます。でも残念ながら、貴男のような方を教育してくれるところは、正直に言えば何処にもございません。」
それと同時に製鉄所の玄関の引き戸がガラッと開いた。ジョチさんが出てみると、柳沢裕美先生であった。
「こんにちは。今日は、診察で伺いました。水穂さんはどうしていますか?」
柳沢先生はそう言いながら製鉄所に入ってきた。そして四畳半に行って、患者である水穂さんのところへいき、体調はいかがですかとかいろんな事を聞いた。そして水穂さんの体を差あったり叩いたりして体調を調べていた。
「水穂さんは、色々見てもらえて良いですね。僕は担当医どころか、話を聞いてくれる人さえも居ませんよ。」
川村千秋さんは、ちょっと辛そうに言った。
「ほんなら聞いてもらったらどうなの?聞いてくれる人が居ないんだったら、医者なんてそのために居るようなもんさ。ちょっとお願いしてみたら?」
と杉ちゃんが言ったため皆びっくり。なんでそんな発想になるのかと、みんな驚いていたが、
「ほんなら、僕が代理で言ってやるわ。こいつがな、勉強したいのに、行ける学校がなくて悩んでいるんだ。なんでも足が悪くて上手に歩くこともできないらしいわ。なんとかこいつを学校へ行かせてやれないもんかなあ?」
杉ちゃんは、ペラペラと柳沢先生に言った。柳沢先生は、川村千秋さんの顔や体などをしげしげと眺めて、
「そうですか。確かにそのような体ですと、学校へ行くと言うのは、難しいのかもしれませんね。」
と言った。
「やっぱりだめかいな。」
と杉ちゃんが言うと、
「そうですね。今の学校はそのような方を受け入れる設備のある学校というのは非常に少ないんですよね。例えば、段差がない学校なんて何処を探しても無いでしょう。でも勉強をしたいという意志があるのは、目を見ればわかります。」
と、柳沢先生は言った。
「だからさあ、それを利用してなんとかならないもんかなあ?」
杉ちゃんがまたいうと、
「そうですね。例えばですけど、学校へ行くということはできないかもしれませんが、家に教師が来てくれて、それで勉強をさせてもらうというやり方はどうでしょう。以前、診察した生徒さんで、制服の素材が合わないばかりに、学校にいけなくなってしまった生徒さんが、教師に家に来てもらうことにより、高卒程度認定に合格した人がいました。それならいかがでしょうか?」
「つまりカバネスか。」
柳沢先生がそう言うと、杉ちゃんがでかい声で言った。
「ええそういうことになりますが、そういう学校へいけなくなってしまった生徒さんのために。福祉的な意味で家庭教師を派遣してくれる学校もあります。だからまず、学校の先生に来てもらうというやり方で、勉強をしたらいかがでしょうか?今なら、オンラインで勉強することも可能です。」
「なるほどね。ほんならそういうやり方で、勉強させてもらうか。」
杉ちゃんの答えはいつでも単純であった。思った事をなんでも口にしてしまうだけではなく、ひとに言われたことを簡単に受けてしまうくせもあった。
「それじゃあ、学ランは着れないけどさ、それでも勉強はできるじゃないか。」
「ええ。もしよろしければ、そのような生徒さんを支援する団体を知っていますから、お教えしましょうか。先程、感覚過敏で学校にいけなくなってしまった生徒さんが、お願いした場所です。」
柳沢先生は、そう言ってメモ用紙に団体名と、電話番号を書いた。
「ありがとうございます。柳沢先生。それでは、代表の僕が、電話します。」
「おうおう。善は急げだよ。すぐに電話をかけてしまおうぜ。」
と、杉ちゃんに急かされてジョチさんは、スマートフォンをとり電話をかけ始めた。電話に応答したのは、女性であった。
「ああ、もしもし。あの、こちら富士市の社会福祉法人の者ですが、一人、学習支援が必要な男性がおりますので、彼の下へ一名講師の派遣をお願いしたいのですが。」
ジョチさんがそう言うと、応答した人はすぐになれているらしく、
「わかりました。こちらに所属している教師は、全てアルバイト教師は誰もおりませんので、安心してくださいね。それでは、すぐに手配いたしますので、生徒さんのお名前や年齢などを教えていただけますか?」
と、応答してくれた。ジョチさんは、川村千秋さんの名前と、重度の障害があり、上手に歩くことができないと伝えると、
「わかりました。それでは、明日の一時でいかがでしょうか?名前は藤原沙織という女性の教師がそちらに伺います。えーと、住所など教えていただけましたら幸いなんですが。それとも、会議室など確保していただければそこでも構いません。」
話は、簡単に決まってしまった。
「はい。それでは、こちらに来ていただければと。住所は静岡県富士市、大渕です。はい。よろしくお願いします。」
と、ジョチさんは、製鉄所の住所と電話番号を伝えると、応答に出た女性は、わかりましたと言って、電話を切った。ジョチさんも電話を切って、
「明日の一時にこちらへ来るそうです。」
と言った。
「名前は、藤原沙織先生。なんでもプロ教師のようですがまあ、そのあたりはわかりませんね。学生がアルバイトと言う事もあると思いますけど、それはこちらだけでは、わかりませんからね。まあ、気をつけていきましょうね。」
「はあ、藤原沙織。なんかどっかのお嬢さんのような名前だけど、本当に頼りになるのかな?」
杉ちゃんは疑い深く言った。
それではその翌日。
杉ちゃんたちは、予定通り、一時に製鉄所に集合した。とりあえず応接室のエアコンをきかせて、杉ちゃんたちはその教師が来るのを待った。そして、一時の鐘がなると、
「こんにちは、藤原と申します。」
と、若い女性の声がした。
「ああどうぞ。お入りください。」
とジョチさんが言うと、藤原沙織という女性は、応接室に入ってきた。なんだかものすごく派手な服装の女性だった。黒のリクルートスーツを来ているけれど、赤いスカーフをつけて、とてもカッコつけているような女性である。
「こんにちは、僕は、この福祉法人の代表で曾我と申します。こちらの法人は、一応、精神疾患などで不自由なところのある人達が、勉強したり、仕事をしたりするところを貸したりするところとして機能しています。それで、今日、お宅に学習支援を申し込んだのは、こちらの方で、名前は川村千秋さん。足など不自由なところがありますが、勉強をしたい意志はちゃんともっている方ですので、よろしくお願いします。」
ジョチさんが藤原沙織さんにそう言うと、
「はじめまして、藤原沙織です。本日のご依頼は、勉強を教えてほしいということでしたが、何処か上級学校に進学するためのご依頼でしょうか?」
と、藤原沙織さんは言った。
「そういうことじゃないよ。それより勉強したくて、お願いしたんだけど?」
杉ちゃんがすぐに口をはさむ。杉ちゃんという人は、すぐに他人の話に口を挟むのだった。
「ですが、私どもは学習支援として、大学受験などを目指すことをお約束としていますが?」
藤原さんはそういうのである。
「まあ、そうだけどねえ。上級学校を目指すことだけが、勉強することじゃないだろ。それより、彼には、学校に行きたいけど、いけないというハンデがあるんだ。こういうふうに松葉杖をつかないと、ろくに歩けないんだって。学校なんてさ、段差だらけで、こういう足の悪いやつには、向かないじゃないか。だから、お前さんみたいなカバネスにお願いしたんだ。」
杉ちゃんがすぐにそう言うと、
「私達は、カバネスという昔の言い方はしません。学習支援員です。」
と、藤原さんは言った。
「そんなもの、言い方はどうでも良いの。カバネスはカバネスだろ。それより、こいつに勉強教えてやっておくれよ。国語とか数学とかさ、こいつは、元はと言えば、学ラン来て、学校へ行くことを目指してたんだから。」
杉ちゃんがそう言うと、
「ということはつまり、学校へ行っていらっしゃらないんですか?」
藤原さんは馬鹿にするように言った。
「ああ、そうだよ。こいつはな、学校で運動会の練習していて、三段の塔から落っこちてしまって、こういうふうに、足が悪くなってしまったんだって。それで、こうして自分で行動できるのに、何年もかかったそうだ。それで学校を告訴することはできなかったそうだが、それも仕方ないよね。だから、今あらためて、学校生活をやり直したいと言っている。だけど、そういう人間を受け入れてくれる学校は何処にもないから、お前さんみたいな人間を雇おうかって、決めたんだよ。だから、こいつにさ、勉強の楽しさとか、そういうものをもう一度教えてやってよ。」
「ちょっとまってください。私達支援員は、大学進学をさせるために、本部から派遣されていくのですが、最終目的は、大学進学としてくれないと困ります。」
藤原さんは杉ちゃんの話にそういったのであるが、
「でも、カバネスってのは、昔から、学校にいけないやつに学校代わりに勉強を教えてやる、使用人だよな?」
と、杉ちゃんは言った。
「杉ちゃん、使用人ではありませんよ。ちゃんとこういう人は、教えられるのですから。」
とジョチさんがそれを止めるが、杉ちゃんの意志を止めるのはなかなか難しい。
「だから、こいつと一緒にさ、学校の授業とおんなじようにやってもらいたいわけよ。上級学校に進ませるなんてどうでも良いんだよ。それより、こいつに勉強をさせて上げて、こいつが勉強の楽しさを感じてくれればそれでいいよ。教材が必要ならそれはちゃんと使うから、ちゃんと彼に勉強を教えて、彼ののぞみを叶えてあげようよ。」
「そうですが、大学進学のために、私どもは居るわけでしてね。まず初めに、志望校を話してくれないと困ります。一応こういうふうに、進路希望調査も行わなければならないのですから。」
藤原さんは、そう言って、カバンの中から一枚の紙を差し出した。そこには、進路希望調査書と書いてあって、第一志望、第二志望と、志望大学をかかせる欄があった。
「うーんそういうことが目的じゃないんだけどなあ。それより勉強できる楽しさとか、そういうのを共有できる援助者は居ないもんだろうか?」
杉ちゃんは、頭をかじってそういうのであるが、
「あの、すみません。」
と、川村千秋さんが口を開いた。
「僕は、高校一年で、運動会の練習をしていて事故にあい、学校をやめなければなりませんでした。そしてしばらくの間は、本当に何もできなかった日々を送りました。学校へはもちろんいけませんし、なにか支援機関に頼もうとすることもできなかった。ただ、泣いているしかできなかった日々でした。そんなときに、時間を無駄にしないで、学校を告訴するとか、また別の新しい学校へ行くとか、早めに手を打たなければだめだと批判される方も多いと思います。でも、僕はそれができませんでした。そうなると残念な人生を送ったのかもしれません。だけど、僕は、そうするしかできなかったんです。泣いて喚いて、もう死んでしまいたいとか、そういう事言ったりするしかできなかった。今になってやっと泣き止んで、新しい事を始められるようになったのです。」
藤原さんも、杉ちゃんもジョチさんもみんな黙ってしまった。
「だから、やっと、本当にやっと、また勉強しようという気持ちが出てきた。その前は、勉強なんて、どうしてしなければならないだろうと思ったこともあったけど、でも、今は勉強ができることに感謝して、精一杯勉強するのを楽しみたいと思います。だけど残念ながら、僕にはそういう事をさせてくれる施設が無いのです。学校を訪問しても、貴男のような人を受け入れる設備がないと言われて追い出されるのが落ちです。だから、こういう先生に師事するしか方法が無いのですよ。確かに、上級学校に行くとか、そういう事は全く考えていません。それは、規約に違反するかもしれないけれど、でも、勉強をすることは、いけませんか?それとも、上級学校に行くことがただしい勉強法なんですか?違いますよね?僕のように、ただ勉強を楽しくしたいという思いは、間違いなのでしょうか?」
川村千秋さんの言い方に、藤原さんは、なにか感じてくれたようだった。
「こればっかりは、僕が説得してもだめだねえ。本人がここまで意志を示さなくちゃだめだよ。それでも、わかんないやつのほうが、多いかもしれないな。今の世の中は。」
杉ちゃんがそう言うと、藤原沙織さんは、頭を鉄槌で殴られたような衝撃だったらしくて、しばらく、目を変なところに向けていたが、川村千秋さんはずっと彼女を見つめていた。それを見て藤原さんもなにかわかってくれたようで、
「良いわ。」
とだけ言った。
「良いわって何だよ。」
杉ちゃんが言うと、
「貴男の勉強したい意志はよくわかったから、あたし、無料奉仕するわ。決まった日にここへ来て、一緒に勉強を楽しみましょう。そしていつかは学生服を着られると良いわね。それを目標に頑張りましょう。よろしくお願いします。」
と、川村千秋さんに、藤原沙織さんは言った。
「ありがとうございます。残念なことに、足が動かないので、一人で学生服は着用できないのです。」
川村千秋さんは正直に答える。
「何を言ってら。洋服を手伝わなければ着られない人は、いっぱいいるよ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「とりあえず、本人の強い意志の勝利ですかね。」
ジョチさんが苦笑いした。なんだか、学問の秋という言葉にふさわしいほど、その日は穏やかで涼しかった。
残念 増田朋美 @masubuchi4996
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