マーガレットのベンガル 2

 ベンガルには季節が六つあり、春はマンゴーの花のなまめかしいにおいで始まり、すぐに猛烈に暑くなり、乾季はカラカラに乾き酷暑で、雨季は雨鳥のさえずりとともに雨が轟然と降り、秋は祭とともにやってきた。冬は毛織物が必要なほど寒い。ガンガーの水をたたえた田は、秋に稲穂を揃えて豊かにさざめく。黄金のベンガル。

 カルカッタは住みにくい都市で、兄はちかくの農村に別邸を持っていた。そこにはムスリマの義姉が住んでいて、河や海で穫れた魚、羊や山羊を使った滋味ぶかい料理を作った。兄はその料理に夢中で、別邸に行く日を指折り数え、わたしやジョゼフになんの料理がでるのか楽しみだと言い募った。

 ベンガル料理にくらべれば、スコットランド料理は羊の餌だ。

 そう豪語してはばからず、そして、とても辛いことをべつにすれば、かれの言うことはもっともだった。魔法のように使われる香辛料。ほかの材料と熱することで香りとうまみのついたマスタードオイル。ふんだんに使われるヨーグルトとバター油ギー。新鮮な野菜は不思議な形と味わい。とびきり甘いたくさんの果物。米には複数の種類があり、ぷちぷちした触感のものや、霞を食べているようにふわふわしたものもある。

 義姉と兄のあいだには、十人の子どもがおり、別邸やカルカッタの屋敷に暮らして、男の子は英語を学んだが、兄はサンスクリット語やペルシア語の教師を用意して学ばせた。

 わたしはその別邸に身を落ち着け、義姉の育てているキッチンガーデンをスケッチし、味や香り、土地に伝わる効用を書き留めた。

 わたしは足の指が六本あるのよ。

 義姉はほほえんで裸の足指を見せ、わたしの見た目に驚いたりはしないと言った。

 兄の暮らしは裕福で、妹ひとり養うのはわけはない。だが、かれはベンガルではものめずらしかった。スコットランド人であること。ムスリマを娶ったこと。貴族でも郷紳ジェントリの家でもないこと。それらは、商売をこととする東インド会社が、ベンガルに財産権を持つ前は、とくにめずらしいことではなかった。だが、領土拡大や飢饉のあと、本国の目が厳しくなり、現地人やポルトガル、オランダの女性、あるいはそのいずれかの混血女性を娶ることは、キリスト教を広める使命を果たせず、「大ブリテン人」の減少につながると言われた。一方で東インド会社は現地のしくみをそのまま残したので、白人の子どもたちは、サンスクリット語やペルシア語なしには公職に就けないのだった。

 別邸は女部屋のある棟と男部屋のある棟があり、前者は草を編んだ塀でまわりを覆っていて、わたしはその囲いに救われる思いがした。義姉の血縁者の女たちと子どもたちしか、わたしの顔を見ない。ムスリマが頭を覆うのは信心深い証拠で、強烈な日差しをよける意味があり、だれも不審に思わない。キッチンガーデンも塀に囲われている。わたしは絵を描き、子どもたちに絵や英語を教えた。食料や薬として使われる植物の絵を描くだけで、数ヶ月が瞬く間に過ぎていった。

 ジョゼフは不満そうだった。わたしが女部屋から出てこないからだ。

 シュンドルボンへ行こう。マングローブの絵を描いてほしいんだ。

 乾季の涼しい早朝、かれがわたしを中庭に呼び出す。バニヤン樹の下に土を固めた台があって、そこに座る。バニヤン樹は気根がたくさん垂れ下がっていて、無意識にわたしはその奥に入る。ジョゼフはついてきて、わたしを追いつめるようなかたちになる。シャツ一枚に土地の男のように腰巻をつけて日焼けし、かれももうこの土地になじんだようだった。

 ムガルの宮廷に仕えていたわかい細密画家が一緒に来るよ。かれに植物画の手ほどきをしてほしい。

 ……細密画……あんな緻密なものを描けるひとに、わたしが教えられることはあまりないと思うけれど。

 兄が持っているヒンドゥスターンの細密画を、見せてもらったことがあった。西洋の、壁に飾ったり天井を覆ったりする絵とは異なり、綴じられて手元で見るための絵で、ちいさく、砂粒のようなちいささまで緻密だ。西洋の絵を見て学んでいるのか、すこしあやうい感じのする遠近法が取られ、人物の衣服や絨毯には、気の遠くなるようなこまやかな紋様が描きこまれる。植物の紋様が多い。様式化されて洒脱で、はっとするほど麗しく愛らしい。

 それを描く人間を間近で見られるのは興味をそそったが、ジョゼフの話は気が重かった。

 モリー。細密画家も、西洋人の画家に絵を学びたいと言っている。暑い時期だから、船にも駕籠にも薄布をかけて行くよ。じろじろ見られる心配はない。それに、きみは植物が生えているところを見に行きたいと言っていたじゃないか。

 うん……。

 ……行きたくない?

 そういうわけじゃないよ。初めて会うひとと旅をするのが不安なだけ。

 一年ちかくかかったヒンドゥスターンへの旅は、気苦労が多かった。女の旅はめずらしい。夫婦や兄妹ではなく、甥と叔母というのもややこしかった。ジョゼフは話好きで、船旅をともにした西洋人や、西洋語を解する船員と気軽に話した。片言のオランダ語やポルトガル語も話せる。その会話に、わたしを引き入れようとするのだ。なんども自分について説明するのに、わたしは疲れてしまった。ジョゼフに悪意はなく、話をしたひとびともかれを信用しているのか、わたしを侮辱するようなことは言わなかったが、それだけに、自分はかれとちがって黙ってひとりで過ごすことが好きなのだとは言えなかった。喜望峰ちかくのアフリカ南端の港で見た、ふしぎな植物――アロエなどの多肉植物やプロテア、エリカ、その他棘があったり色あざやかな花をつける植物たち――は印象的だったが、嵐に足止めされて西洋人の居留地で過ごすとき、男たちの話につきあわされるのは居心地が悪かった。かれらの話は、儲け話か、各地の女たちの品定めか、見聞きした奇妙な風習の話が多かった。黒人の男はたくさんの娼婦を囲い、同じ家に住まわせている。かれらは獣とも交わり、だから猿のような赤ん坊が生まれ、猿のような言語を話す――……ばかばかしい。ロンドンにいた黒人たちはごくふつうの人間だったし、英語を話し、女たちはうつくしい所作で働き、男たちは目を見張るようなしなやかなからだつきだった。

 白い肌の男たち――海外に出たかれらは、日に焼けて皮膚は痛み、酒と富でだらしないからだつきになり、儲けることばかり考えている――の好色な視線が黒や褐色の肌の女たち、少年たちに注がれるとき、わたしはかれらと同じ目的で旅をしているのを恥じた。日曜には礼拝を行い、世界中を旅できるほどの航海術を持ち、紡績機や力織機を発明し、植物を分類し、名付けるひとびとが、法や規律という偽善を押しつけ、各地で土地と富を奪い、よわいものに暴力をふるい、騙したり誘拐して強制的に働かせ、さらに富を得る――……その事実は、ベンガルの地で女部屋に引きこもっていても、わたしのこころを重くした。

 もう止められない。植物を引き抜いて地球の反対側に植え替える行いも、たくさんの人間をアフリカから引き抜いて西インドで働かせる行いも、東インドで戦争を起こして、ヒンドゥスターンの統治のしくみを根こそぎ破壊する行いも――……。あまりに大量で、あまりにおおがかりで、強烈な欲望。

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