第4話 父、母との別れ

大阪方が天守閣を捨てる決断を下す直前、国松丸と奈阿姫は父に呼ばれ、別れの挨拶を行うことになった。

秀頼は大阪城において、討ち死にする覚悟を決めたのである。


「国松と奈阿。短い間だったが、親子しての時を過ごせて感謝している」

侍女たちは、秀頼の言葉にすすり泣きをしていた。


幼いながらも二人の御子は、重苦しいこの雰囲気にただならぬものを感じる。

そこで年長の国松は事態を察するのだった。


「父上が武士らしく、城とともに討ち果てるおつもりでしたら、この国松もお供いたします」

八歳とは思えぬ立派な言葉に、秀頼は口をへの字に結んで黙り込む。


何かを伝えようと思うのだが、国松丸の姿に感動して言葉が出ないのである。

そこに淀君が助け舟を出した。


「それはなりませぬ。そなたは豊臣家の嫡男です。ここで、その血を絶やすわけにはいかないことは、説明せずとも理解できましょうぞ」


この言葉から分かるように、国松丸と奈阿姫を大阪城から逃がす算段をつけるために、二人は呼ばれたのである。

国松丸は、淀君に反論しようと試みるが、その前に秀頼に抱きしめられると、涙が止まらなくなった。


「国松よ。お前に天下人の景色を見せることができなかった、不甲斐ない父を許せ」

「許すも何も、父上には尊敬の気持ちしか持っておりませぬ」


国松丸は父にしがみつきながら、泣きじゃくる。そんな息子の頭を優しくなでると、その手で奈阿姫にも手招きした。

愛する子、二人を両手に抱いて、秀頼は別れの言葉を告げる。


「ここでお別れだが、忘れないでほしいのは、そなたらの体の中には天下人の血が流れている。天下人は万人の上に立つの同時に、万人のことを慈しまなければならない。そのことを肝に銘じて、強く生きてほしい」

「承知いたしました」


国松丸の返事の後、奈阿姫は、「嫌です。離れとうございません」と駄々をこねた。

七歳の少女に、この運命を受け入れろというのは、さすがに酷である。

この憐れな少女の背中を実母の小石おいわが抱きしめた。


「あなたは秀頼さまの子、そして、太閤殿下のお孫なの。あなたの小さな体に、これからの豊臣家を託すしかない。どうか、分かってちょうだい」

「お母さま」


父とだけではなく、この母ともお別れなのだと奈阿姫は気付く。

そんな中、強く抱きしめられて、体中が痛いのだが、いつまでも抱きしめていてほしいと願うのだった。


周りを見やれば、国松丸は実母の側室・伊茶いちゃの方と別れの挨拶をしている。

兄の覚悟は、もう揺るぎないのだと悟った。


であれば、自分も見習わなければ、愛する父と母を困らせてしまうことだろう。

奈阿姫は、その小さな体に力を込めて、踏ん張り生き抜く覚悟を決める。


二人の脱出に関して、護衛を数名つけるのだが、当然、嫡男国松の方が手厚くなった。

奈阿姫の方はというと、女性が一人だけである。

しかし、この女性、奈阿姫の目から見ても一人だけ、ただならぬ雰囲気を醸し出しているのが分かった。


「あなたの護衛は一人だけ。国松丸さまを逃がすのが優先なので、そこは分かってちょうだい。ただ、その一人は私がもっとも信頼するお姉さまよ。必ずあなたのことを守ってくださるわ」


小石に紹介され登場した女性は、その美貌と自信に満ちた目が印象的で、挨拶もそこそこに奈阿姫の足腰を触る。

「ふむ。それほど軟弱というわけではなさそうじゃな。まぁ、万が一の時は、妾が抱えて走る上、気にするな」


突然、見ず知らずの女性に体をまさぐられて驚いていると、小石が、「お姉さま。お名前だけでも自己紹介、お願いします」と言いながら、奈阿姫の乱れた着衣を直した。


「おお、妾の名は、甲斐かいじゃ。小石とは遠縁でのう。妾にとって妹のような存在じゃ」

名乗った女性は成田甲斐なりたかい


奈阿姫は、後で知ることになるが戦国最強の女傑とも言われており、その武勇を見込まれ秀吉に請われて側室にまでなった人物だった。

また、淀君からの信任も篤く、父秀頼の養育係も務めたことがあるという。


小石は大切な娘の命を守るために、知りうる限り、もっとも頼りとなる人物に託すことにしたのだ。

「お姉さま、よろしくお願いいたします」

「うむ。妾に任せておけば、徳川の手先が何人集まろと、問題ない」


大風呂敷を広げているように聞こえるが、奈阿姫は初対面ながら、この女性は信用できると直感する。

もう、迷うことを止めた奈阿姫は、父と母に別れの挨拶をするのだった。


「奈阿をこの世に産んでくれてありがとうございました。お父さま、お母さまの子に恥じぬよう、生きてまいります」

奈阿姫は深々と頭を下げる。


その姿に小岩は、心の中で懺悔した。


『普通の子として産んであげられなくて、ごめんなさい』


かける言葉も出尽くし、最後は無言で我が子を見送る。

ただただ、無事だけを祈るのだった。

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