第3話 秀頼の自裁

重要な使命を託された千姫は、乳母であり秀頼に嫁いだ際、一緒に大阪城にやって来た刑部卿局ぎょうぶきょうのつぼね、護衛の堀内氏久ほりうちうじひさらとともに大阪城を後にする。


直ぐ近くにあったのが坂崎直盛さかざきなおもりの陣であったため、混乱する戦場をかき分け、何とかその陣まで辿り着いた。


直盛は、当初、千姫のことを大阪城から逃げ出した侍女の一人と勘違いする。しかし、着ている着物に徳川の家紋、『三つ葉葵』があったことから、千姫であると信用するのだった。

すぐさま家康がいる本陣へと送り届けるのである。


本陣にいた家康は、思わぬこの来客に大きな喜びを見せた。

家康が千姫と会うのは、実に十一年ぶりのこと。


記憶の中の千姫は、輿入れ前のあどけない七歳の少女だったが、目の前にいるのは、まだ十分若いとはいえ、立派な武士の妻の顔をした女性である。

ここまで立派に育ててくれたことに、敵ながら豊臣家へ感謝した。


「千よ、大きゅうなったな。息災であったか?」

「私は、この通りで元気でございます。それよりお願いしたい儀がございます」


そう言って、千姫は頭を下げで指を地につける。ここまでして、懇願することとなれば、願いは一つだろう。

家康は、千姫の願い事を察するが、それは到底、叶えてあげることはできなかった。


「どうか大阪城の秀頼さまと淀君さまのご助命をお願い致します」

「それは残念ながら、儂の一存では決められないことだ。今の将軍は秀忠である」


これは家康の方便である。確かに家康は征夷大将軍の職を、千姫が嫁いだ二年後、息子に譲っていた。

だが、徳川家内において、絶大的な権力を握っているのは、今でも間違いなく家康本人であることは、千姫も知っている。


しかし、家康本人が、こう話す以上、この場での交渉は不可能となった。

「それでは父上のところに行って参ります」


千姫としては、それ以外に言いようもなく、すぐに父、秀忠が陣取る岡山の陣へと急いだ。

そこは最前線だけあって、指揮を取る秀忠は忙しい。


千姫が訪れてもなかなか会う機会に恵まれなかった。

そして、ようやく顔を合わせた父は、娘に非情な言葉を投げつける。


「なぜ武家の娘が夫ともに城に残り、場合によっては一緒に自決の道を選ばなかったのか」


この言葉には千姫も返す言葉がなかった。

そうしたかったのは山々だったが、その恥を忍んでも達成しなければならない使命を千姫は帯びてきている。


「武門の名を汚した罪はいくらでも受けます。ですから、なにとぞ、秀頼さまと淀君さまのご助命をお願い致します」


千姫の願いに、考えておくとだけ答えると、秀忠はその場を離れた。

豊臣方の反撃に備えなければならないとも告げるのである。


その父の後ろ姿に、千姫は大きな声で、「なにとぞ、なにとぞ」と涙ながらに訴えるのだった。

足早にその場を離れる秀忠だったが、その理由は何も豊臣の反撃に備えるだけではない。実は別のところにあった。


千姫の前に残っていると、その願いを聞き届けてしまいそうになる自分がいたからである。

冷たい言葉をかけた秀忠であったが、千姫が無事に戻って来たことを内心、嬉しく思っていた。


実際、この戦に先だって、千姫を無事救出した者には、特別に恩賞を授ける約束を家康と連名で出していたのである。

そこまで大切にしている娘の願いを聞き届けてあげたいとは思うが、それはあくまでも私情だ。


ここで豊臣家を根絶やしにしておかなければ、徳川の安泰はないのである。

秀忠は、心を鬼にして娘と接したのだ。



野戦での勝敗も決し、防衛力が著しく低下した大阪城では、これ以上の抵抗は不可能となる。

秀頼は天守閣を捨てると、山里丸にある櫓に淀君、大野治長おおのはるながらと籠った。


その櫓も井伊直孝いいなおたかの兵に囲まれ、銃弾の嵐に見舞われる。

ここに至っては、淀君も千姫に託した助命の願いが、届かなかったことを悟った。


もはや秀吉の後を継いだ母子も覚悟を決める。残された道は自決しかないのだ。

最後に願うのは、山里丸に籠る前に逃げるよう指示した、二人の御子の安否である。


『どうか、徳川には知れず、ひっそりとでよいから、生き延びてほしい』

淀君は、そう願う。


それは秀頼も同じ気持ちであった。お家再興に縛られるのは自分の代で終わらせて、ただただ、幸せに生きてほしい。

父親として、真に願うのは子供の無事だけだった。


秀頼は、辞世の句を書き残すことなく、子供たちの行く末だけを案じる。

ひとしきり、天に祈ると白刃を腹に突き刺すのだった。

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