マーガレットのベンガル 5

 一番ちかい村に、ジョゼフは運び込まれた。腰から血を流し続けている。男たちが止血し、椰子酒を吹き付けて消毒し、かれは傷を縫われる。ホセンは銃で虎を追い払ったが、恐怖でいまも震え続けている。少年を抱えながら、わたしは涙を流す。日が高くなってきた。

 奇妙な村だった。舟に同乗していた男たち以外に、男が出てこない。ジョゼフがかつぎ込まれたのはある家の中庭だったが、そこに導いた老女は、薬草や湯を手配してくれたが、その手伝いをしたのも女だけだった。ほかの村では、女たちは鮮やかな更紗の布をまとい、髪の分け目に色粉をつけ、腕輪や首飾りをたくさんつけていたが、この村の女たちは生成のいろのサリーばかりを身につけている。ちいさな子どもはいるが、滞在していた村ほどあふれんばかりではない。ジョゼフの手当が一段落し、男たちが日陰で水を飲んで休んでいるのを後目に、村を見渡すと、女たちは日がな錘に向かい、綿糸を紡いでいる。

 ホセンが男たちに話しかける。

 血がたくさん出たが、内腑に傷は達していないそうです。熱が出て苦しむことになるかもしれません。

 ホセンは言い、悄然とする。

 老女が歩み寄ってきて、ホセンに言う。

 痛み止めと熱冷ましの薬湯をつくるよ。

 ありがとうございます。

 思わずわたしは叫んだ。

 老女はぎょっとして、わたしを見る。

 ああ、ことばがわかるのかい。

 ええ。あの、薬種商を兼ねる家で育ったので、薬湯をつくるのを手伝えると思います。

 植物学は医学にちかしく、種苗商は薬種商を兼ねることもある。父は植物について、必ず効能を把握させたし、圃場で育てた薬草を、調合して卸したこともある。

 軒先に置いた寝台で眠るジョゼフを見つめる。



 もちろん、わたしはあまり役には立たなかった。ただ、義姉の庭でこの地の薬草は目にしていたし、煮出したりすりつぶす手伝いはできた。それに、この村の女たちはジョゼフに触れられない。痛みに眉間に皺を寄せているジョゼフを起こし、薬湯を飲ませた。

 蜂蜜取りの男たちは、そのようすを見て安堵し、ここはわたしとホセンに任せて、村に戻ってもよいかと尋ねたので、わたしは頷いた。

 舟に乗せてカルカッタに戻って白人の医師に見せるには、かれの傷が深すぎるし、途中でなにかあっても、外科的な対応ができる者がいない。ここでしばらく世話になることにした。

 あのう、どうしてこの村には男性がいないのです?

 わたしが老女――フォリダと名乗った――にそっと尋ねると、真っ白な髪の小柄な彼女は、目をしょぼしょぼさせた。

 おまえさんの連れのように、みんな虎にやられて、いまでは後家村と呼ばれているよ。

 えっ。

 わたしはあたりをもう一度見渡し、理解した。

 そうか、だからみな生成のサリーばかり着ているのだ。装身具を身につけず、生成のサリーを着るのは、未亡人の証だった。

 男がいたときは、蜂蜜取りをしていたが、いまは外に出る男手がないから、ちかくで蟹や海老を穫るか、糸を紡ぐことしかできない。買い取ってくれる商人が月に一度、舟で来るんだ。

 そうなんですね……。

 さあ、旦那を見てやりな。今夜が乗り切れるかどうかだ。

 ああ、夫ではなくて、かれは甥です。

 はあ?

 彼女はしわしわの顔をさらにしわしわにして、驚いた。

 異人ジヨボンは妻でもない女を連れて、物見遊山に出かけるのかい。

 物見遊山ではなくて、仕事です。

 はあ? 商人でもないのに、出かけていくのが仕事かい。年を取るといろんなことが起こるね……。

 やれやれ、とでもいうふうに、彼女は沐浴に出かけてしまった。

 日が暮れる前に、持ってきた蚊帳をかけ、虫除けの草を焚く。気を取り直したホセンが、フォリダにかけあって食事や水をもらってきたり、どこかから手巾をもらってきたりした。

 予想通り、ジョゼフは高熱を発し、四日寝込んだ。ホセンがからだを拭いたり、排泄の面倒を見ると言って、そういうときは寝台のそばから追い出された。

 わたしもやるよ。

 いや、これはジョゼフさまの名誉の問題ですよ。

 子どものときに一緒に風呂に入れられたりしたよ!

 白人は七日に一回しか沐浴しないんでしょう。そんな記憶はもう消えているはず。

 ヒンドゥスターンに来てからは毎日沐浴してるよ、暑いし。

 あまり寝ていないせいで話が混乱してきた。

 とにかく、と言われてわたしはしぶしぶ蚊帳の外に出た。

 暑い季節なので、軒下に出された網状の寝台で、この村の女たちも眠っている。その脇で、月のよわい光のもとで、若い女が糸を紡ぎつづけている。紡ぎには指先の感覚だけが必要なので、彼女の手際もなめらかだ。夜にも仕事をしなければいけないほど、彼女は困窮しているのだろうか。月の光に、繊細な綿糸が透き通るようで、それは機織鳥の巣を思わせた。こんな状況でも、人間はうつくしいと思うのだった。

 虎が現れたときも、わたしは恐怖より、美を感じていた。ほかの動物にはない、がっしりとした脚。ふみしめた足の力強さ。するどい眼光に、耳や頬はやわらかな白い毛が生えていて、優美だった。躍り上がった一瞬の動き。線にすることのできない、もろい獰猛さ。あのときわたしがすばやく動いていたら、ジョゼフは怪我をしなかったかもしれないのに。

 ウスタード。

 ホセンがわたしをかすかな声で呼び、

 終わりました。よく眠っていらっしゃるので、わたしも寝ますね。

 それだけ言うと、ジョゼフの足もとに身を丸め、まもなく寝息を立て始める。大きな寝台なので、わたしもジョゼフの横に臥せる。かれは昨日までより穏やかな顔をしていて、わたしはほっとする。無精ひげは伸び、髪はくしゃくしゃで、やつれてはいるが、死んだりはしなさそうだ。蓖麻子油の灯明がちらちらとかれの顔に影を落とす。

 気むずかしく、とげとげしい、引きこもりの叔母を、一年かけてヒンドゥスターンに連れ出した年上の甥。

 ――だれと一緒にいると一番楽しい?

 そう訊いたかれの顔を思い出す。いつも自信に満ちたかれにしては、すがりつくような顔だった。

 ……モリー。

 記憶を呼び出していたせいで、それがいま現実に発せられた声だと理解するのに、ひとときかかった。かれは目を閉じたまま、苦しげに唇を動かした。

 モリー、……

 瞼の端から、ひとつぶ雫がこぼれ落ちる。

 きみが好きだ。

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