兄ジョンブールがポミエ公と打ち合わせしている間、ランベリーは外の散策をして村の様子を描いたり、メイドに声を掛けて仕事姿を簡略的に描いたりし、マリアンヌの所へ持って遊びに行っていた。


「素敵! どなたがどなたかはっきり分かりますわ。こちらは釣りが上手なルアー、こちらは奥方思いのツッズ、このメイドはそこにいるカロリーヌですわね!」


 マリアンヌはよく館の外にも遊びに行くらしく、描いた人々の名前を楽しそうに一枚一枚呼ぶ。名前と顔を覚えているのかとランベリーが感心すれば嬉しそうに笑った。


「よろしければこちらの作品、全て私にくださらない?」

「色も付けてない簡単な物だけど、それで問題ねぇならいいですよ」

「ありがとうございます! 部屋で一人過ごすことになったら私、これを眺めて過ごしますわ。……あ、何か対価をお支払いしなければいけませんわね」

「いえいえ! これで金をお嬢さんから貰う訳にはいきやせんって」


 喜ばれるのは嬉しいが、普段売ってる美人画よりも更に工程が少ない、落書きのような作品だ。これで金を受け取るのは――画家としての誇りがちっぽけなランベリーであっても――もやっとする。


「でしたら、ええと……」


 それでもマリアンヌは何か礼をしたいらしく、あれはどうだこれはどうだと一人悩み始めた。助けてくれとの視線でランベリーは部屋のメイドを見る。仕方ないなとメイドは顔で示し、そっとマリアンヌの耳元へ顔を近付けた。


「マリアンヌ様、タンスの中で眠っている刺繍作品はいかがでしょう」

「あ、あれですか。えっと、あれを人にやるのは」

「可愛らしくて私は好きですよ」

「う~…………仕方ありません。分かりました。あれにします」


 結論が出たようでメイドが奥の部屋へ入っていった。ひそひそと喋っていて内容はよく聞こえないが、苦々しいマリアンヌの表情からするにあまり喜ばしくない物なのだろう。数分も経たずメイドが出てくる。


「こちらを」


 メイドはハンカチをランベリーに差し出した。ハンカチには歪んだ線で林檎が刺繍されている。マリアンヌを見れば恥ずかしそうに横を向いた。


「これは、私が刺繍を始めたばかりの頃縫ったものですわ。こちらの絵に比べられるような物ではとてもありませんけれど、ハンカチの質はよいですのよ」


 綺麗じゃない刺繍が、それを恥ずかしがっているマリアンヌが、人間らしい親しみを持っていて、ランベリーはなんだかとても嬉しかった。


「ありがとうございます。絵を始めたばっかの兄貴に比べたらとっても上手なんで、気にしねぇでいいですよ」


 ハンカチを受け取る。質がよいのは本当らしく、今までランベリーが触ったどれよりも手触りがよかった。


「あなたではなくお兄様ですのね」

「俺は始めっから上手かったんで」

「ふふ、そういう事にしておきますわ」


 本当だぞとランベリーが顔を顰めれば、何が面白いのかマリアンヌはもっと笑った。ランベリーも一緒に笑っていた。



 *



 ポミエでの滞在はランベリーにとって楽しい時間だった。ランベリーの仕事が始まってからも休憩時間を使ったり進捗報告のついでだったりとタイミングを作りマリアンヌと話したりした。


「よければ、今後もマリアンヌの話し相手として呼んでもいいかね」


 絵が完成し帰る際、ポミエ公がランベリーにそう言ってくれるのもランベリーを気に入ったからだろう。ランベリーもここを気に入っていた。


「いえ、我々には過ぎた栄光です。こうして今回呼ばれましただけでも喜ばしい事ですのに……」


 ランベリーが何か言う前に兄が話す。お誘いを兄が断ったのだ。頭の悪いランベリーでもそれは分かった。



 馬車に乗る。ガタガタ揺れる音。屋敷が遠くへ小さくなってゆく。

 兄弟はしばし重い沈黙を保っていた。


「なんで断わったんだよ」


 ランベリーが口を開く。普段のおどけた口調はそこになく、威嚇するように兄を睨んでいた。


「あそこに呼ばれても農民や平民を描くだけだ。ランベリーのそういう絵を求められて呼ばれるのだからな」

「でもよぉ、そこからお抱えになれるかもしれないんだぜ」


 雨が降り始め頭上からパラパラと軽い音が鳴る。ジョンブールは脚を組みなおし、その際蹴った鞄は音をたてて倒れた。


「お前は気にしなくていい」

「せっかく偉い人に気に入られそうだったのに?」

「また機会があるかもしれないじゃないか」

「そんな機会滅多にないって前言ってたよな」


 無言。

 ランベリーは頭の出来がよくない。だから偉い人や神様を描く際に必要な事も、仕事を得るための礼儀作法も、兄が普段考えるような難しい事も全然分からない。けれど兄ジョンブールが(他の仕事と被らない限り)ランベリーがやりたいと言った仕事を許してきた事は知っている。とても嫌そうな顔をする時もあったけど、描きたいと言った要求は全て通してきた。

 これはランベリーにとって描きたい仕事だ。そして、ジョンベリー兄弟にとって美味い仕事だ。


 どうして兄が断ったのか分からなかった。そして全く説明しない兄に苛立っていた。


「……俺がマリアンヌ嬢――様と仲がいいのが気に食わねぇのか」

「違う」


「兄貴が俺のオマケみてぇになるのが嫌なのか!」

「違う」


「だったら、どうしてっ!」


 兄は何も言わない。ランベリーが同じ事を聞いても「仕方ないな」と何度も教えてくれた兄は怖い顔をして黙っている。いつだったかに描いた『嫉妬に苦しむプルガ』のようだった。


「兄貴は、俺が嫌いだったのか」


 パッと出た疑念が、絞り出すように口から出る。


 今までランベリーは絵を描いて沢山褒められた。繊細だの緻密だの難しい言葉を使う偉い人を沢山見た。

 反対にジョンブールの作業はあまり言及される事がない。ジョンブールは全ての準備をするけれど、途中からはランベリーの指示を受ける助手となり、手柄はほとんどランベリーに取られているようなものだ。


 頭がよくなく好き勝手遊んでいる弟。そんな弟でも、ジョンブールよりランベリーの絵の方が求められるのだから頼らなければならない。それが兄にとってどれほど屈辱的で、ランベリーの才能を嫉妬しているのか。


「本当は兄貴は俺を嫌いだったのか」


 大好きだった兄が自分を嫌っているかもしれない。そう考えただけでランベリーは泣きそうだった。




「――誰が嫌いになるか!」


 遠くで雷が鳴る。鳥達の鳴き声がけたたましく響いた。

 ジョンブールの両腕が力強くランベリーの両肩を掴んでいる。兄は弟以上に悲しそうな顔をしていた。


「俺がランベリーを嫌いになるなんて、絶対にありえない」


 潤んだ瞳は懇願するようだった。


「俺が我が儘だった。頼むから嫌いになったなんて悲しいこと言わないでくれ。俺は、ただ。ランベリーの手で描かれる神話や歴史の圧倒的な瞬間を可能な限り見たいだけだったんだ」

「俺の?」

「ポミエに通うようになったらお前は絶対気に入られる。ポミエは余裕ある家だ、題材が農民であろうとお抱えになる事も夢じゃない。あそこの専属になったらランベリーは農民や使用人ばっか描くようになる。それが嫌だったんだ」


 ジョンブールはランベリー以上にランベリーを評価し、ランベリーの絵に嫉妬するどころか熱狂していた。


「そんな上手くいく訳ないだろ」

「いく。間違いない」


 ジョンブールの中のランベリーは天才で、ポミエと仲良くしたらもっと気に入られてマリアンヌが喜んだような日常の風景を描く画家になるらしい。ジョンブールは日常の風景ばかり描くようになるのが嫌だったから断れる内に断ったと。


「はーん、オニイサマはそんなに俺が大好きだったのか」

「ああ」


 ニヤニヤと揶揄うように言ってみれば真顔で頷かれた。逆に恥ずかしくなって視線を逸らす。外を見てみれば雨は止み、空には虹がかかっていた。



「あー、でも」気まずそうにランベリーが呟く「兄貴が喜ぶのも嬉しいけど、俺の絵で喜んだマリアンヌ嬢様の笑顔もいっぱい見たいんだよなぁ」


 ランベリーはマリアンヌの顔を思っているのかぼんやりと外を眺めている。恥ずかしそうにはにかんだその顔は、ジョンブールが今まで一度も見た事のない顔だった。


 ――弟は絶対に結ばれない恋をしている。


 ランベリーの緩んだ頬は、兄がそう判断するのに十分だった。


「……ランベリー。俺は、画家としてのお前も好きだけど、弟のお前も同じくらい大切だ。さっきはすまない。俺のせいでダメになったが、上手くいけるよう働こう」

「いいの?」

「お前も頑張るんだぞ」


 必死に頷くランベリー。彼の初恋が結ばれる事も、そもそも自覚する事も難しいだろう。それに、一度断とうとした関係を結ぶのは苦労するし、ランベリーが神や英雄より農民や平民を描く事にも繋がる。


 けれど。思うだけであんなに幸せそうな顔をするのだから。それだけで叶えてやりたいと思ってしまうのは、長年甘やかし続けたせいだろうか。

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