第8話 奈阿姫が生き残る道

兄、国松丸が天に召された頃、妹の奈阿姫は江戸にその身柄を移されていた。

家康の孫、千姫と行動をともにしていたのである。


それは、秀頼、淀君の死を知った千姫が心身症失状態のようになったことと関係した。

彼女は、伏見城で寝たきりになっていたところ、奈阿姫の存命を知り、父の秀忠に懇願して手元に引き寄せる。


最愛の夫、秀頼の忘れ形見、奈阿姫を傍に置くことで、千姫の心は少しずつ回復するのだった。

長旅ができるまでに回復すると、今度は家康に頼み込み、奈阿姫とともに江戸へ戻ることを承服させる。


男児であった国松丸の命は、即座に奪う決断をした家康も女児である奈阿姫の扱いには、思案に暮れていたのだ。

とりあえず、孫の体調が良くなるのであればと、奈阿姫の千姫との帯同を許したのである。


奈阿姫が江戸城に着くと待っていたのは、意外なほどの歓迎で、特に千姫の母、お江の歓待ぶりは目を見張るものがあった。


お江にとって、奈阿姫は姉の淀君が残した最後の血筋にあたる。しかも年齢が、千姫を豊臣家に嫁に出した時と同じ七歳であったため、記憶にあった幼いころの千姫と奈阿姫が重なって見えたのだ。


奈阿姫自身、この待遇に戸惑いをみせる。両親が亡くなり、兄の国松も殺されたと聞いていた。

そんな中、自分、一人が大切に扱われていいのか、心の中に葛藤が生まれたのである。


また、別れ別れになった甲斐姫のことも、非常に気がかりだった。

お江や千姫に見せる笑顔の裏には、幼い少女が抱える苦しみが存在していたのだ。


そんな彼女の悩みの一つは、図らずもすぐに解決される。

奈阿姫が江戸城に移った情報を掴んだ常高院と甲斐姫は、彼女に会うため、江戸へと飛んで来たのだ。


江戸城大奥の間、奈阿姫の周りには、お江、常高院、甲斐姫、千姫と後に歴史に名を轟かせる女性陣が揃うのである。


「甲斐姫さま、ご無事で何よりでございます」

「妾が、そう簡単に討たれるわけがないであろう」


奈阿姫と甲斐姫がお互いの無事を喜び合った。すると、常高院が割って入り床に手をつく。

「京極家の都合で奈阿姫殿にはつらい思いをさせて、申し訳ありませんでした」


この中で一番の年長者である常高院に頭を下げられると、子供ながらに奈阿姫も居心地が悪い。

すぐに常高院の手を取った。


「いえ、捕らえられた時も無体な真似はされず、大事に扱われました。お礼を言うのは私の方でございます」

それは常高院が徹底して指示していたことである。守られていたようで安堵した。


さて、これだけの面子が揃ったのである。

何としても実現しなければならないのは、奈阿姫の助命の件であった。


ここで、真っ先に手を挙げたのは千姫である。

「奈阿姫を私の養女にしたいと思います。徳川の一員となれば、お父さまも大御所さまも手出しはしなくなるのではないでしょうか?」


この案は悪くない。ただ、奈阿姫が心情的にどう感じるかである。

家族の命を奪ったのは、まぎれもなく徳川家だ。


その徳川を名乗ることに抵抗があるのではないか?

四人の視線は、奈阿姫に集まる。


「千姫さまは、私のお父さまの正室であったお方です。側室の子の私を娘と呼んでくださるのは、非常に嬉しく思います」


伏見から江戸に至る間、ともに過ごした二人には、まだ小さいかもしれないが、確かな絆が生まれていたのだ。

徳川だから、豊臣だからということはなく、千姫だからこそ、娘になりたいと奈阿姫は願う。


「まぁ、ここまでは認められるだろうが、その先じゃな」

お江と常高院が甲斐姫の言葉に頷いた。

家康という男は、一筋縄でいかないのである。裏の顔までよく知る三人が同意見となった。


ここで、甲斐姫は奈阿姫にある決断を促す。

それは七歳の少女に対して、今後の人生を定める重要な決断だった。


「奈阿よ。お主、尼になる気はないかえ?」

その言葉に千姫は息を飲む。僧という職業を下に見ているわけではないが、尼になるということは、女性として色恋をすることも子をなす事もできなくなるということだ。


「甲斐姫さま、それはあまりにも・・・」

「いえ、大御所さまはきっと、豊臣の子孫を残すことを望んでいらっしゃらないわ。どちらにせよ、そう命じられるでしょう」


家康の義理の娘であるお江が言うのだから、間違いないだろう。

であれば、奈阿姫の方から尼となる件を切り出す方が、心証も良くなるのではないかと思われた。


奈阿姫が生き残るためには、もはやその道しかないようである。

思わず千姫は奈阿姫を抱きしめた。


「お義母さま。皆さまが私のために、色々、苦心して下さったこと無駄にはできません。私は尼となります」

悲しむ顔をした彼女を気遣っての言葉である。奈阿姫の優しさに、千姫は抱きしめる手に力がこもる。


「奈阿、よくぞ申したぞ。妾の知り合いが住持じゅうじをしている寺がある。そこであれば、簡単に話をつけることもできる」

甲斐姫も、奈阿姫の決断を褒めたたえると同時に、その頭を優しく撫でた。


「そのお寺は、なんというところでしょうか?」


常高院の問いに甲斐姫は答える。

「それは、鎌倉の東慶寺とうけいじじゃ」


初めて耳にする名前であったが、奈阿姫の心の中に東慶寺というお寺の名が響くのだった。

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