第19話 躊躇いの代償

 水彩が目を覚ますと、そこは都の郊外に広がる湿地帯だ。仰向けに倒れていた水彩が起き上がると、傍で要が木陰に風花を横たえているところだった。


「要様、風花殿は……」

「目覚めたんだな、水彩。大丈夫、気を失っているだけだ。消耗が回復すれば、目覚める」

「そう、なんですね。……よかった」


 ひとまず、風花は生きている。見れば顔色は悪いものの、規則正しく息をしていることがわかった。ほっと胸を撫で下ろした水彩だが、すぐに眉間にしわを寄せる。残してきた二人のことを案じたのだ。


「火沢と土宿殿は、大丈夫でしょうか」

「今は、二人を信じるしかない。俺たちも、すぐに彼らのことを言えなくなる」

「え……っ!?」


 要の顔を見上げた瞬間、頭の中にある光景が思い浮かぶ。その中心にいる誰かが何者かわかった時、水彩は咄嗟に腰にはいていた剣を引き抜いた。

 ――キンッ

 金属音が耳元に響き、目の前に何度も出会った女の険しい顔を見る。ふわりと広がった彼女の髪は、この状況に不釣り合いに美しかった。


「赤羅!」

「流石は御子。けれど、そんな付け焼き刃で勝てるとでも?」

「くっ」


 力任せに押され、水彩は倒れそうになるのを何とか堪える。そして体勢を立て直し、赤羅を真っ直ぐに見詰めた。


「簡単に、倒れるわけにはいかない!」

「そのようね」


 そうでなくては。赤羅はニイッと笑い、曲線を描いた刃を二つ、左右の手に掴む。


「少しくらい、楽しませてくれるかしら」

「絶対通さない」

「やってみな!」


 赤羅は軽く地を蹴ると、水彩の目の前へ躍り出た。

 水彩は赤羅の刃を受け止め、弾き切れずに身を引いて躱す。ズササッと地を滑ってから体勢を立て直した水彩は、振り返って要に言う。


「要様、風花殿と逃げて下さい」

「君を置いてはいけない!」

「でも、貴方はこの国に必要です! わたしたちが守るべき人です」

「水彩……」

「言いましたからね!?」


 水彩は背後からの殺意を敏感に感じ取り、振り向きざまにギリギリの防御をする。ギンッと重い金属音が響き、至近距離に赤羅の血走った目があった。

 震える手が限界を叫ぶが、それを聞けば死んでしまう。水彩も懸命に足を踏ん張り、気配で要が下がったことに気付いて身を引いた。

 勢いのまま赤羅の刃が地面に突き刺さり、すぐに抜かれる。


「さっさと死になよ!?」

「生きてやる! 生きて、みんなと一緒にいるんだ!」


 咳き込みながら、息をするのも苦しい。しかし水彩は、力が及ばないとわかっていつつも引かない。

 赤羅にとって、水彩はか弱い存在だった。吹けば飛ぶような力しか持たない、弱いもの。しかし今、それが目の前に立ちはだかって動かない。


(何なんだよ、あんたは!)


 渾身の力を込め、刃を振るう。手首を切り飛ばせば、大人しくなるだろう。そう思って刃を突き立てようとするが、水彩は間一髪で躱し続ける。


「くそが!」

「うっ」


 戦いの経験は、他の守り人よりも格段に少ない。そんな水彩が、どうして赤羅の戦い方について行けるのか。その秘密は、彼女の後方にあった。


(要様、無理しないで!)


 己と風花を守る結界を張ったまま、要が水彩の手助けをしていたのだ。自ら誰かを傷付けることの出来ない要が生み出した、味方を強化する力。それは、その味方に人を傷付けさせる行為でもある。


(本当は、水彩にそんなことをさせたくない。けれど、彼女に頼らなければこの国は守れない)


 先程多くの人を転移させたことで力をかなり使い、要自身が回復無く使える力はあまりない。少ない力を二つに分け、結界と補助に使っているのだ。

 汗が目に入り、染みる。それでも瞼を上げ、要は水彩への力の供給を強めた。これ以上長引かせれば、水彩が危ない。


「水彩!」

「かなめ、さま……」


 水彩の体が軽くなり、体重をかけてきていた赤羅を押し退ける。すぐさま水彩が視線を走らせれば、青い顔をした要がこちらを見て頷く。

 反対に尻もちをつかされた赤羅は、二人の連携というカラクリを確信して内心嗤った。ああ、これを壊せば良いのだとほくそ笑む。

 赤羅を仕留めることを躊躇った水彩の目の前で、赤羅は立ち上がるとドンッと足音を鳴らす。驚き目を見開く水彩の顔に、刃を振り下ろした。


「散りな!」

「――っ!」


 水彩は数歩退き、目と鼻の先で刃を躱す。数本の髪の毛が舞い、自分の代わりに切られたことを知った。

 一旦距離を取り、赤羅は大きな一歩で水彩を追い詰める。彼女が止めを刺せないことに気付き、更にその動きは大胆になっていく。


「ほらほら! 反撃しないと死んじゃうよ!?」

「うっ。それ、でも……。わたしは、退けたいだけで殺したくなんかない!」

「甘っちょろいこと抜かすんじゃない!」

「きゃっ」

「水彩!」


 黄泉醜女の力が爆発し、水彩の体を吹き飛ばす。地面に叩きつけられた水彩に、悲鳴に似た要の声が聞こえた。


「……っ」


 体中が痛むが、まだ立てるはずだ。きしむ体に鞭打ち起き上がろうとした水彩だったが、彼女の視界に赤い斑点がやけに鮮やかな刃が迫る。その時になって初めて、自分が切り傷だらけになっていることに気が付いた。


(万事休す……。ごめんなさい、要様。みんな)


 ぎゅっと目を閉じた水彩は、己の命を散らす痛みを待った。しかしそれはいつまで経っても来ず、別のドサリという何かが倒れる音に激しい胸騒ぎを感じて目を開ける。


「う、そ。嘘、でしょう……?」


 倒れたままの自分の目の前に、美しくそれでいて見慣れた顔が瞼を閉じて横たわっている。それが要だと理解するまで、水彩は相当な時を要した。

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