第3章 わたしにできること
誰かを守れるように
第12話 戦う力が欲しい
赤羅と対峙した翌日、水彩は一人要のもとを訪れた。
要は一人で清涼殿の外にいて、目を閉じている。すぐに声を掛けられる雰囲気ではなかったため、離れて少し待つことにした。
すると、要を真ん中にしてゆっくりと文様が現れていく。足元から端を発し、淡い緑色に光る筋が線を描くのだ。それは美しい円を描きながら文様を作り、広がる。
(綺麗……)
思わず見惚れ、水彩は自分の足元にもその文様が近付いていることに気付かなかった。文様は水彩の足元だけでなく、都中に広がり、やがて結界と一体化して姿を消す。要の龍神としての最も重要な仕事の一つ、結界保持だ。
光が消え、要が息を吐き出して目を開ける。そしてようやく、水彩が来ていることに気付いた。
「水彩、おはよう。早いな」
「おはようございます、要様。あの、今のは……?」
「ああ、俺の仕事の一つ。結界を強めるために、毎朝力を使っているんだ」
にこりと微笑んだ要に促され、水彩は
「俺には、戦いに使える力がない。もともと、龍神は国を守るための力を持つだけの存在だから。……風花たちに頼らざるを得ないんだ」
「でも要様のお蔭で、みんな大怪我をしなくて済むんだって聞きました。確かに、みんなあれだけ激しく動いて小鬼とぶつかっていたにもかかわらず、擦り傷程度で済んでいましたもんね」
「あれは、俺の加護の影響だな。龍神の力は最も近くにいる者に強く出るから」
「なるほど……」
それきり黙ってしまう水彩だが、本当に言いたいことはこれではない。どう切り出すかと焦っていた時、隣から「それで」と声が聞こえた。
「何か、俺に用事があったんじゃないのか?」
「あ……そ、そうなんです」
「やはりか。言ってみろ」
聞く姿勢になった要に見つめられ、水彩は白旗を揚げて白状した。こんなことを言えば、女らしくなく嫌われるかもしれないとよぎったが、本心なのだから仕方がない。そもそも、火沢も思いっきりやっているではないか。
顔を上げ、真っすぐに要の瞳を見る。
「わたし、火沢たちと一緒に戦いたいんです。だから、戦い方を教えて下さい」
「戦い方を……やはり、きみはそう言うだろうと思っていたよ」
「どういう、ことですか?」
きょとんとしてしまった水彩の頭を撫で、要はふっと微笑む。目の前の彼女に聞こえないくらいの大きさで、そっと呟く。
「……まだ、思い出さなくて良いんだ」
「あの、要様?」
「ああ、ごめんな。それで、水彩はどんなふうに戦いたいんだ?」
要に問われ、水彩は「はい」と返事をした。
「守り人のみんなみたいに戦力になるには時が必要なのはわかっています。でも、わたしも剣を持って戦いたいんです」
「見ていてわかると思うけれど、命を賭けた戦いになる。俺がある程度守れるけれど、それも万全とは言い切れない。……それでも?」
「怖くないといえば、嘘になります。でもそれ以上に、未来を見るだけじゃみんなを守れないから」
「わかった」
くすりと笑い、要はそっと水彩の髪に触れた。あまりにも自然で、水彩がそれに気付いて赤面するまでに間があった程だ。
「あのっ、要様」
「水彩の力は、先見が最も強い。戦うための火沢たちのような傷付ける力はないけれど、腕に覚えがあった方がいいね」
俺もないわけじゃないから。そう言うと、要は水彩の髪から手を離す。それを惜しく思い、水彩は内心戸惑った。
一方、要は少し考える素振りを見せた後に「火沢」と名を呼んだ。すると、それ程大きな声ではなかったにもかかわらず、火沢が姿を見せる。
「お呼びですか、要様?」
「火沢!?」
「守り人と龍神は、見えない糸で繋がっているから。……それはそうと、火沢に頼みがあるんだ」
「なんですか?」
きょとんと目を瞬かせる火沢。流石に会話の内容までは筒抜けでないらしい。
そんな火沢に、要は水彩の指南役を依頼した。
「喜んで! 早速やろうか、水彩!」
「今から!?」
「だって、善は急げって言うでしょ?」
ほら、早く。火沢に手を引かれ、水彩は要への挨拶もそこそこに駆け出す。
二人がいなくなり、要はにこやかに見送っていた表情を固いものへと変えた。その目には、ここではない別の場所が映っている。
「……時が、近付いている。願わくは」
――願わくは、彼女らの行く末に影が落ちぬように。
水彩は火沢に連れられ、内裏の中に造られた空き地へとやって来ていた。幾つかのえぐられた跡、穴ぼこが目立ち、注意深く見れば木々の間に折れた幹が見える。内裏の中にあって木々に囲まれたそこは、まるで大内裏のしとやかさとは無縁だった。
「ここって……」
「あたしたち、守り人が鍛錬をするための場だよ。入ればわかるけど、ここにも結界が張られていて、少し暴れたくらいなら、周りの建物や人に被害が出ることはないの」
「へぇ……」
ほんの少しだけ、火沢や風花、土宿の力の気配が残っている。その強さと激しさに、水彩は密かに戦慄していた。
(わたし、火沢たちみたいに強くなれる?)
そんな水彩の心配を他所に、火沢は彼女の手を取る。火沢の手は傷だらけで、貴族たちとは全く違う。誰かを守り戦う手だ。
水彩は火沢の手を握り返し、彼女の橙色を帯びた瞳を見つめる。
「お手柔らかに、お願いします!」
「うん。まずは基礎的な動き方からやっていこう。あたしの動きを真似てね」
「はい」
何も持たず、まずは動きを体に覚え込ませるところから。基礎を一切持たない水彩は、その夜体中がきしんで悲鳴を上げることになるのだが、それはまだもう少しだけ先のこと。
風花と土宿が清涼殿の屋根から見守っていることを知らず、水彩は懸命に火沢の動きを追っていた。
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