五本桜 剣聖の弟子
時空魔法成功の祝いを夜に行う約束を交わし、私達は離れにある浴室へ向かった。『入浴中』の札がかかった扉を開けると、芳しい香りと湯気が身体を包む。既に沸かせ済みとは、気が利いている。
広さ十畳程の部屋、その中央には千年樹から作り出された浴槽があり、床や壁は吸水石を加工し出来上がったという特別仕様。
「エヴァ自慢の風呂だ。これだけ手間と金をかけているものは、まずお目にかかれないぞ」
それこそ、国王の目に触れれば叱られる程に。
「入湯の重要さを人間は未だ分かっていないのさ。風呂とは心と身体を癒やす儀式。本日は湯船にドクダミとローズマリー、七色蜜柑の皮を磨り潰したものや獄門蝶の鱗粉を足してみた」
七色蜜柑は標高二千メドル以上の高山で実る果物。獄門蝶は溶岩帯奥地でのみ生息する生物。どちらも想像の四桁は高い価格の貴重品を、まさか入浴剤にしようとは。
とはいえ、こんな事で驚いているようではエヴァと付き合っていられない。
私は牛若の身ぐるみを剥ぎ、自身も裸になる。お面をどうするか悩み、面倒なので付けたまま入る事にした。背後から熱視線を感じるが、それも無視。
「……おっといけない涎が。いつもの要望通り、釜茹でにされたいのかってくらい温度をあげているが良いんだね?」
「ああ、風呂は熱くなければならない。エヴァは入らないのか?」
「えっ、僕はその、昨晩入ったし! 大丈夫!」
長い付き合いの私達だが、風呂を共にした事は一度も無い。そもそも私はエヴァの性別すら知らないし、何度訊ねても毎回はぐらかされるので、いつしかどうでもよくなってしまった。エヴァはエヴァ、それでいいじゃないか。
「ふぐぐぐぐ……!」
熱さに耐え肩まで湯に浸かる牛若へ、私は「いいぞ、それでこそ
牛若は幼く、まだ自分で髪を洗えない。したがって私が洗ってやろうとすると、エヴァが横入りし「君は乱暴だから髪を痛めてしまう。僕がやる」と申し出た。汚れを落とすのに乱暴? どうも釈然としないが、とりあえず放っておく。
風呂を満喫した私達が身体を拭いている最中、エヴァから高そうな箱を渡される。
「そのお面も、目立ち過ぎてしまうからね。こちらの仮面へ変えるといい」
手渡された仮面は目元だけを隠せる仕様となっており、当然ながらお面とは出来が違う。通気性もよく軽い上に、口元が覆われていないので食事の際も気にならない。
「元々は視覚障害に対する魔法道具だけど、これなら装着していても周りは君だと分かるからね」
「何から何まですまない、エヴァ」
用意してくれた服も金刺繍の入った豪華な仕様。動きやすく魔法耐性が上がる特別な布で精製されているらしい。
「だが向こう世界の者達には変わった格好だと、しきりに言われたな」
「話を聞く限り、こちらの文化より随分と遅れている気がしたね。自分達で理解出来ないものを変で括ってしまうのは、仕方ないさ。ほら、見てご覧よ」
着替え終わった私にエヴァが指差す。見ると牛若が何度も服を引っくり返しては首を傾げている。
「成る程な」
私達が笑うから、牛若は余計に焦ってしまう。風邪をひかれる前に、助け舟を出してやらなければ。
――ようやく支度を終え、城へ向かう。城下町を進むと多くの者達が私達に話しかけてくる。
「御機嫌よう剣聖。今日はいい魚があがったんだ、持っていきなよ」
「剣聖様、私にもようやく孫が出来ました。今度抱いてやってもらえませんか」
「キャー! エヴァ様よ! エヴァ様ぁあ!」「私に手を振ってくださったわ!」「何言ってんのよ、私に向けてに決まってんじゃない!」「はぁあ⁉ なんなのアンタ、やる気⁉」
要らぬ争いまで起こる始末。エヴァの熱狂的信者は多く、噂では定期的な集会まで行われているらしい。流石は
「何を言っているんだい、君のほうがモテモテだというのに」
「馬鹿をぬかすな。こんな剣以外に何もない、四十を過ぎた男に言い寄る物好きがどこにいる」
「自覚が無いって罪だよね……相手が不憫だよ」
話をしている最中、後ろから袖を引っ張られて振り返る。見れば怯えた様子の牛若が、小さく震えているではないか。
「どうした牛若、どこか体調でも――」
目線を追って合点がいく。賑わう町並み、そこでは様々な種族が往来している。
私は牛若の頭を撫でてやりながら「大丈夫だ」と声をかける。「はい」と答え頷く牛若からは、もう手の震えが感じられなくなっていた。
――五大国家の一角を担うベルディア王国。その入口に
「僕は別件があるので失礼するよ。今晩、いつもの場所で集合しよう」
「分かった、また後で」
門番に国王との謁見を頼み、しばらくすると中へ通された。「いってらっしゃい、ウシワカ」と笑顔で手を振り見送るエヴァに、牛若も手を振り返す。少しは距離が縮まったのかもしれない。
高級絨毯を踏んで二階にある王の間へ進む。扉の前には従者が控えられ、私に向けてお辞儀を行う。
「ようこそ剣聖。国王がお待ちです、どうぞ」
部屋の中央に並んだ椅子、そこへ座すのがアルカゼオン国王とヘレナ王妃である。
片膝をつき、顎を引いて心臓の位置に拳を置く。牛若も私の横で同じ姿勢を取る。事前に練習させた甲斐があった。
「どうしたシャナ。何やら話があるとの事じゃが」
「もしや良き伴侶でも見つけたのかしら?」
「そちらの期待には残念ながら添えられませんが、代わりとなる報告に参りました」
姿勢を戻し、私は牛若の紹介を行う。
「こちら、名を牛若と申します。此の度、彼を我が弟子に据る所存で――」
「なっ、ななななんと⁉ け、剣聖の弟子⁉」
思わず立ち上がり狼狽する国王。そこまで驚く必要があるのだろうか。
「長年、後継者を断り続けたお主が突然そんな事を言えば驚くに決まっとる!」
「ど、どうしましょう。何か悪い魔法にかかっているのかもしれないわ?」
散々な言われようだ。何とも気を悪くしつつ、私は話を進める。
「牛若は才能に長けている訳ではございませんが、努力を欠かさない性格を有しております。一人前の剣士となるべく、私が鍛え上げてみせます」
私は牛若に「挨拶をしなさい」と目配せした。それに気付いた牛若は立ち上がり、大きな声で自己紹介を行う。
「うしわかです! よろしくおねがいします!」
その姿に、すっかり国王と王妃は心を射止められた様子。二人は牛若へ近寄ると、小さな身体を撫で回す。
「何と愛くるしい! ほっぺもぷにぷにじゃあ!」
「ああん堪らないわぁ! ウシワカちゃん、私の事はママって呼んでぇ!」
「はわわわわわわ⁉」
国王から頬に口吻をされ、王妃の豊満な胸に顔を埋められながら、牛若は情けない声をあげる。この場をどう収集すべきか分からないので、とりあえず私は傍観を決め込む。
……異世界の洗礼とでも思ってもらおう。
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