第6話 決意を胸に

 要たちが話している頃、あてがわれた部屋へと入った水彩は円座わろうだに腰を下ろした。火沢の侍女が支度を済ませておいてくれたが、水彩が泣きながら入って来たことで、彼女を驚かせてしまう。


「あの、火沢様。この方は……?」

「少しあってね。申し訳ないんだけれど、白湯をお願いできる?」

「かしこまりました」


 侍女が下がると、火沢は自分も円座に座る。彼女の前では、泣き止もうと必死になっている水彩が咳き込んでいた。


「ごめ、なさ……こほっ」

「ああ、無理に泣き止まなくて良いから。貴女は、未来を……先を視る力を持っているんだって龍神様は言っていた。——何か、見たくないものを見たの?」

「それ、は……っ」


 口に出してしまえば、火沢はどう思うだろうか。水彩は、泣いて赤くしていた顔色を青くして俯いた。脳裏に浮かぶのは、あの時視てしまった見たくない未来。

 水彩が口を閉ざしてしまい、火沢も「もしかして」と冗談めかして言うことが出来なくなってしまう。黄泉との戦いで命を落とすかもしれないというのは、要と国を守る剣になると決めた時から覚悟しているのだからと笑おうとしていたのに。


「きっと水彩は、これから色んなものを見るよ。先のことは勿論、望むものも望まないものも。……それでも、何があっても、あたしたちは諦めないよ」

「火沢、どの……」

って呼んでよ。今まで女はあたしだけで、寂しかった。だけど、これからは水彩がいてくれるもんね」


 火沢に手を取られ、水彩は目を丸くする。しかし橙色の瞳が嬉しそうにしていることを知って、ようやく不器用に微笑んだ。


「火沢……」

「うん、水彩。さっきも言ったけど、あたしも一緒だから。きっと大丈夫だよ」

「うん」


 自分を安心させようと笑う火沢の笑顔に、水彩はつられて微笑んだ。その泣き濡れた瞳には決意が宿り、水彩は何度も息を吸い込み吐き出した。

 水彩の背中を優しく撫で、火沢はニッと歯を見せる。


「落ち着いた?」

「落ち着いた、と思う。――あ、ごめんね火沢。龍神様たちのところから連れ出しちゃって」

「気にしないで! あたしは龍神様に言われなくても、水彩について行くつもりだったしさ」


 そう言うと、火沢は部屋の入口となっている御簾みすの前に歩いて行く。そして、外へ声をかけた。


「気を遣わせてごめんなさい。白湯、ありがとう」

「いいえ、お気になさらずに」

「あっ、ありがとうございます!」


 そういえば、火沢が侍女に白湯を頼んでいた。それを思い出して叫んだ水彩に、御簾の外の影は笑ったらしい。もう一度「お気になさらず」と柔らかい声で言って去っていった。

 火沢から白湯を受け取り、そっと口をつける。ゆっくりと飲み干すと、ようやく冷静に物事を考えられるようになって来る。水彩は器を脇に置くと、ふぅと息をついた。


「なんか、ようやく本当に落ち着いた気がする」

「それはよかった。水彩はここで……あれ?」

「体調はどうだい、水彩?」

「え……」


 清涼殿方面にある御簾が揺れ、そこに誰かがいることを告げる。火沢が振り返り、水彩は思わず立ち上がった。


「龍神、様……?」

「落ち着いたようだね。……入っても?」

「はい、どうぞ」


 御簾という境界線を越えるには、内側からの許しが必要だ。要を招き入れた水彩は、誰も座っていない円座を引き寄せ要に差し出す。

 要はそれを受け取り胡座をかくと、かしこまる水彩たちに少し困った顔を向けた。


「そろそろ、俺を『龍神様』と呼ぶのはやめにしないか?」

「で、でも、貴方は龍神様ですよね。わたしなんかが及びもつかな……」

「要という名がある。わりと気に入っているんだ」

「か……要、様」

「まあ、今のところはそれで許そうか」


 顔を真っ赤にしてなんとか言い直す水彩を眺め、要は口元を緩ませた。そして、火沢の方を見て「火沢もだぞ」と笑う。


「ええっ。じゃあ、あたしも要様って呼びます!」

「ああ。今まで、少し距離を感じていたからな。名を呼ばれるのは気持ちが良い」


 ちなみに、風花は前から「要」と呼び捨てだ。土宿は最後まで渋ったが、水彩たちと同樣に「要様」と呼ぶことに頷いた。

 二人はどうしたのかと問う火沢に、要は応じる。


「二人には、結界のほころびを直しに行ってもらったよ。都の南の方だ」

「……ここ最近、増えましたね。結界の綻び」


 不意に真剣な顔で話し始める要と火沢に置いていかれないよう、水彩は片手を挙げた。


「あの、結界の綻びって何ですか?」

「そっか。そういう話も全くしてなかったね」


 ごめんね。火沢はそう言うと、都の役割について語り出す。


「この都は、豊原国の真ん中。それはわかる?」

「うん。この国の中枢……まつりごとの中心だよね」

「そう。けれどそれだけじゃなく、都には大きな道が口を開けているんだ。黄泉国と唯一繋がる、大きな道」

「前にも聞いたね。黄泉国と繋がる道は幾つもあるけれど、ほとんどは小さ過ぎる。だけど、この都のの鬼門にあるのは違うって」

「よく覚えてるね、その通りだよ」


 都はかつて、黄泉国への道を塞ぐ役割を第一に作り上げられた。人々の活気が、陽の気が陰である闇の気を遠ざけるということで人が集められ、国の中枢が置かれ、今に至る。

 火沢の説明に続き、要が後を引き取った。


「つまり、都が黄泉国との境界であり最後の砦だ。都の結界を保つことで、もしもの時に備えている」

「……黄泉の勢力がやって来た時、外に出て行かないように?」

「そういうことだ」


 もしもの時、つまり万が一黄泉国の勢力が都に溢れたとしても、結界さえ機能していればその中だけで終わらせることが出来る。最後の手段として、都もろとも閉じる覚悟だ。

 要の話を聞き、水彩は顔を青くした。つまりその時が来たら、この都に生きる者たちはこの世から消えてしまう。


「でも、そうなったら……」

「ならないよう、出来ることを全てやる。人とは違う俺だけど、ここにいる人たちのことを気に入っているからな」

「あたしも。要様に呼ばれた時は自分に出来ることがあるなんて思わなかったけど、今は違う。風花殿と土宿と、誰にも出来ないことをやり抜くんだ」

「わたしにも、手伝わせて下さい。何が出来るのかまだわからないけれど、要様たちが必要として下さるのなら」


 きりっとした顔で、水彩は言う。まだ少し顔色の青さは残っていたが、要と火沢の言葉と思いに応えたいと覚悟したのだ。


「わたしのすべきこと、教えて下さい」

「その話は、明日しよう。長旅の後だ、今夜はゆっくり休みなさい」

「そうだね。夕餉ゆうげを一緒に食べよう、水彩。食べて寝ないと、あたしたちの役目は出来ないから」


 少し待っていて。火沢はそう言い置くと、夕餉を取りに行くために部屋を出る。彼女に続き、要も「また明日」と言って出て行った。

 一人取り残された水彩はふと自分の手のひらを見詰め、きゅっと握り締める。


「――あの未来を、本物にはしない」


 血の海の中、一人泣き叫ぶなんてまっぴらごめんだ。誰も失わず、豊原国を守り抜いて見せる。

 水彩は一人、唇を噛み締めた。

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