第9話 言い伝えは残る

 初めての黄泉退治から数日後のこと。ようやく都での暮らしに馴染み始めた水彩はその日、火沢に連れられて図書寮ずしょりょうを訪れていた。

 図書寮とは、その名の通り書庫のような建物だ。つ国や、豊原国の古い巻物や書籍が収められている。あまりに古いと難しいが、手続きを踏めば借りることも可能だ。


「こっちだよ、水彩」

「歩くの速いよ、火沢」


 火沢に引っ張られるようにして、水彩は図書寮の奥へと足を踏み入れていた。限られた者しか入ることを許されないというその区域には、表にはあまり出せない古い本が保管されている。

 迷うことなく本棚の森を歩く火沢を追いながら、水彩はせわしなく視線を彷徨わせた。


「こんなにたくさんの本が……」

「凄いでしょう? 水彩に、ちょっと読ませたい本があってね」


 そう言いながら歩いて行った火沢は、手を伸ばして上の棚に置かれた書籍を一冊手に取る。少しほこりをかぶったそれの表紙を軽くはたき、彼女は「はい」と水彩に差し出した。

 水彩が本を受け取って表紙を見ると、そこには達筆で『都、結界のこと』と書かれている。


「結界について書かれてるの?」

「そう。都の結界がどんな役割を持っているのか、龍神様……要様の力について。それから、結界のほころびについても書かれているの。あたしも土宿も、多分風花殿もまずこの本を読むように勧められた」

「まず読むように……」

「そう。そんなに長くないから、読んでみて?」


 水彩はぱらりと紙をめくり、その中身に目を通す。

 まず本に書かれていたのは都の成り立ち、ひいては豊原国の生まれた言い伝えだ。

 神に遣わされた小さな龍が、たった一頭で寂しさのあまり涙を流す。その涙が雨となって地を潤し、草木や生き物が生まれていく。やがて生き物たちはそれぞれに暮らしを始め、人もまた村や国を作り始める。

 人々は己を生み出し見守ってくれた龍を神としてあがめ、のものの力を借りて恐ろしいものから身を守るために結界を創り出した。恐ろしいものとは、姿かたちが現世のものとは違う存在のこと。後の時代に、黄泉のモノと呼ばれるものだ。

 戦う必要のなかった龍は、守る力だけを持っていた。その力を存分に発揮し、人々が心穏やかに過ごせる場を作る。

 しかしいつしか、人は数を増やしてその守られた場だけでは暮らせなくなる。結界の外に出る者が増え、彼らから黄泉のものたちの餌食となった。

 状況を憂えた龍神は、鬼門に開いていた道を封じ、更にそこかしこに開いていた黄泉との繋がりを断つ。そして最も大きな鬼門の封を都そのものとした。

 すると豊原国全域で現れていた黄泉のものが消え、都のみで現れるようになった。

 やがて龍神を祀る人々の中から、そんな龍神を自分たちが守ろうと言う人々が現れる。彼らは風、火、水の一族と名乗った。更に、ある一族が協力を申し出て土の一族として龍神を守る任についた。彼らの名を――


「――『彼らの名を、守り人という。』」


 読み終えほっと息を吐いた水彩に、火沢が「補足みたいだけど」付け加える。


「火も風も土も、ずっと連綿とその血を都で繋いできた。だけどね、水の一族だけは理由があって都を離れたんだって。今も、何処で何をしているのかわからないけど」

「守り人は、龍神に感謝していた人たちが選んだ役目だったんだね。とってもかっこいいな」

「ふふ、ありがとう。……この本を読む度に、自分が何のためにここにいるのかを何度も思い出して心にとめるんだ。命を懸ける役目だけど、諦めたくないからね」


 ニッと白い歯を見せて火沢が笑う。それにつられて目元を緩ませた水彩は、火沢に「ありがとう」と本を返した。

 火沢は受け取った本を棚に戻し、水彩を促して図書寮を出る。

 清涼殿に向かって歩きながら、水彩はふと気になったことを口にした。


「……そういえば、あの本に出て来る龍って要様?」

「それがわからないんだよね」

「わからない?」

「うん、教えてくれないの」


 首を傾げる水彩に、火沢は頷く。


「秘密だって言ってね。何代にも渡ってなのか、本人なのか……。まあ、要様はふって何処かにいなくなっちゃうし、謎なんだけどね」

「そうなんだ……」


 水彩の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。

 一度だけ、村から一人で森に入ってしまったことがあった。道に迷い歩き疲れ、泣きたくなっていた時、小さな白い蛇が傍にいてくれたのだ。

 蛇は迎えが来た時にはおらず、この話は誰にもせず蛇を探すこともなかった。探さなかったのは、いつかまた会えるという妙な確信があったからだろう。


(何となく、あの時の蛇と雰囲気が似てる気がする? 気のせいかな)


 ふとしたことだが、楽しかった思い出だ。水彩は不思議そうな顔をしてこちらを振り返る火沢に軽く手を振り、彼女の隣へと駆けて行く。


「どうかした?」

「ううん。ちょっと昔のことを思い出していたんだ。村にいた時の思い出」

「そっか、楽しかったんだね。……あたしとも、たくさん思い出作ろうね」

「うん」


 二人は手を繋ぎ、要たちが待つ清涼殿へと向かって行く。

 そんな二人は、結界の外から彼女らを見詰める『目』には気付けなかった。

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