第2章 近付く黄泉国

綻びを繕う

第7話 二日目の朝

 都へ来たその夜、水彩はしばらく目が覚めていた。しかしふと気を抜いた瞬間、一気に眠りへと引きずり込まれる。

 その夢の中、水彩は己が視た引き寄せたくない未来にいた。美しかった町並みは崩れ、荒廃した中に材木や石積みとなって残る。土煙の中に血のにおいが漂い、水彩は吐き気を感じた。


(わたし自身も、血まみれだ。——落ち着いて。これは『今』じゃない。絶対に来ない、いつかの明日だ)


 唇を引き結び、倒れた仲間たちの幻影の向こうにある大きな影に目を向ける。全体像も見えないその黒い何かは、きっと黄泉国の力を表しているのだろう。

 黒々としていて、底が知れない。全てを呑み込み消し去ってしまいそうな程暗い、深淵のような闇の色。

 水彩は両手を差し出すように広げ、闇を睨み付けた。


「わたしたちは、絶対に負けない。この国を、大切な人たちを守り切ってみせるから!」


 やってみろとでも言いたげに、闇が震えた気がした。そして、嘲笑うかのようにその手を水彩に伸ばす。黒い影が伸び、水彩の視界を覆って行く。


「嫌……負けない。わたしは……っ」


 あまりにも強大な闇を前に、たった独りで立ち向かわなければならない。そんな未来を暗示する夢の中で、水彩は非力だ。


「――っ。あ」


 たまらず夢から飛び出すように目覚めると、温かな陽射しに目を奪われた。鳥の鳴き声が聞こえ、風が御簾を揺らす。そうか、と水彩は息を吐き出した。


(ここは、都だ。あの景色を変えるために、わたしに出来ることから始めよう)


 夢は夢。何かを問い掛け見せることはあっても、その答えをくれはしない。水彩がしとねから身を起こすと、丁度足音が近付いて来た。

 足音は水彩の部屋の前で立ち止まると、元気良く挨拶する。


「おはよう、水彩! 起きてる?」

「おはよう、火沢。起きてるよ」

「お邪魔します」


 ばさりと音をたて、御簾を上げた火沢が入って来る。しとやかな女性が好まれる都において、火沢のような雰囲気は珍しい。そんな彼女だが、侍女や都の女性たちに好かれているようだった。

 火沢は差し出された円座に座ると、正面から水彩に笑いかける。


「都に来て一日目だったけど、よく眠れた?」

「うーん……うん、大丈夫」

「その様子、眠れたけど寝れてないって感じかな? ゆっくりでいいよ、慣れるのはさ」


 そう言って微笑むと、火沢はうーんと伸びをした。

 今日の火沢の服装は、昨日と同じく男物の狩衣だ。多くの女性は身に付けないものだが、身軽に動くことを良しとする彼女にとてもよく似合っている。長い髪も一つ括りにして、男の子のよう。

 二人で朝餉を食べ、早速清涼殿へと向かう。その途中、同じ場所へ向かう風花と出会った。


「風花、おはようございます!」

「お、おはようございます」

「おや、早起きだな。水彩殿は兎も角、火沢は珍しい」

「失礼ですね? あたしが寝坊したら、水彩と一緒にいられる時が減ってしまうじゃないですか」

「ふふ。貴女のお蔭で、火沢は早起きが出来たようだ。ありがとう」

「い、いいえ! こちらこそ」


 風花の水色の瞳に、楽しげな色が乗る。照れた水彩を見る目は穏やかで、二人に「行こうか」と促し歩き出す。

 火沢が風花の隣で共に歩く。水彩は二人の会話を後ろから聞いていた。


「そういえば、昨日の綻びはどうでしたか?」

「ああ、都の外れの空き家だった。小さな影みたいなやつだったから、どうということはなかったよ」

「そうなんですね。小さいとはいえ、きちんと塞いでおかないと、いつ大きなものが現れるかわかりませんからね」

「……」


 二人が話している内容について、水彩は半分もわからない。綻びが黄泉国の者たちがこちら側へ来る入口となっていることは理解しているが、どんな風にして綻びが存在するのかも、どうやって繕うのかもわからないのだ。

 若干の疎外感を覚えながらも、水彩は二人の会話に耳を傾ける。今後、自分がそれにかかわっていくことは明白で、少しでも身に付けられるものは身に付けたかった。

 じっと黙って耳を傾けていた水彩は、風花の「あ」という声を聞いて顔を上げる。


「――っと。申し訳ない、水彩殿。置いてきぼりにしてしまったね」

「本当だ! ごめんね、水彩」

「あ、いえ。わたしはまだ色々と実感がないので……。でも、覚えていくので教えて下さい!」


 ぺこりと勢い良く頭を下げた水彩は、二人から何の反応もないことをいぶかしく思って顔を上げる。すると風花が困った顔を、火沢が目をキラキラと輝かせていた。


「……あの?」

「水彩、絶対貴女も要様と一緒に守るからね!」

「純真無垢……。これも、あの方が選んだが故か」

「あの?」


 急に火沢に抱きつかれ、そんな水彩を横目にした風花が息をつく。何とも言い表しにくい状況で、水彩は目を瞬かせた。

 水彩の戸惑いを落ち着かせようと、風花は「何でもない」と小さく笑う。


「昨日要からも話があったとは思うが、綻びとは黄泉国の者たちとこちら側を結び付けてしまう結界の弱い所だ。これが大きくなれば、黄泉国の者たちが増えて来るかも知れない。おれたち『守り人』の役割の一つは、その綻びを繕うこと。つまり入って来た鬼を成敗し、結界の傷を治すこと」

「綻びを繕う……」

「次に綻びが生まれた時は、水彩も共に来れば良い。いつ何処に生まれるかわからない綻びだが、最近は増えているからな」

「はい」


 水彩が頷くと、丁度清涼殿が目の前だった。続きは後でと言い、風花は御簾越しに中へと許しを求めた。


「要、風花だ。」

「ああ、土宿がもう来ているよ」

「……相変わらず早いな」


 苦笑し、風花は水彩と火沢も共いることを告げた。そして二人と共に入室し、要の前に片膝をつく。


「休んだか、要」

「お蔭様でな。おお、水彩と火沢も一緒か」

「おはようございます、要様」

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

「お、おはようございます」


 土宿は少し、小さな声で挨拶した。

 水彩は火沢らに続いて清涼殿に入り、要の前に腰を下ろす。すると要は早速これを見て欲しい、と盆の上に置いてあった何かを指差した。それは小さな鏡のような形状のもの。


「本来ならば、本物を見て判断したいが……いつ現れるかわからないからね。次は、水彩にも行ってもらうよ」

「はい」


 頷く水彩に、要はふっと目を細めた。

 その時、突然水彩は身の毛がよだつような感覚に襲われた。それは彼女だけではなく、火沢と風花、土宿と要も同じだ。四人の表情が変わり、空気が張り詰める。


「これは……」

「大きいのが来たか」

「こんな時に!」

「倒さなきゃ」


 火沢と風花、土宿のまとう空気が変わる。それぞれに赤と緑、茶色に髪の色が変化していく。大きな変化に、水彩は息を呑んだ。


「一体、何が……」

「守り人の力、見るのは初めてだったね」

「はい。あれが……」

「これから何度も見ることになる」


 まるで物語のような現実が、水彩の目の前で広がっていく。

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