第8話 隠仁の社

 守り人たちの髪の色とまとう雰囲気が変わった時、水彩自身にも変化が起こっていた。鮮やかな色を見た瞬間、彼女の脳裏に光景が浮かぶ。


(何、これ)


 視えたのは、ぼんやりとしたもの。黒い何か、霧状のものがやしろを覆っている。その場所を見たこともないにもかかわらず、水彩は社の前にいるような感覚に陥っていた。


「……お社」

「どうした、水彩?」

「お社が見えます。何か、霧みたいなものに包まれて……」

「それは……」


 水彩の言葉に、要は息を呑む。何故なら彼女の言う霧状のものとは、まさにだから。緩んだ結界に入り込んだ闇のものは、よっぽどの強さを持たない限りは影のような状態でしか現世で存在出来ないのだ。


「……水彩、その社はどの方向にある?」

「えっと……こっち、だと思います。こっちから、その気配が漂って来ます」

「わかった」


 ありがとう。そう言って、要は水彩の頭にぽんっと軽く手を置いた。一瞬の出来事だが、水彩の胸がドクンと跳ね上がる。


(何、これ……!)


 景色が見えた時とは全く違う、胸の鼓動。要の触れたところが熱を持って熱く感じられ、水彩は内心焦りを覚えた。

 しかし、そちらに意識を向けている暇はない。要の凛とした声を聞き、我に返る。


「出たのは、鬼門の近く。隠仁おにの社だ」

「おに……?」

「かつて、隠仁と呼ばれた者たちが造ったとされる社だ。都の要の一つでもある」

「そっちへ行けば良いんだな?」


 風花が念押しし、火沢と土宿も返事を待っている。三人に対し、水彩は大きく頷いた。


「はい。黒い霧のようなものが見えました」

「わかった」


 それだけ短く言うと、風花は地を蹴った。火沢と土宿と共に、内裏の塀を越えて外へと飛び出す。

 ただ人ではない動きに、水彩は瞬きを繰り返した。


「へ?」

「俺たちも行こうか、水彩」

「え……え!?」


 当然のように歩き出す要を慌てて追った水彩は、彼に軽々と抱えられた。突然のことで、反応も出来ない。

 あれよあれよという間に塀を越え、道に出るかと思われた。しかし現実はそうではなく、要は屋根や塀を伝って飛ぶように駆けて行く。

 何人か、大路を歩く人がいた。牛車も幾つも行き交っていた。しかしながら、誰も要に気付かない。


「俺は、一応神様ってことだから。限られた人々にしか見えないんだ。神は、誰にでも見える存在ではないだろう?」

「なるほ……ど?」


 わかったような、わからないような。兎も角、水彩は舌を噛まないようにするのに必死だ。

 やがて家々が減り、要は地を走り出す。

 時を同じくして、水彩は鳥肌が立つのに気付いた。明確に何が起こっているのかを言語化することは出来ないが、ともかく嫌な予感がする。その予感は社に近付く毎に増して、水彩は無意識に自分を抱き締めた。


「この先だ。つかまっていて」

「はい」


 気付けば、古びた木の鳥居の前に着いていた。要は水彩に声をかけると、とんっと地面を蹴る。それだけで、何十段もありそうな階段を一気に登り切ってしまった。

 そして、どどっと黒い気が押し寄せてくる。水彩は息苦しさを感じつつ、要の腕から下りて周囲を見渡した。

 彼女から離れた場所に火沢たちが立ち、その視線の先には幾つもの黒い何かが浮かんでいる。


「あれが、黄泉の……」

「そう、黄泉国からこちら側へやって来たモノ。これから向こう側に戻すか、消し去らないといけないんだ」


 水彩と要の視線の先で、火沢が「はっ」と息を吐き出すと同時に右手を突き出す。前へと突き出された手のひらから、火の玉が吐き出された。


 ――ギイィィィィッ


 まっすぐに飛んだ火の玉は、黒い何かの一つに命中する。正面から受けてしまった黒いものは、耳を塞ぎたくなるような音を出して煙のように消えてしまう。

 火沢だけではない。風花の振った腕からは疾風が生まれ、土宿が地面に触れるとボコボコと鋭利な土の塊が噴き出した。現実とは思えない彼らの技に、水彩は目を見張る。同時に、彼らが『守り人』という特殊な役割を持つ者たちだということも思い出す。


「要様、あれって」

「察している通り、彼らの守り人としての力だ。それぞれの一族で最も力の強い者が、龍神の守り人として都へやって来る。火沢は火の一族、風花は風の一族の出なんだ」

「土宿は、土の一族っていうことですか?」

「ん? ……まあ、そういう感じかな」

「……?」


 土宿は出自が違うのだろうか。要の言い方に違和感を感じた水彩だが、問うよりも先に爆発音を聞いてそちらを見た。

 丁度風花の放った疾風が黒いものの放った霧のようなものがぶつかり、爆発を引き起こす。その爆風で黒いものは吹き飛ばされたが、風花は涼しい顔でその場に立っている。更に後ろから彼に襲い掛かろうとしたものがあったが、そちらは火沢がのしてしまった。


「今回のはそれほど強くなさそう」

「油断はするなよ、火沢」

「勿論。土宿、いける?」

「はい」


 土宿は応じるや否や、黒いものたちが溢れる霧に向かって拳を突き出す。途端に彼の周囲で砂が舞い、舞い上がった砂が黄泉からの客を包み込んで潰した。

 砂がバラバラと力なく落ちると、そこにはただ大きな社が鎮座している。黒い霧に隠され、全体が見えていなかったようだ。


「これで、押し戻せたかな」


 パンパンっと手を払い、土宿が微笑む。風花と火沢も頷き、風花が再び風を起こして境内の陰の気を払った。


「終わったぞ、要」

「ああ、見ていたよ」


 流石だ。そう言って、要は一人社の前に進み出る。神が宿るという社の前で、大きくパンッという音を響かせ拍手かしわでを打った。拍手により、更に風が澄んでいく。


「ひとまず、これが最も単純な黄泉退治だ」

「黄泉退治」

「そう。そして、今回こんな風にすぐに済んだのは、きみが予知してくれたからだ。水彩」


 水彩の未来を視る力により、いつもよりも早くことを収めることが出来た。そう言って、要は水彩に礼を言う。


「そんな。でも、お役に立てたならよかったです」

「俺たちにはきみが必要だ。慣れるには時がかかるだろうが、手助けする」

「そうそう! あたしが必ず守るからね」

「違いを知っていければ良いと思うよ。よろしく、水彩殿」

「お願いします」

「――こちらこそ、よろしくお願いします」


 四人に挨拶され、水彩は改めて思う。彼らを知って、彼らと共にやってみたいと。

 初めての黄泉退治は、こうして幕を閉じた。

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