マーガレットのベンガル 1

 そのあと、ロンドンでは天然痘が流行り、わたしは罹患して、生き残ったが、からだじゅうにあばたが残った。そうしたひとは珍しくなかったが、ぼこぼこと皮膚の陥没した部分に黒い色素が沈着し、顔はまだら模様になった。街を歩くとじろじろ見られ、子どもに指をさしてへんだと言われ、黒人とのあいのこではないかとからかわれた。大人だったかもしれないが、石を投げつけられたこともある。わたしの家が、スコットランドからロンドン近郊に移り住んだひとびとであることも関わっているかもしれない。継母の子どもである弟妹も、ひとりは同じ病で死んだのに、嫌悪のまじった目で見た。マティルダの甥である王子は、種痘というものを受けて、天然痘の心配がなくなったそうだが、特に大もうけをしているわけでもない商人の家では、そういったことは難しかった。

 同母の兄は、ひとりは十六で東インド会社の書記見習いとなり、ひとりはエディンバラ大学で植物学を学んだあと、家業を継いだ。稼業をついだほうとは二三歳年が離れていて、かれ――ジョゼフの子、つまりわたしの甥は、わたしより二つ年上で、同じジョゼフという名前だった。かれとも同じ家で育ったので、大ジョゼフよりもちかしい、兄のような存在だった。小ジョゼフは、天然痘が流行ったときは西インドに出かけており、各地の種や苗を持ち帰った。それらはわたしの家の重要な商品になり、イングランドやフランス、オランダの植物園に引き取られていった。

 世界じゅうに生えている珍奇な植物に比べれば、モリーの肌がまだらなのは、ごくごくわずかなちがいだよ。人間であるというに過ぎない。

 小ジョゼフはこともなげに言い、北米の巨大な針葉樹メタセコイアや、インディアンの入れ墨を描いたもの、タイサンボクの巨大な花の絵を見せて、わたしを慰めるようなことをした。

 植物採集人は、そのとき、花形の職業だった。大ブリテン王国は園芸熱にとりつかれた貴族や、商品作物を移植して自分の富とする欲望にとりつかれた商人、プランター、資本家にあふれていた。西インドからはトウモロコシ、キャッサバ、ジャガイモ、タバコ、トウガラシ、カカオが。東インドからはナツメグ、クミン、クローブ、サトウキビ、インド藍、綿、茶、コーヒーが。植物は交換された。貧民の命をつなぐ家畜の飼料のようなトウモロコシやジャガイモは人口を爆発させた。茶、コーヒー、カカオ、砂糖は、庶民の慰めから貴族の威信財まで、強烈に求められた。

 もっと富を。

 もっと金を。

 もっと地位を。

 そうした欲望を持つひとびとは、わたしの家のような、土にまみれたひとびとを使って、あたらしい、めずらしい、すぐれた植物を血眼になって探した。

 植物園、庭園、薬草園、温室で、わたしの家の差し出す植物は育てられた。アルバムに綴じられた植物画はおびただしく、種や球根も山となって、各地を行き交った。

 わたしはボンネットをかぶり、圃場で草むしりをし、枝を剪定し、虫を殺し、肥料を鍬きこんで、雨や風に気を配り、日当たりを調整して、西インドから来た多様な針葉樹を育てた。それらは、あたらしく庭園を造営する貴族に求められ、まとめて買い上げられて植え替えられる。

 奉公人と同じ野良仕事をしているうちは、話しかけられることもない。周囲のひとたちはわたしのことを放っておいてくれる。姉たちも異母妹たちも嫁いでいって、わたしは家業を手伝いつづけた。外を出歩くときは顔を隠した。植物画を描き、それは種苗店のカタログに載せられた。女が描いたものは信用されないから、と父が言い、わたしの名前はそこには載らなかった。それでも、わたしはその暮らしに安堵していた。

 一七七〇年、兄ピーターの暮らすインドヒンドゥスターンのベンガルで大飢饉が起こった。旱魃が二年続いて、米が穫れなかった上、東インド会社が税の徴収と米の買い占めを行い、米の価格は貧民には手が出ないほど高騰し、できたわずかな作物を税に取られて、百万人が死んだという。ベンガル暮らしの大ブリテン人は本国の印刷物や演劇にこっぴどく風刺され、ネイボッブ――インド成金――と呼ばれ、キリスト教徒の風上にもおけぬ強欲どもだと言われた。ピーターはそうした風潮を知ってか知らずか、飢饉が起きて管轄下の農民に炊き出しをしたことや、久しぶりに雨が降った安堵をしたためた手紙、そして、ベンガルの植物の種と、それが成長した場合の絵を送って寄越した。

 相変わらず絵が下手だな!

 父は絵を見てうなり、そのあと笑い出した。

 だれかあいつのもとに絵のうまい人間を送らないと、これでは、種が育っても、うまくいったのか、徒長しているのかわからない。

 小ジョゼフはその絵をのぞきこみ、

 バニヤン樹、商人の木か。

 とつぶやいた。そこにはもやもやした線の塊と、ピーターのちまちました字の説明があった。

 商人たちがその木陰で休むので、バニヤン――商人のカーストの呼称――と呼ばれている。気根がたくさん出て、すだれのようになる。熱帯らしい。ベンガル人はその木を宗教的にも崇めている。

 数年では大きくならなそうだな。西インドの熱帯で育てたらちがうだろうが。

 雪で枯れてしまうかも。

 男ふたりが栽培法について話し合う。

 ジョゼフ、ヒンドゥスターンに行く気はないか。ピーターがどう暮らしているか、見てきてくれ。

 飢饉明けの異教徒のくにに? 喜望峰回りは一年くらいかかるらしいぞ。金が必要だ。

 勧業協会にかけあってみよう。ヒマラヤの青い罌粟や、ビルマの火炎樹。植物の知識のある人間でなければ、ヨーロッパに持ち帰ることはできない。

 わたしだってそんなに絵がうまいわけではないよ。

 それは、植物画家も帯同して――……

 モリーのほうがよほど上手だ。

 だれか適任がいないか――

 モリーを連れていけばいいんじゃないか。

 はあ? 女ひとりで?

 いや、わたしが一緒に行くよ。それなら体面ももつだろう。

 男ふたりに見つめられ、わたしは戸惑った。

 子どものころは、いつか船に乗って、ピーターやジョゼフのように見知らぬ植物を見てみたいと思っていたよ。

 わたしはぽつりと言う。

 なら……。

 ジョゼフが勢い込むので、わたしは首を振った。

 ここを出たら、顔を隠しても、じろじろ見られるだろう。向こうでは白人の女はめずらしいだろうから、余計に。

 モリー。外に出るのは、もういやか。

 父がそっと言った。父に指示されて、届け物に出たり、家の買い物をすることはあったが、わたしはボンネットをふかくかぶって歩いた。それを奇異に思われて、顔をのぞきこみ、ぎょっとする人間に、幾度も出会った。近所の人間なら慣れているが、すこし遠出をすると、そういうことはよくあった。

 ……ああ、モリー……

 ジョゼフが言い、わたしの肩に手を置いた。

 わたしは涙が自分の目から頬を伝うのを感じた。

 ……この家にいれば、めずらしい植物はたくさんやってくる。それを育てて暮らすのは悪くない。でも、植物はその土地に根を張るものだ。東インドなら東インドの土に。そこから引き離して、人間の欲望によって植え替えられる。もうこの流れは止められない。でも、わたしは――植物たちの故郷が知りたい。かれらはそのなかで育ち、幾世代もいのちをつないできた。日の光や、風や、土壌や、虫や、鳥、獣やほかの植物のなかで。植物画には、その植物しか描かれない。背景は簡略に。だから、このくにのひとびとはその種だけを見てしまう。でも、わたしは――。人間はたくさんの人間のなかで生きる。侮辱されても、わたしはひとりでは生きられない。植物のように、まわりから栄養や光を受け取って生きる。このくにで育った根をそのままに、植物の故郷に行くことは――可能なはず……。人間にとっての土壌や雨は、こころのなかにある。

 わたしは自分の胸元に手をあてた。脈打つ心臓を感じる。

 顔をのぞきこまれても、石を投げられても、こころのなかの根を引き抜かれることはない。うつろっていく現実と、こころはべつだから。

 モリー。

 ジョゼフがわたしを見つめる。

 おれがきみを守るよ。すくなくとも、この家の外に出ているときは。

 わたしはほほえんだ。

 無理だよ。世界はあまりに広いもの。わたしはわたしの力で、こころを守るしかない。だれかに盾をかかげてもらっても、風は吹き、音楽は耳を打つ。だったら、直接それを聴いたほうがいい。

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