第4話 守り人

 水彩が連れて来られたのは、大内裏の更に奥にある区画。内裏と呼ばれる、この豊原国の中枢を担う場所だ。

 大内裏とはまた異なる空気が流れ、水彩はその清らかさと洗練された気の気配に驚きを覚えた。足を止めて気に身を委ねたい気分だったが、水彩は己の名を呼ばれて足を速める。


「こちらだ、水彩殿」

「ここは……」

「清涼殿。龍神様のお住まいであり、祭祀を司る場でもある」

「大内裏が政の場であるのに対し、こちらは祭りごとの場なんだ。二つは同じであり、異なるものでもあるからね」


 更絵の不思議な言い方に首を傾げつつ、水彩は清涼殿という建物に入った。

 美しい絵の描かれた几帳きちょうや屏風が外と中とを隔て、板張りの床は歩く度にギシギシと音をたてる。

 幾つかの部屋を経て、水彩はここで待つようにと史年に言われた場で座った。少し離れると言う二人を見送ってしまうと、どうしても周囲のきらびやかさに萎縮いしゅくし、緊張が高まっていく。


(龍神様ってどんな感じなんだろう)


 龍神様というくらいだから、人ではないのかもしれない。ではどんな姿かと自問自答するが、答えなど出るはずもなかった。

 しばらくそわそわとしていた水彩は、ふと流れてきた清らかな気の気配にハッと顔を上げる。そしてその途端、脳裏に誰かの面影がよぎった。面影の正体を掴む前に、視線はその人物に固定される。


「貴方、は」

「俺はかなめ。龍神の仮の姿、と言えばわかりやすいだろうか」


 応じたのは、水彩より数歳上の青年だった。雪のように白く長い髪を後ろで束ね、垂らしている。肌も白く、吊り目がちの深紅の瞳が印象的だ。着ているものは、直衣のうしに近い形をした藍色のもの。

 要と名乗った青年は膝をついて水彩の視線の高さと合わせると、ふっと笑った。


「ようやく会えたな、水彩」

「どうして、わたしの名を……?」

「その話の前に、貴女をここに呼び寄せた訳を話そうか」


 そう言って立ち上がり足元の布を捌いた要は、共に戻って来た史年と更絵に目を向ける。二人は水彩の左右斜めに控え、胡座あぐらをかいた。


「史年、更絵。よく無事に戻ってきてくれた。そして、水彩を連れ帰ってくれたこと、感謝する」

「「ははっ」」


 どう見ても、要は二人よりも年下だ。それでも大人二人が敬う姿は、何故か違和感がない。要の持つ、人ならざる神々しさがそうさせるのかもしれない。

 そんなことを何となく考えていた水彩は、さてと口にした要の声で我に返った。


「水彩。俺が貴女を呼び寄せたのは、恥ずかしながら自分の身を守るためだ」

「龍神様の身を?」

「そうだ」


 自分の身を守るために、水彩が必要だと要は言う。しかし意味を呑み込めずに眉をひそめる水彩に、要は「少し説明を加えよう」と笑った。


「豊原国を始めとしたこの世には、表と裏がある。それを知っているか?」

「……確か、うつし世と幽世かくりよと呼ばれる?」

「幽世。またの名を、黄泉国よみのくにと言う。現し世で生を終えると、魂は基本的に黄泉国へと誘われる。そして輪廻の中で次の生を受け、現し世へと戻ると言われている」


 要が語るのは、豊原国に生きる者なら大抵の者が知る言い伝え。誰も死んだことなどないから、その話が真実だという証拠はない。ただ、要はそれを真だと言う。


「幽世での記憶も前世での記憶も全て失い、新たな生を得ることになる。……ただし、これは通常の魂の話だ。幽世と同列に伝わる黄泉国はその実、微妙に異なる」

「幽世と黄泉国は別物ということですか?」

「ああ。幽世が魂の棲む世だとすれば、黄泉国は悪鬼の棲む世……陰の気の満ちる場所だ。奴らは闇に棲み、光を嫌うと同時に猛烈に求める。だからこそ、豊原国には黄泉国と繋がる道を封じる場所が存在する。闇を光の下へ出さぬよう、閉じるために」


 道は、きっかけさえあればどこにでも開く。しかしそれはとても小さく、何かが通っても極わずかで影響は最小限だ。


「しかし、この都の鬼門に開く道は桁違いとなる。それこそ……現し世全てを闇が覆い尽くしてしまいかねない」

「全てを、闇が?」


 水彩はぞっとして、思わず自分を抱き締めた。黄泉国が現し世を覆い尽くすという荒唐無稽な話ではあるが、龍神である要の口から聞くと本当なのかもしれないと思わずにはいられない。

 ごくんと唾を呑み込み、水彩はふと生じた疑問を口にした。


「それと、わたしが呼ばれたことに関わりが?」

「あるんだ。貴女の先を視る力を借りて、ほころびをつくろい、いつか必ず来る黄泉の侵攻に備えたい」


 彼らと共に。要はそう言うと、背後の御簾みすが水彩にも見えるように体を傾けた。そちらに水彩が目をやると、丁度バサリと御簾が動く。

 御簾の向こう側から現れたのは、清涼殿に入る前に出会った火沢と見知らぬ青年と少年の三人だった。

 火沢が驚く水彩を見て、ひらひらと手を振る。


「水彩、さっきぶり」

「きみが水彩? おれは風花かざはな。風の一族の次期当主だ」

「ぼくは……土宿つちやど。よろしくね」

「は、はい。よろしくお願いします」


 長い黒髪を紐で一つ括りにして後ろに垂らしている風花は、水色の瞳が美しい青年だ。水彩や火沢よりも年かさに見え、要と同年代に見える。後で訊くと、二十一歳だった。

 土宿は珍しい茶色の髪の男の子で、大きな目の中の薄茶色の瞳が良く動く。少し自信なさげに見えるのは、そのせいかもしれない。十二歳という年齢は、水彩の三つ下だ。

 三人を従え、要は言う。


「彼らは。龍神と、この豊原国を守る剣だ」



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