第6話 甲斐姫の不覚

大阪城が落城し、秀頼自決の報が四方に伝わると、その残党狩りの激しさは更に増すのだった。

二人で逃げる奈阿姫と甲斐姫の前にも徳川方の兵が立ち塞がる。


「人相書きの通りだ。あの二人を捕捉せよ」

指揮官らしき者が指示をすると、五、六人の槍を持った兵が二人に迫った。


それにしても、もう人相書きが出回っているとは、徳川の対応の早さには、さすがと言わざるを得ない。

甲斐姫は、心の中で家康の手腕を称賛した。


かといって、大人しく捕まってあげるつもりは、毛頭ないのだが・・・。

素早い動きで、二人を瞬殺すると、残りの雑兵は尻込みした状態となる。


「何をしている。相手は四十を過ぎた『ばばぁ』だ。全員で取囲め」

この指揮官は、残りの十名程度の兵も投入し、甲斐姫を捕らえようとした。

しかし、指揮官の部下への𠮟咤は、彼女の逆鱗に触れたようである。


「失礼な。妾は、まだ三十路前じゃ」


甲斐姫は刹那の動きで、次々と敵兵を斬り伏せていった。

兵が残りわずかとなり、旗色が悪いと見ると指揮官の男は、尻尾を巻いて逃げ出す。

それに倣って、残りの者たちも槍を捨てて走り出して行った。


見送る甲斐姫は、深追いすることはせず、自分の着衣の乱れを直すのである。

これまでに何度か襲撃にあったが、それら全てを甲斐姫は一人で撃退していた。


奈阿姫は、道中、甲斐姫が戦国最強の女傑と呼ばれていると聞いたが、その言葉に偽りはないと、感想を漏らす。

ただ、一点だけ、気になることがあった。


「あの確か甲斐姫さまは、御年四十おんとししじゅう・・・・」

奈阿姫が話している途中で、その口を甲斐姫が塞ぐ。


驚いている奈阿姫に、

「奈阿よ。女性の年齢を軽はずみに言うでない。それに人間、思い込めば、意外とその通りになるものじゃ。妾は、まだまだ二十代よ」と、甲斐姫が割と真剣な表情で諭した。


頷く奈阿姫は、それ以降、甲斐姫の年齢のことは、口のするのを止める。

まぁ、二十代といっても通用するだけの美貌と若々しさは、確かに甲斐姫にはあった。

余計な虎の尻尾は、踏まないに限るのである。


二人はあてもなく逃げていたのだが、思いがけず進路を北にとっていたようだ。

今まで、歩いた距離を勘案すると、そろそろ若狭国わかさこくに入りそうである。


そこで、甲斐姫が思い立つのは常高院じょうこういんの存在だった。

彼女は大阪の陣で豊臣の使者となり、和議を成立させた人物である。


また、奈阿姫の兄である国松丸も、一時、若狭国小浜藩おばまはんで庇護されていたと聞く。

今、この窮地を救ってくれるのではないかと思われた。


淀君と懇意にしていた甲斐姫は、常高院とも面識はある。

不慣れな長旅で疲れを見せる奈阿姫のためにも、一度、休息は必要だった。

二人は京極家に向かって足を向けることにする。


小浜城を訪れると、城主の京極忠高きょうごくただたかは上機嫌で、二人を出迎えた。

甲斐姫は、すぐに常高院との面会を求めるが、あいにくと不在という話。

いずれにせよ、しばしの逗留とうりゅうを求めると、忠高は快諾するのでる。


すぐに食事が用意され、それが済むと甲斐姫には旅塵りょじんを払うよう湯浴みが勧められた。

奈阿姫にも別に用意されているようで、二人はしばし別れることになる。


久しぶりにゆっくりとした甲斐姫は、その見事に均整がとれた肢体を湯船の中で伸ばした。

そこで旅の疲れが出たのか、軽くうたた寝をしてしまう。


顔が湯面に浸かり、溺れそうになったところで目が覚めた。

すると、若干の頭痛が残ることに、ハッとする。


「しまった。これは、忠高にしてやられたか」


甲斐姫が、慌てて浴場から飛び出すと、置いてあったはずの自分の着物がない。そして、愛刀『浪切なみきり』もなくなっているのだ。


ここに至り、完全に京極忠高に謀られたことを確信する。

そうなると奈阿姫の身が危ない。


『おのれ、薬を盛るとは卑怯な。・・・いや、これは妾の失態か』


手近にあった浴衣を羽織ると、小浜城内、大声でわめきながら闊歩した。

「卑怯者の忠高よ。今すぐ、参上し妾に、その首を差出すのじゃ」


甲斐姫に気づかれることは承知していたため、すぐに城兵たちがやって来る。

丸腰の女性相手に、遠巻きにして囲むのだ。

これも甲斐姫の伝説があってのことか、兵たちはどこか及び腰である。


「奈阿姫はすでに、この城にいない。無駄なことは止めて観念するのだ」

「無駄かどうかを決めるのは、妾の方じゃ」


甲斐姫は素手でも城兵たちを圧倒した。あっという間に歯向かった者たちは、総崩れとなる。

そして、先ほど、勧告を言い渡した男を甲斐姫は捕まえるのだった。


「それで、奈阿はどこに連れていったのじゃ?」

「そ、それは言えぬ。・・・くっ」


男は甲斐姫に腕を捻じ曲げられ、苦悶の表情を浮かべるが、口は割らない。

仕方なく、腕の一本、もらい受けようと力を込めたその時、

「お止めください。甲斐姫殿、ご無礼を申し訳ございません」と、常高院が姿を現した。


「これは常高院殿も一枚噛んでおったとは、妾の眼力も落ちたものよ」

その言葉に常高院は目を伏せる。そして、床に三つ指を揃えるのだった。


「国松丸さまの件で、京極家は苦境の立場におります。これは止むに止まれぬ処置でございました」

「淀殿の前でも、そう言い放つことができるのかえ?」


常高院は唇を噛んで、返す言葉を失う。

だが、常高院にも譲れない決意はあった。


「奈阿姫の身柄は徳川に渡しますが、そのお命は私が必ず守ります。それこそ、京極家の意地にかけて、果たします」

「ふむ」


奈阿姫がとっくに連れ去られているのであれば、今から追うのも不可能であろう。

どうやら、ここら辺が潮時のようだ。


「なれば、今は常高院殿の言葉を信じよう。・・・誰か、妾の着物と浪切を持ってくるのじゃ」


その言葉にホッとした常高院は、すぐに手配をする。

物が届くと甲斐姫は惜しげもなく、その場で溜息が出るほどに見事な裸体をさらして、身なりを整えた。


普段着に戻った甲斐姫は、浪切の一部を鞘から出して刀に誓う。

「もし、奈阿の身に何かあったら、京極家を皆殺しにして家康を討つ」

その言葉に小浜城全体がおののくのだった。

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