第7話 国松丸の最後

大阪城から脱出した、もう一人の秀頼の遺児。

国松丸は、京都方面に逃げていたのだが、伏見ふしみに潜伏していたところ、皮肉にも秀吉と懇意だった加賀藩前田家かがはんまえだけの者に捕らえられてしまう。


そのまま身柄を京都所司代の板倉勝重いたくらかつしげに引き渡されるのだった。


秀頼の遺児の話は聞いているも、誰も実物を見たことがない。

果たして、捕らえた少年が本物かどうか、見極めるのに勝重は難儀する。そこで、先に捕らえていた傅役といわれている田中六郎左衛門たなかろくろうざえもんと引き合わせることにした。


すると、二人は涙ながら抱き合うのである。

これを見た勝重は、国松丸であることを確信し、すぐに駿府すんぷの家康へと知らせた。


その報せを聞いた家康は、でかしたと喜んだ後、「国松丸は殺せ」と早い断を下す。

そして、家康自身、京に向けて出発するのだった。


国松丸は、捕らえられた後、豊臣家嫡男としての待遇を受ける。陰湿な牢屋の中に入れられることは、免れた。

ただ、厳重な警備の中、部屋に閉じ込められる。いわゆる軟禁状態が続くのだ。


ここで、待たされたのは家康が京都に到着するのを待っていたのである。

軟禁は十日ほど続き、いよいよ刑が執行される日を迎えた。


まずは、京都市中の引き回しとなるのだが、このような幼子が、なぜ惨めな憂き目に合うのかと、京都市民は訝しげな視線を向ける。


後から、太閤の嫡孫と聞きくと、隠れて手を合わせる者が多く現れた。

これもひとえに秀吉の威光の賜物だろう。


引き回しの後は、鴨川の刑場、六条河原に連れてこられた。

ここで、国松丸は家康と初めて対面する。


まず、挨拶をしたのは家康の方であった。

「お初にお目にかかる。儂が徳川家康じゃ」


特段、凄んでいるわけではないが、挨拶の口上一つで、他者を圧倒する威厳が、今の家康にはある。

対峙する僅か八歳の童子は、思わず平伏してしまうだろうと誰もが思ったところ、国松丸は、平然と受け止めた。


「こちらこそ。私が豊臣国松である」

家康は、一応、挨拶のおり、頭を軽く下げたが国松丸は、座りながらも背筋を伸ばし会釈、一つしない。

周りの者は、無礼であると色めき立つが、家康が手を挙げて制した。


「初めての対面で申し訳ないが、ここでそなたの首を刎ねなければならぬ。何かいい残すことがあるか?」

国松は、家康の目をジッと見つめると、二本指を示す。


「二つある」

「では、申してみよ」

家康に促された国松丸は、八歳の童子とは思えぬほど落ち着き払い、言葉に淀みなく答えるのだった。


「まずは、太閤秀吉公の恩顧を受けながら、わが父、秀頼公を討った家康殿の所業、まぎれもなく大背信である。・・・但し、戦国の世に倣うのであれば、これも致し方なし」


国松丸の言葉に六条河原に集まった観衆から、「おおっ」という声が上がる。

敗れた上での、この豊臣の遺児の潔さに感服したのだ。


「もう一つは?」

「天下人とは、天下万民を慈しまなければならぬ。これは父、秀頼公の言葉である。私がこの世に残ることで和を乱し、民を苦しめることになるのであれば、禍根断つべし。喜んで、この首を差出しましょうぞ」


徳川の目を気にしていた観衆も、国松丸の言葉に拍手喝采を送るようになる。

それを鎮めるために、衛兵どもは躍起となった。


そんな中、家康は背筋に冷たいものを感じる。

大阪の陣が始まる前、家康は秀頼と面談したことがあった。


その時、秀頼の非凡さを認め、その成長を恐れて大阪の陣へと踏み切ったのである。

そして、この八歳の童子が放つ輝き。


豊臣家は三代続けて駿馬を輩出したことになる。

もし、秀頼、国松丸がもう少し早く生を受けていれば、徳川家の台頭はなかったかもしれないと、鳥肌が立ったのだ。


「そなたには、一人、妹がいるが何か、申し残すことはあるか?」

家康は気分を紛らわすために、何気ない言葉を述べたのだが、この時、初めて国松丸の心が揺れる。

少年の頬に涙が伝うのだ。


残された唯一の肉親のことを考えたとき、本来の優しい子供の顔が出てしまったのだろう。

わなわなと肩を震わせた。


「すまぬ。儂の失言じゃ。許せ」

さすがに家康も、これから黄泉路よみじへと旅立つ童子に対して、酷な言葉をかけたと反省する。


立場や境遇は違うが、家康も幼少の頃より人質として、他家を転々とし、本当の家族と過ごす時間が少なかった。

それだけに家族というものを大切に思っている。


国松丸にとっても、血を分けた家族は、何よりも大切なもののはずだ。

その領域に土足で踏み入ってしまったのである。


「いや、奈阿も同じく秀頼公の子である。自分の道は自分で切り開くであろう。兄からは何もございませぬ」

国松丸は、涙ながら、精一杯強がった。その言葉を家康は真摯に受け止める。


「長話となりましたな。最後にお話しできて、あの世の父に土産話ができたというもの。それでは、天下万民のこと、お頼み申し上げますぞ」


奇しくも国松丸の言葉が、太閤臨終の際に家康が託された言葉と重なった。

しかも国松丸は、さらに壮大に、日の本のことを託すのである。家康は思わず唸り声を上げた。


そして、「しかと承った」と高らかに宣言するに至る。

その言葉に納得した国松丸は、大阪城の方角を尋ねた。一度、確認して手を合わせると、そちらの方角に首を差出す。

八歳という、短い生涯を終えるのだった。


この顛末、終始、見物していた観衆は、国松丸に同情しすすり泣く声が漏れる。

民衆の目には、家康が完全な悪者に映ったことだろう。


しかし、家康は涙にくれる民衆を咎めることはしなかった

それは、たった今、国松丸に民のことを託されたからである。

家康にとっても守るべき民に対して、寛容な姿を見せたのだった。

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