黄葉城の物の怪
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──黄葉城の物の怪
この時代、夜で歩くのは命取りだ。
野伏はもちろんとして野生動物も危険となる。
それに何より闇夜が全てを閉ざしている。
「橘。お前、物の怪を探したと言ったな」
「ああ」
しかし、その暗闇を橘と黒姫たちは歩いていた。鳥と虫の声がするだけの夜道を岩陽国の主君である西川友三が座す落葉城に向けて。
「それで物の怪には会えたか?」
「いいや。百姓が物の怪がいると言った場所は大抵はただの野盗の根城なだけだった」
「まあ、そんなもんだろう」
橘がうんざりしたように言うのに黒姫が小さく笑う。
「だが、物の怪は本当におるぞ。簡単には出くわさないがな」
「それはな。そもそもお前という龍がいるならば物の怪がいてもおかしくない。お前も物の怪のようなものだろう」
「言う言う」
黒姫は上機嫌だった。
「わしは物の怪には嫌われておってな。わしもあまり出くわすことはない」
「何故嫌われたのだ?」
「取って食ったからだ」
「はあ」
ぺろりと舌なめずりする黒姫に橘は呆れたようにため息を吐く。
「美味かったのか、物の怪は?」
「ほどほどだ。昔は腐るほどおったからよく摘まんでおったが、最近は減ったな」
「食い過ぎたんじゃないのか?」
「かもしれん」
橘の言葉に黒姫は肩をすくめる。
「食い物の話をしていたら腹が減ってきたな。まだ落葉城にはつかぬか」
「近くに街がある。何か食っていくか?」
「酒も飲みたいな」
「奢ろう」
岩陽国の西川に仕える家臣のひとりが治める黄葉城。
その城下町に橘たちは入った。
「ん。何やら騒がしいな」
「こいつは」
橘が夜の闇に滲むように篝火が焚かれ、怒号が響くのを聞いて呟くのに、黒姫が口角を釣りあげて笑う。
「血の臭いだ。何かあったぞ」
「乱世の世だ。珍しくもあるまい。それより酒と食事だ」
橘はそう言い、まだ明かりがある店に入った。
「いらっしゃい」
「酒と食事を。何がある?」
「飯と魚がありますよ」
「それをくれ。2人前で」
「あいよ」
橘はそう店主に言い、黒姫を席に着いた。
「しかし、落葉城に行ったとして当てはあるのか?」
「ある。わしの神社の神主だった男がおる。菅沼という男だ」
「家老の菅沼正殿か?」
「そいつだ。わしは何せ冥府山と無惨川の主だからな」
冥府山とは岩陽国から岩陰国に渡って伸びる活火山だ。かつては幾度となく噴火し、近隣を焼き尽くす災害を引き起こして来た。
また噴火がないときでも有害な火山ガスが溜まる場所であり、それ故に冥府に繋がるとして冥府山と呼ばれている。
無惨川は岩陽国を流れる大河だ。いくつもの支流が田畑に水を与えている一方で大雨が降れば氾濫し、周囲の村々を飲み込む水害を起こして来た。
「確かに冥府山が噴火し、無惨川が氾濫すれば国が滅びかねん。人身御供で済むのならばそうしたのだろうな」
「軽薄な連中だよ、人間ってのは」
黒姫はそう呆れたように言った。
「そうは言っても人身御供を求めたのはおのれであろう?」
「人間は要求されたら何でも差し出すってのか? そうではあるまい」
「それはな。抗えば勝てる相手にならば抗うだろう。だが、お前は人が抗って勝てる相手ではあるまい。却って大勢を死なせることになる」
「軽薄な上に小賢しいというわけだ。やれやれ」
「捻くれておるな」
橘が黒姫の様子にそう苦言を呈する。
そこで酒と食事が運ばれてきた。簡単な魚の塩焼きと雑穀の飯だ。岩陰国も岩陽国も漁業が盛んで魚は庶民の口に入る。
「さてさて。酒だ、酒だ。楽しみにしておったぞ」
黒姫が早速酒を呷る。
「龍というのはやはり酒が好きなものなのか?」
「逆に聞くが酒が嫌いなものなどおるか? 人も酒が好きであろう」
「それは確かに」
「龍が酒が好きなのではない。皆が酒が好きなのだ」
橘も酒を味わい、黒姫の言葉に頷いた。
「聞いたか。城に物の怪が出たそうだ」
「またか? やはり祟りなのだろうか」
そこで近くの席に座った商人たちが話を始める。
「あの坊さんを横谷の殿様は追い払っちまったからな」
「獄楽って坊さん。あの後で死んじまったらしい。それで祟りなんだろうな……」
「岩陰国の方は妙なことが続いてるし、正直関わりたくないってのは分かるがね」
隣の席の商人たちが噂話をするのを黒姫は酒の肴にするように聞いていた。
「そこの。その話、詳しく聞かせてみんか?」
そして黒姫が商人たちにそう声をかける。
「興味がおありで?」
「ああ。聞かせい」
商人たちも美女である黒姫に話しかけられ満更ではなさそうだ。
「7日ほど前の話ですがね。岩陰国からの流民を保護しているという獄楽って坊さんが、この黄葉城の横谷様に助けを求めたんですよ。流民が飢えているから食い物を回してほしいってね」
「ほう。坊主がね。それで?」
「どうも妙だってことで横谷様は応じなかったんです。で、それから城に物の怪が出るようになったんでさ。求めに応じてもらえなかった坊さんの祟りだって城下町の連中は噂しております」
「なるほどな。そいつは面白そうだ」
商人の説明に黒姫が笑う。
「橘。物の怪に会えるかもしれんぞ」
「会いに行くと?」
「いざ白姫という物の怪を斬るときに怯えられては敵わんからな」
それに、と黒姫が付け足す。
「褒美がもらえるかもしれんぞ。牢人の懐がそう温かいわけではあるまい」
「それはそうだ。では、黄葉城へ行ってみるか」
橘たちは金を払うと店を出て黄葉城を目指した。
黄葉城はその名の通り、秋の黄葉に染まったイチョウが美しい城だ。
城を手掛けたのは西川友三の父である西川友倉。
西川家は代々荒れ狂う無惨川の治水などを行ってきた家で建設に関して高い知識を持っていることで知られる。
また城を作るのも攻めるのも得意である工兵でもあり、この黄葉城も何度も敵の攻撃を退けて来た。
「止まれ、牢人!」
城に近づくと兵が橘たちを呼び止めた。
「この先は横谷様の城だ。牢人が何用だ?」
「物の怪が出たと聞いた。よければ斬らせてもらいたい」
「なんだと?」
槍を持った兵が橘をしげしげと見て眉を歪める。
「何だ? 通してはくれぬのか?」
そこで黒姫が前に出た。
「わしも是非とも物の怪というものが見てみたかったのだがな。残念だのう」
「お、おう。そうか。その装いはさぞ名のある家の方なのだろう」
「どう思う?」
兵は明らかに黒姫に魅了され、その瞳はとろんと堕ちていた。
「お通ししろ! お客人に恥をかかせるわけにはいかん」
「結構」
黒姫はくすりと笑い、橘を引き連れて黄葉城に入った。
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