とりあえずではなく、とりあえず

 私が探偵を志したきっかけは、大学1年の頃に暇を潰すため入った図書館で偶然ミステリ小説を手に取ったことだ。その本は『こんなこと出来るはずがない』という謎めいた事件に対し、主人公の探偵が1つ1つトリックを解明していき、見事全ての謎を解き明かすという展開の、ミステリとしてはよくある内容だった。しかし当時ミステリ小説を読んだことのなかった私は、「この謎はどうなるのだろう?」「あの謎はそういうことだったのか」と、次々謎が解けていく快感を初めて体験し、すっかりとハマってしまったのだ。


 それからは毎日のように図書館に通いミステリ小説を読みふけり、自他ともに認める『探偵好き』になり、現在に至るというわけだ。だから私が現在探偵をやっていることを知ると大学時代の友人たちは、『本当に探偵になったんだ。でも、小説みたいに事件を解決するわけじゃないんでしょう?』なんて言ってくる。そんなことは言われなくとも理解している。


 映画や小説、漫画みたいに警察と協力して殺人事件の謎を追うなんてことはまず無いが、なにも探偵が解決する事件は殺人事件だけじゃない。私たちの身のまわりには意外と謎が潜んでいるもので、そんなちょっとした謎を解決する『日常ミステリ』というジャンルがある。というか、私は殺人事件を解き明かす話よりも日常の謎を解き明かす話の方が好きなのだ。


 では私は現在、依頼人たちの日常の謎を華麗に解き明かしているのかと言われると……残念ながらそうではない。浮気調査に信用調査、人探しにペット探し等々、『現実の探偵』の仕事ばかりだった。もちろん仕事内容に不満があるわけではない。だけどやっぱり、探偵になったからには1度くらい小説にでてくるような事件を解決してみたいと思ってしまうのだ。


 そんな事を思っていると、ある日私は1つの体験をすることになる。それは正に、『小説の探偵』が体験するような出来事で──





 ※※※




「先生、このファイルはどうしましょう?」

「ああそれか。そうだな、そこに置いておいて」

「…………」


 相変わらず……いや、たまたま暇な時間が出来たので事務所の書類整理をしていた時の事である。ミーコは突然動きを止めたかと思うと、何かを思い出したようにスマホを操作し始めた。


「ん? どうかした?」

「……あ、いえ。先生の今の言葉でちょっと思い出したことが」

「私の言葉? 特に変わったことは言ってないと思うんだけどな」

「『とりあえず』って言いましたよね?」

「言ったけど……それで何を思い出したっていうんだい?」

「この間友達と横浜で遊んでいた時、電話で不思議な会話をしている人を見かけたんです。何だか気になる会話だったんですけど、友達と一緒だからその人の後を付けるわけにもいかなかったので、覚えている範囲をメモしておいたんです」


 「こんな会話です」と、ミーコはスマホを片手に読みあげた。



『……ああ、いえ。とりあえず、ではなく、とりあえずです。…………はい、そうです。子供たちは驚くでしょうね…………ええ、そうですね、後日改めて。入る際はよく確認をして、十分注意します。では、ええ、失礼します』



「──という会話です。どうです先生、不思議な会話だと思いませんか?」

「いや、なかなか面白い。正直あまり期待はしていなかったのだけど、予想以上に興味を惹かれる会話だ…………そういえば私の好きな小説にそれと似た話がある。有栖川有栖先生の、『四分間では短すぎる』という短編作品なんだが」

「へぇ~どんなお話なんですか?」

「主人公の有栖川有栖はある日先輩の家に行く途中、アルバイト先に公衆電話で連絡をとろうとした。で、その隣の公衆電話を使っていた男が不思議な会話をしているのを耳にするんだ」

「隣の公衆電話……?」

「携帯電話が無かった昔はね、公衆電話を利用する人は大勢いたから大量の電話が並んでいたんだよ。多い所で10台、20台くらいの公衆電話が並んでいる場所もあったらしい……まぁさておきだ」


 私は椅子から立ち上がり本棚へ向かった。そして、件の作品が収録されている短編集『江神二郎の洞察』を手に取り、話のキモとなる不思議な台詞を読み上げる。



『4分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です』



「それはまた不思議というか、何についての会話なのかさっぱりですねぇ。その後お話はどうなるんですか?」

「アリスが先輩の家に着くと飲み会が始まるんだ。で、3人の先輩とたわいもない話をしていると、何か面白い話をしろと言われる。そこで……」

「さっきの会話が出てくるんですね!」

「そうだ。アリスたちは推理小説研究会というサークルのような、同好会のような集まりでね。じゃあその会話は何を意味しているのか? また、その男は何者なのか? という事を推理しようとするわけだ」

「おお! で、結果は!?」

「それは言うわけないだろう。貸してあげるから読むといい。いや、待てよ。この短編集の前に『学生アリスシリーズ』は最初から読んでおいた方がいいな。読まないと話の内容が理解出来ないというわけではないんだが、やっぱり読んでおいた方がいいと思うんだ。全部貸してあげよう。いいかい、『月光ゲーム』から順番に……」

「あ、ありがとうございます……。あの、小説もいいんですけど、わたしたちも実際に推理してみませんか?」

「君が聞いた会話についてかい? ……いいね、面白そうだ。書類整理は中断して、本腰を入れて考えてみようじゃあないか」


 私はミーコのスマホを覗き込み、記録されていた謎の会話を紙に書き写す。


「さて、まず初めに……その不思議な会話をしていた男はどんな格好をしていた?」

「えーと、長くも短くもない黒髪で薄いグレーのスーツ、太っているわけでもなく痩せすぎなわけでも無くて、背は高くもなく低くもなく見えたので160後半から170くらいでしょうか。それと、よくサラリーマンが持っているイメージの薄いビジネスバックを持っていました」

「ブリーフケースだな。顔は?」

「それが、その人は俯いて会話していたのでよく見えなくて……もし眼鏡で七三分けだったらパーフェクトサラリーマンなんですけどね」

「なるほどね。要するに、標準体型のサラリーマン風の男というわけか。じゃあこの男がしていたという会話についてだけど……」

「この2つの『とりあえず』のうち片方は、『ひとまず』とか『まずはじめに』という意味の『取り合えず』なのでしょうか?」

「多分そうだろうね。文脈から察するに、電話相手は1番思い浮かべやすい『取り合えず』という言葉だと思ったんだ。しかしサラリーマンは別の意味の『とりあえず』のつもりだったので『ああ、いえ。とりあえずではなく……』と言ったのだろう」

「じゃあ別の意味の『とりあえず』を考えてみればいいんですね! ……そんなのあります?」

「そうだな、例えば……」


 私は紙に、『鳥会えず』『トリ会えず』『鶏和えず』『鶏あえず』といった具合に、思いついた物を書いてみた。


「ぱっと思いついたのはこんな所か。まず最初の2つはわかりやすいな。そのままの意味で、『鳥に会えなかった』『トリに会えなかった』という意味だ。名前に『鳥』が付いていて、『とり、というあだ名の人に会えなかった』、という可能性もあるね」

「『鶏和えず』というのは、本来なら鶏肉に何かを和えるけど、和えなかったという意味ですね。じゃあ、このひらがなの『鶏あえず』は?」

「そういう名前の鶏肉料理のお店があるんだよ。呑みの席では『とりあえずビール』という言葉がお馴染みだから、それとかけているんだろう。しかしどの言葉も、次の『子供たちは驚くでしょう』という言葉とうまく繋がらないんだよな」

「最後の『入る際はよく確認をして、十分注意します』っていうのもよくわかりませんよねぇ」


 私は腕を組んで天井を見上げ、ミーコは頬杖をつきながらスマホを眺めるといった格好で思考を巡らせる。しばらくの間沈黙に包まれた後、私たちはほぼ同時に「あっ」という声をあげた。


「何か思いついたのかい?」

「ええ、まあ。先生もですか? 聞かせてくださいよ」

「いやいや、君から聞かせてくれよ」

「えっと、じゃあ…………結論から言いますと、わたしが考えたのは『鶏肉に和えない』という意味の『鶏和えず』でして、そのサラリーマンは横浜中華街にあるお店の関係者だったという説です。先生は中華料理の中で、鶏肉と何かを和えて作る料理といえば何を思い浮かべますか?」

「鶏肉に何かを和える中華料理といえば……棒棒鶏バンバンジーじゃないか?」

「そう! つまりこういうことです。そのサラリーマンは中華料理屋さんの関係者で、ある日鶏肉に調味料や具材を新しいタイプの棒棒鶏を思いつき、それを『鶏和えず』と名付けたんです。で、実際にお店を経営している知人に新メニューとして勧めた所──」



『新しい棒棒鶏を考えてみたんです。『鶏和えず』という……』

『取り合えず……? 取り合えず、何なんだい?』

『ああ、いえ。取り合えずではなく、鶏、和えずです』

『ああ、鶏肉に何も和えないって意味? それはまた面白いアイディアだね』

『はい、そうです。子供たちは驚くでしょうね』



「──といった具合に、わたしが聞いた会話になるというわけなんです」

「なるほどねぇ……でもさ、具材も調味料も和えなきゃ棒棒鶏とは言えないんじゃないか? 一体どんな料理なんだい?」

「いえ、あの、そこまでは…………とにかく! 何かこう、思わず子供たちも驚いてしまうくらいの、すごく斬新な棒棒鶏なんです!」

「まぁいいか。で、最後の『入る際はよく確認をして、十分注意します』っていうのは?」

「中華街のお店って似たような名前で、似たような外観をしているお店が多いと思いません?」

「ああ、そういえば。私なんかは行き慣れてないから、『この店って以前入ったことあったっけ……?』と、入る前にしばらく悩み続けてしまった事が何度かあるよ」

「わたしもあります。で、それに加えて、中にはサービスというかガラがすごい悪いお店もあるらしんですよ。なので最後の『入る際には……』という言葉は、本当に知人のお店なのかよく注意をしてから入るようにしますという意味だった、というのがわたしの推理です!」

「へぇ……結構いいじゃないか」

「ですよね!? 完璧とまではいかないだろうけど、割といいセンいってるんじゃないかなーって自分でも思ってて……!」

「確かに横浜と言えば中華街だからな、なるほどなと思ったよ。じゃあ次は私の推理だな。結論から言うと、私は『公園にいる鳥』に会えなくなったという意味の『鳥会えず』だと推理した」

「ほうほう。鳥は色んな所に居ますけど『公園の』と言い切ってしまうんですか?」

「ああ、それが重要なポイントだからな。君が見たサラリーマンはズバリ、公園にいる鳥を殺害しようとしていたんだ。鳥の種類が鳩なのか雀なのかは一旦置いておく」

「何でまたそんなことを……」

「こういう筋書きだ。サラリーマンと電話の相手はある日公園で、子供たちが鳥に餌をあげている光景を目にするんだ。野鳥に餌をあげるという行為は法律で禁止されているわけではないが良くないことだとされている。自治体によっては野鳥への餌やりを禁止する条例を出しているみたいだし、神奈川県としてもホームページで止めるよう呼びかけを行っている」

「鳥のフンから感染症にかかる危険とかがありますもんねぇ」

「その通り。それに、匂いや景観の問題もあるしな。で、自分が通っている公園の清潔な環境づくりの為に何か出来ないものかと悩み、サラリーマンはこう考えた」



『今、目の前にいる子供たちに注意してやめさせても、別の子供たちが再び餌やりをするかもしれない。公園の衛生問題を解決するにはもっと根本的にというか、『絶対に野鳥に餌やり出来ない』状況を作り出さないといけないのではないだろうか?』



「──とね。では、それを実現させるにはどうすればいいのか? 餌をあげる対象そのものを公園から消してしまえばいい。そうすれば餌やりをやめさせるどころか、鳥害をきれいさっぱり無くす事ができる。そんな風に考えたサラリーマンは電話の相手と協力して公園の野鳥を殺害する計画を立てた。おそらく餌に毒を混ぜるという方法だろう……一気に数を減らせるからね」



『この計画がうまくいけば、晴れて鳥会えず、という事になりますね』

『取り合えず……? 取り合えず、何なんだい?』

『ああ、いえ。取り合えずではなく、鳥、会えずです』

『ああ、計画が成功すれば公園で鳥に会えなくなる、という意味か』

『はい、そうです。子供たちは驚くでしょうね』



「と、こんな会話をサラリーマンは電話相手としていたんじゃないかな」

「なるほど。では、最後の『入る際はよく確認をして、十分注意します』というのは?」

「その男たちが実際に会ってこっそりと計画を立てたり、毒の餌を保管しておくための隠れ家的な建物があったと思うんだ。だからそこに入る際は万が一に備え人目を警戒して、『入る際は……』と言っていた。そう私は推理したんだ」

「おお~何だかありえそう! じゃあ、どうしましょうか!?」

「は? どうするって何を?」

「どちらの推理が正しいのか確かめるんですよね? そのためにまずはわたしが見たサラリーマン風の男を探さないと。中華街を捜索するか、市内の公園を捜索するか、それとも駅を……」

「おいおい。まさか君は、本気で私たちの推理が当たっているかもしれないと思っているのかい?」

「え、先生は思わないんですか?」

「思わない。だって、『鶏和えず』に『鳥会えず』なんて無理があると思わないか? どうしてそんなややこしい言い回しをする必要があるんだ?」

「う、確かに……。でも、それらの言葉を挙げたのは先生じゃないですかぁ!」

「つまり、その時点で私は本気じゃなかったってこと。だいたい、君は街中でそのサラリーマンの会話を聞いたのだろう? その時周りには結構人がいたんじゃないのかい?」

「正確には横浜駅の構内ですけどね。でも確かに、その時周りは結構ザワザワしてました。わたしが記録したこの会話は一字一句完璧に合っているのか改めて問われると、自信がありません……」

「そういうことさ。そんな不確かなうえ、数少ない情報で相手の素性を推理するなんて無理なんだよ。だからこれはただのゲーム、息抜きさ」

「なぁんだ……でもわたし、結構本気だったんだけどなぁ」

「本気で挑んだ甲斐あって、なかなか楽しめただろう? さあ、コーヒーでも飲んで一服したら、書類整理の再開だ」


 台所に向かい、コーヒーを淹れる準備をする。

 そういえばさっき有栖川先生の話をしたもんだから久々に小説を読みたくなってきたな……ミーコに貸す前にさっと読んでしまおうかな……なんてことを頭に浮かべつつコーヒーミルを回していると、『せんせぇ!!』というミーコの大声が聞こえてきた。


「──なんだなんだ、どうしたんだ?」

「あっ、先生! これ、これ見て! このニュース!」



『──今日、横浜市神奈川区の〇〇公園にて、鳩が18羽死んでいるのが発見されました。死骸に目立った傷は無く、その他にも衰弱して瀕死状態の鳩が5羽見つかっており……』





 ※※※




 鳩の大量死が発見された事件がニュースで流れてから2週間、未だ犯人は捕まっていなかった。事件が発覚した当初は『鳩が死んでしまった原因は鳥インフルエンザなのでは?』という意見がSNS上に出回っていたのだが、鳩は鳥インフルエンザにかかりにくいらしく、すぐに報道番組で否定された。また、その数日後に現場から僅かに農薬の成分が検出されたため、それを餌に混ぜて殺害したのだろうということがわかった。


 餌に毒物を混ぜて鳩を殺害…………そう、私があの日でっちあげた推理の内容が現実で起きていたのだ。そうなるとミーコが見た例のサラリーマンが怪しくなってくるわけなのだが……私とミーコ、たった2人の力ではそのサラリーマンを探し出すことは出来ないだろうと思っていた。もし見つけたとしても、何て言えばいいのだろう? 


『あなた先日、電話で鳩殺害の計画を相談していましたよね?』


 とでも問いただせばいいのだろうか? そんなバカな話は無い。そもそも、私たちが手がかりだと思い込んでいる『サラリーマン風の男』という犯人像には、実際のところ確かな根拠は何も無いのだ。あるのはミーコが聞いた怪しげな会話と、偶然嚙み合った私の適当推理だけ。


 そう。だからこそ。

 用事を済ませた帰り道に、偶然にも横浜駅構内で電話をしている黒髪・中肉中背・グレースーツのサラリーマンを見かけ、こっそりとその会話を盗み聞きしてみようと思ったのはほんの気まぐれだった。

 しかし男の会話に耳を傾けた瞬間、私の鼓動は大きく跳ね上がり、腰を抜かしそうになったのだ。



『……はい、例の農薬ですね? よく効いたでしょう! 同じものを? はい、はい……そうですね、もう少し量を増やしてもいいかもしれませんね。では第2弾は頃合いを見つつ近々……はい、では失礼します』



 これだけ聞けばなんてことのない会話なのだろう。しかし、以前ミーコが見たというサラリーマンと完璧に一致する外見。事件に深く関係している『農薬』というキーワード。ニュースでは死には至らず瀕死状態の鳩がいたという情報も流していたので、『もう少し量を増やしてもいいかもしれない』という言葉はそれに対してぴったりと当てはまる。第2弾というのは2回目の犯行ということだ。


 しかしこれだけではまだ駄目だ。確実な証拠がない。どうすればいいだろうか。気が付いたら、私はこの男を尾行していた。




 ──男は横浜駅から東横線で4つ先の妙蓮寺駅で降り、10分程歩いた所にあるホームセンターらしき建物の従業員専用出入口へ入っていった。調べてみると、そこは農業用品の専門店だった。男はこの店の営業マンなのだろう。ならば、簡単に農薬を用意することができるはず。なんだか追えば追うほどこの男が犯人であるとしか思えなくなってくる。


 さておき、ここから先どうやって詰めに向かえばいいだろうか。

 何か使えるものがないかと鞄の中を漁ってみると、情報収集の時に使う偽名刺のセットが入っていた。これを使って保険外交員になりすまし事務所の中に侵入する。その後手掛かりを探して……いや、急ごしらえのキャラ設定ではボロがでて危なそうだし、手掛かりも簡単には見つかりはしないだろう。

 では、こういうのはどうだ。今日の夕方頃またここに戻ってきて男が退社するまで見張り、その後尾行をして家を特定する。それが出来たら見張りに必要な道具一式を揃え、ミーコと交代で男を四六時中見張る。『第2弾は近々』と言っていたから、うまくいけば数日のうちに犯行の瞬間をカメラに捉える事が……


 これならいけるかもしれない。そうと決まったら早速、事務所で張り込みの用意をしておくようミーコに連絡しておくか。今日彼女は休みの日なので手伝いを頼んだら不機嫌になるかもしれないが……例のサラリーマンらしき男を見つけたと言えば、きっとやる気になってくれるだろう。そう思ってスマホを手にした瞬間、パッと画面が切り替わり着信を知らせてきた。そこには、『加賀谷刑事』と表示されている。



「はい、もしもし」

『お、探偵。今大丈夫か?』

「うん、まあ。何かあった?」

『いや、昼飯を一緒に食べようと思って来たんだけど事務所に誰もいなくてな。ミーコは電話に出ないし……』

「今ちょっと用事で外なんだ。何買ってきてくれたの?」

『最近話題になっていたパンとスープだ。あいつが食べたがっていてな……』

「お、いいねぇ。あと4、50分くらいで戻るよ。ああ、黙っているのはフェアじゃないから予め言っておくけど、ミーコは今日休みなんだ。なぁに安心したまえ。余ったパンは私が頂く」

『何だと!? なんてことだ、完全に無駄足じゃないか……しかしあいにくだ、お前の分は買っていない。残念だったな』



 この加賀谷かがや 響一郎きょういちろうという男はミーコの従兄であり、神奈川警察署の刑事でもある。ミーコのことを小さい頃から溺愛しているみたいで、今のような電話がしょっちゅう掛かってくるのだ。

 しかし毎度の事だがいちいちカチンとくるような事を言ってくるな、この男は。何か言い返せないものか……そうだ。例の鳩大量死事件の続報は全然報道されていないから、おそらく捜査が進んでいないのだろう。私が犯人の手がかりを掴んだと知ったら、きっと悔しがるぞ。



「そういえばこの前の、公園で鳩が大量死していた事件の犯人についてなんだけど」

『お、なんだ。耳が早いな。どこで知った?』

「手掛かりが…………ん? 耳が早い? 何、どういうこと?」

『犯人なら午前中に自首しにきたぞ。その話じゃないのか?』

「はぁ!?」


 私は驚きのあまり腰を抜かしそうになった。本日2度目である。


「いや、だって、サラリーマンは今店の中に……」

『サラリーマン? 犯人は大学生だよ』

「大学生!? そ、その犯人はあれかい? 公園の衛生問題を考え、そのために鳩を殺害して……?」

『なんだそりゃ? 全然違うぞ。この大学生は私生活でトラブルが重なり、そのストレスを発散させるためにやってしまったそうだ。鳩たちには申し訳ない事をしたと悔やんでいたな。昼のニュースで流れるだろうからそれを見ろよ。じゃあな、俺はこれからミーコの家に行く』



 電話が切れ、しばらく呆然と立ち尽くした後、私はふらふらとした足取りで駅に向かった。その途中の公園でベンチと自動販売機を見つけたので、一旦落ち着くためそこで缶コーヒーを飲んだ。半分ほど飲むと、混乱した頭の中が大分落ち着いてきた。さっきまではあのサラリーマンが犯人だとしか思えなかったのに、今では嘘のように思考がクリアになっている。

 そもそもの始まりは、私の推理が偶然この事件と噛み合ってしまった事だ。ニュースが流れてから何日間かは何も起きなかったので次第に熱も冷め、「そんなわけないよな」と思えたのだけど、今日偶然にも事件と噛み合ってしまう会話を聞いてしまい、疑惑が再燃……と。

 

 全く、思い込みとは恐ろしいものだ。それもこれも、私の『小説の探偵』への憧れが強すぎる故である。今回の出来事は小説に出てくるような不思議な会話を聞き、小説のようにピタリと推理が当てはまり、小説のように犯人を見つけ、尾行……まさしく、夢にまで見た『小説の探偵のような体験』だったと言えよう。だからこそ、夢から覚め現実に戻された瞬間の、喪失感というか、ショックが大きいわけで……。


 とはいえ何を言おうが、どう考えようが、これはどうしようもない事なので、きっぱりとした心の切り替えに努めることにした。とりあえず、家に帰って昼食を食べよう。缶コーヒーの残りを一気にあおってごみ箱に捨て、私は駅へと歩き出した。

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探偵四方山話 柏木 維音 @asbc0126

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