女神殺し 2
ラタン・バーイーは富裕なラージプートの貴婦人で、ペルシア語やサンスクリット語の書物を読み、宮廷式の音楽を歌い、ヴィーナーを奏で、
まあ、ヴァーマナが来たわ。
沙漠の冬はひとびとを縮こませる。毛織りのショールでからだをくるみ、女主人に温めたワインを用意していた侍女たちは、にわかに歓声を上げた。
花を用意しなければ。
薔薇を。
冬に?
庭師が間違えて咲いた薔薇を今朝摘んでいたわ。
ふたりはまっすぐにバーイーのもとにやってくる。女の鈴環と、ふたりが首に幾重にも巻いた数珠玉が音をたてる。女主人はふたりにうやうやしく礼を取り、ふたりの足の甲に額を付ける。
ヴァーマナの女ははりのある声で言う。
わたしはアアフリーン・ヴァーマナ。
男はやわらかな声で言う。
わたしはラング・ハイ・リ・ヴァーマナ。
ラタン・バーイーです。
ひざまずき、女主人はふたりの目の高さに合わせる。ほほえみを交わし、侍女たちはヴァーマナたちの首に花環をかける。蜜蜂はそれに群がる。
うれしいわ。うれしい。わたしに語ってくださるのですね?
ええ。
あなたが、アアフリーン?
ええ。
絹の絨毯の敷かれた寝台に、ラタンは横たわる。日はとっぷりと暮れ、灯りはわずか。ラングは寝台の下に座り、口を開けると、そののどの暗がりに蜜蜂の群れが吸い込まれるように入っていく。羽音は絶え、夜の静寂が満ちる。かわりに、ラングがタンプーラの弦に手指をこすりつけるたび、音の襞が揺らめく。ラタンの枕元に立て膝で座るアアフリーンが、かかとを持ち上げ、打ち下ろし、しゃんと鈴を鳴らす。唇をひらく。
どこへでも、ただし南だけは
カトリーの女がいた。染めを行うジャーティで、女たちは絞り染めのための括りの作業をする。隣村には木版染めであるアジュラックの染めを行うカトリーもいて、そこでは女たちは染色を行わない。その隣には手描きの更紗を業とするカトリーがいて、そこでは女たちも夜っぴいて布に向かう。
カーブルからムスリムの兵士がやってきて、一帯を襲った。ラージプートの領主はヒンドゥーのひとびとをかくまっていたが、あえなく屈服し、城塞では殉死の炎が燃えて、女たちが飛び込んでいった。
カトリーのひとびとはムスリムだったから、カーブルのひとびとの支配を受け入れた。自分たちを穢れとみなすヒンドゥーのひとびとが悄然としているのは、カトリーの女にとってはこころたのしいことだった。ブラフマンやラージプートのむすめたちが奴隷として宮殿に連れていかれる。むすめたちがまとうヴェールを取り急いで献上するように、と言われ、カトリーの女たちは村を越えて集まり、おしゃべりをしながら手早く準備をした。
絞り染めは婚礼の衣装じゃない。そんなものを用意してやる義理はないわ。
じゃあ木版更紗?
手描きなんて手間のかかるものはもってのほかでしょうし。
女たちはけらけら笑った。
まずしい牧畜の女たちのような、ちいさな花の木版を押してやろうか。それなら見栄えはよいでしょう。男たちからくすねてくるわ。
染料なら持ってきた。
ミロバランに漬けた布はたくさんある。
みなで材料を出して広げる。
手織りのジャーティはカトリーよりもさらに低い地位にある。カトリーの女たちは、かれらが地を掘って作りつけた機に、日がな向き合って暮らしているのを知っているし、その妻たち、母たち、むすめたちが、糸の始末や掃除をして、それを支えているのを知っている。
木版をつくる木工は、硬い紫檀を根気強く彫る。
媒染剤として、この地に特有の鮮やかで堅牢な染色を実現するミロバランの実は、カトリーの女たちによって摘まれる。
はだしのひとびと。
棘をものともせず、洗濯漕で足踏みし、中腰で重い布を持ち上げて振り洗いをするカトリーの男たち。
ラージプートに差し出すために、寸分の狂いもなく木版を捺し、何度も何度も防染や捺染をし、ちいさな筆で描き込み、水に晒し、陽に晒す。
地を染めた花紋様に印金を置く。
羊毛や金銀の糸で刺繍をする。
いくつものジャーティを経由してつくり出される布。
沙漠に咲くその美を、女たちはよく知っている。
布に触れて、染料を見て、女たちは息を吐いた。その湿りけはすぐに乾き、でも、何度も息が吐かれた。
この布はどこへでも行くけれど、わたしたちはずっとこの地にいるのね。
この沙漠を、棘のある樹を、らくだや羊を見て暮らすのね。
川が枯れて染め物ができなくなるのを恐れて。
夫に殴られて。
むすめの婚礼の心配をして。
次に子を産めば死ぬんじゃないかと怯えて。
メッカや聖者廟に行くこともなく。
うつくしいものをつくって。
それを喜ばれる場を見ることなく。
いいえ、むすめの婚礼衣装をつくれば……
わたしのヴェールは母さんが染めてくれた。
婚礼なんて――
一瞬のことよ。でも。生涯でいちばん。
あのむすめたち。
ヒンドゥーの。
どんな目に遭うのかしらね。
わたしのむすめと同じくらいの歳。ほんのちいさい……
さいきん来た嫁と同じくらい……
母おやから引き離されて――……
湿った息が吐かれて、暮れようとする陽が、儚く靄を赤く染める。
紫紺の闇のなか、月が雫を落とし、女たちの頬を伝う。
女たちは寄り集まる。手を伸ばし、たがいの腰帯に手をかける。円になり、くるくるとまわる。ステップを踏みながら。鳥たちの羽ばたきが
星辰が瞬く。その軌跡は両面染めになる。
月光鳥が啼く。長く尾を引いて。その声を紡いだ銀糸は、
羽根が落ちた影は、微かな絣のあわいに。
女たちのひとみの輝きは、こまかく砕いた鏡片刺繍に。
行くな。むすめよ。
行くのか。どこへでも。
えらばずに。生きのびるため。
でも、どうか、
南にだけは行ってくれるな。
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