第4章 御子の目覚め

新たな黄泉の影

第16話 束の間の

 己の正体が仲間に知れ渡ったことで、土宿は前よりも肩の力が抜けたらしい。自信なさげに笑うことが減り、自ら風花や火沢、要に鍛錬を願うことも増えていった。

 水彩も負けじと、火沢を主な鍛錬相手にして徐々に力をつけている。ひと月前までは手にしたこともなかった得物を手に、潰れたまめの痛みを堪える。


「……いたっ」

「全く、火沢もきみも互いに容赦ない。水彩、他の傷は?」

「そ、そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ!? 後は自分で……」

「俺は、皆のように戦いの場では役に立てない。だからせめて、案じることだけはさせて欲しい」

「……はい」


 そこまで言われると、反論の言葉はない。水彩は大人しく要の手当を受けていた。神水しんすいだという水で傷を洗い、要は水彩の右手にさらしを巻いた。


「動かしにくいだろうけど、我慢してくれ。神水が傷の治りを早めてくれるはずだから」

「はい」

「これで、よし」


 手当を終えて立ち上がった要は、近くで鍛錬を続ける守り人たちを眺めて苦笑した。


「本当に、彼らには頭が上がらない」

「みんな、本当に強いですよね。要様の加護もありますが、大きな怪我もしないですし」

「少し前までは、俺の加護が追い付かない怪我もしていたんだけど」

「そうなんですか?」


 一体誰が。水彩が尋ねると、要は「風花だよ」と明かしてくれる。


「今でこそ最も落ち着いて状況を見られる彼だけど、俺と出会った頃はまだ荒れていたから。無茶ばかりしていた」

「……じゃあ、大怪我したことも?」

「一度や二度ではないな。死にかけたこともあって、その時俺がこっぴどく叱った」


 風花の他に風花の代わりはいないのだ。自分にはお前が必要だ、粗末にするな。そう言って、要は死にかけていた風花に加護を使い続けたという。

 幸いにも怪我は完治し、それから風花は自分を粗末にする戦い方はしなくなったとか。


「そんなことが……」

「俺は、同じことを何度でも言うよ。そして、水彩にも火沢にも土宿にも、更絵殿にも史年殿にもね」

「……では、要様にはわたしが言います」

「水彩が?」


 目を見張る要に、水彩は真剣な面持ちで真っ直ぐに言う。赤面しつつも、真っ直ぐな瞳で。


「要様も、一人しかいません。だから、絶対に自分をないがしろにしないで下さい」

「……何か視たのかな、水彩?」

「言いません。あれは、本当にはしませんから」

「そう。……強いな」


 ふっと和らいだ要の瞳が水彩を捉える。その澄んだ色に、水彩はどきりとした。

 そんな水彩の気持ちを知ってか知らずか、要は軽く伸びをしてから風花たちのもとへと歩き出す。


「そろそろ昼餉にしよう」

「お腹空きましたね、握り飯でも食べますか?」

「おお、いいな」

「ぼく、貰って来ますよ」

「それなら、わたしが!」


 束の間の休息に、五人は穏やかな時を過ごしていた。しかしながら、これは本当に僅かな時であることを皆知っている。黄泉国のと戦いは、徐々に激しさを増すのだから。


 同じ頃、都の端で黒いもやが立ち上っていた。それはほんの短い間だけ存在し、すぐに消えてしまう。


「……都の中、か」

「龍神とやらにバレぬよう入るのは困難だけど、赤羅の作った道が役に立ったねぇ」

白蛇はくだ、あまりべらべらと喋るな」

「案じないで、黒曜こくよう。ボクらの力の波動は可能な限り抑えているから。近くにいるのでない限り、気付きはしないよ」


 歌うように語る男は、軽薄な印象が強い。しかしその実、目は一切笑っていないのだ。白蛇と呼ばれた男は、くるりとその場で回ってみせた。


「それに、この格好ならば無駄に怪しまれないっしょ」

「向こうの姿のままでは、怪しまれ逃げられるからな」


 二人の衣服は、現世の都において当たり前に見る貴族の若君らしい直衣のうし姿だ。見た目は見目の良い、育ちの良さそうな青年たちではある。

 黒曜と呼ばれた男は、その名の通りに黒い髪と瞳を持つ物静かな見た目をしている。見た目も性格も、白蛇とは反対だ。

 伸びをした白蛇は、目的地へ向かうために一歩を踏み出した。その時、自分たちのものとは違う足音がガサリと聞こえて立ち止まる。

 振り返った黒曜は、かくっと首を傾げた。


「――誰?」

「あっ……」

「何だ、子どもか」

「あ……ぅあ」

「あー、これ。ちょっとまずいやつ?」


 物陰から頭だけを出しているのは、人通りのないこの道に迷い込んだ幼い女の子だ。彼女は大きな目を更に大きくして、目に涙をためて硬直している。目の前に立つ、得体の知れない白と黒の人型の何かに怯えているのだ。

 白蛇はにこにこと微笑み、女の子の頭を撫でてやる。その手つきは優しいものだが、女の子の涙は止まらない。


「驚かせてごめんねぇ? ぼくたち、ここにいることが誰かにばれちゃいけないんだよね」

「あ……うえ……」

「うん。だから、?」

「……行くぞ、白蛇」


 束の間立ち止まっていた黒曜は、ため息をつくと背を向けて歩き出す。その背中を追い、白蛇も駆け出した。


「待ってよ、黒曜」

「さっさと行くぞ。ここで立ち止まっていては、王の目的を叶えることが出来なくなる」

「わかってるよ、黒曜」


 二人が去った後、草むらには一人の少女が倒れていた。気を失い、翌朝に家族が彼女を見付けるが、彼女はその夜の記憶を全て失っていた。勿論、白蛇と黒曜と出会ったことも忘れている。ただ、とてつもなく怖かったという気持ちだけが残ったという。

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