再延長戦⑧ クロトワ(風の谷のナウシカ):主人公に傾倒しなかった気骨ある男

 今回はかの宮崎駿監督の代表作の一つ、『風の谷のナウシカ』に登場したトルメキア帝国軍参謀、クロトワさんを語りたいと思います。


 ご存じの方も多いと思われますが、『風の谷のナウシカ』は映画版の他に宮崎監督ご自身が描かれた漫画版が存在します。

 クロトワというキャラクターを語るにあたり、より物語が掘り下げられている漫画版を取り上げずして、彼を語ることは出来ないでしょう。


 なので今回は、そんな漫画版が映画版に比べて、どれだけ設定の追加や相違点があるかをまず語っておきます。


 映画ではトルメキア帝国の一強のような世界観ですが、漫画版では敵対している土鬼(ドルク)という宗教的性格の強い大国家が存在します。

 トルメキアが機械文明なのに対し、ドルクの方は武器を使いながらも、自然や蟲と共存しながら戦を続ける傾向にありました。

 そのため蟲を培養し、それを使って戦争をけしかける等の戦術も見受けられます。


 そう、映画ではペジテの残党が王蟲の子供をオトリにしてましたが、漫画ではドルクがトルメキア兵をなぎ倒すためにそれを使用していました。



 そして対するトルメキア帝国でも事情が複雑です。


 映画ではトルメキアの象徴のようだった皇太姫殿下クシャナも、漫画の方ではお家の後継者争いにドロドロと巻き込まれ、皇室の親兄弟で暗殺や策謀が常に渦巻いているような状況だったのです。


 映画版でもクシャナが巨神兵を見て「お前はあの化け物を本国の馬鹿どものオモチャにしたいのか?」なんてセリフがありますし、クロトワもクシャナが消息を立った時「うだつのあがらねぇ平民出にやっと巡ってきた幸運か、それとも破滅の罠か」なんて野望を垣間見せるシーンありましたよね。漫画版ではそんな権力争いがより顕著になっているんです。


 つまり、漫画では世界はトルメキアとドルクの戦争の真っ最中であり、蟲や腐海という自然の象徴と、人間同士の愚かな戦争が描かれた、結構凄惨な世界観になっているんです。



 さてクロトワさん。映画ではどこかお調子者で世渡り上手な、かつシビアなイメージがあるキャラでした。

 漫画版ではより狡猾で、かつ作品内でとても大事な『ある役目』をになうキャラクターだったのです。



 彼はトルメキア皇帝ヴ王にクシャナの暗殺を命じられ、表向きは彼女の参謀として任じられました。しかしクシャナはそれをお見通しで、一度は逆に彼を高所から突き落とさせて殺そうとします。それが失敗した後は、決定的な時まで泳がせるつもりでいたようです。

 対するクロトワもそれは重々承知で、仮に暗殺が成功して帰国しても平民出の彼は決して厚遇されない、最悪始末されるのが関の山だと見抜いて、クシャナ側に寝返る機会を伺っていました。


 そのクロトワの序盤の見せ場が、映画でもあったペジテのアスベルのガンシップとの空中戦でした。

 映画では彼はその場に居合わせませんでしたが、漫画版ではクロトワはクシャナと共に戦闘艇コルベットに乗り込んでいました。

 アスベルの襲撃によって次々と大型輸送船『バカガラス』が撃ち落されるのを見て、彼はコルベットの操縦士を押しのけて操縦桿を握ります。


「どけ、コルベットの扱い方を教えてやる!」


 高速飛行する単座戦闘機のガンシップを、重鈍な戦闘艇を操って、勘と経験で見事に撃墜して見せるクロトワ。そんな彼の姿にクシャナの部下たちも、平民からの叩き上げの彼の力量に感じ入ります。


 己の技量を示し、そのうえで映画版同様の人当たりの良い性格と適切な行動力で、彼はクシャナの部下たちの信用を勝ちとっていくことになります。


 そしてついにクシャナとの対決で、自分が暗殺者だと明かしたうえで皇帝を裏切り、彼女の部下になることを認められました。


 ここまででも十分に彼の魅力は伝わったでしょう。実力、渡世術、そして先を見る目の確かさ、どれをとっても私たち現代人が身につけたいと思う魅力的な能力でしょう。


 しかし、先にも言った通り、彼の真骨頂はこれからが本場なのです。



 この「風の谷のナウシカ」という作品を見た人なら誰もが知っているでしょうが、本作品はナウシカという風の谷のお姫様が、自然を愛し、いたわり、そして感謝する心で、汚れた世界と人の心を浄化するという、自然環境を愛する心をテーマとした物語でした。


 漫画版でもそんなナウシカの姿にドルクの司令官が、彼女に救われた民たちが、トルメキアの兵士たちが、クシャナが、果ては王蟲や巨神兵までもが、彼女の魅力になんらかの形で篭絡されていきます。


 そんな中、最後までナウシカに反骨し続けたのがこのクロトワだったのです。


 彼はトルメキアの兵士として、数多くの戦闘や策謀による人の死を見続けてきました。腐海と蟲に侵された世界で人間同士が殺し合う世界の有り様を痛感し、生き残ることが何より正義だという信念を持った彼にとって、ナウシカの情にあふれる態度はそれこそむかっ腹がたつぐらいに甘ったれた態度だったでしょう。


「この先そんな子はゴロゴロしてるんだよ! そいつらをみんな拾っていくつもりか!」

「ひとりやふたりのガキを助けたって気休めにもならねぇんだ!」

「ケッまたかよ、たかが馬いっ匹にあのザマだ……」


 現代日本に生きる私達から見れば、ナウシカの行いはまさに主人公にふさわしい聖母的な行為であると言えるでしょう。

 しかしこの「風の谷のナウシカ」の世界に生きるクロトワにとって、ナウシカの情や感傷は自分や仲間の命を危うくする愚行でしかなかったのです。


 それはトルメキア人ではないナウシカの行動なので、クロトワがどうこういう筋合いではありません。しかし仮にも一国の女王がこの有様では、付き従う風の谷の民たちの苦労を実感していたのではないでしょうか。


「姫様の為に生き、姫様のために死ぬ」

 そんな風の谷の民たちを想像して、さぞかしゾッとしたのではないでしょうか。だって彼はトルメキアという身分差国家で、平民から叩き上げて生き延びてきた存在なのですから。


 世の中に正義はひとつではありません。だからこそ戦争が、喧嘩が、争いが起きてしまうのです。


 有名なアニメ「銀河英雄伝説」でヤンが語ってた通り、人間は自分が悪だと自覚して戦えるほど強くはないのです。


 そんな意味で、ナウシカに決してなびかず、自分の生きざまを貫き通したクロトワという男に、どこか憧れと尊敬の念を感じるのです。


 近年のアニメや漫画、そしてそれ以上にラノベの世界では、ちょっとの活躍をしただけで世界中の人間が「主人公様」「ヒーローさまぁ」などと寄り添ってくれるものが多く見られます。まるで怪しい宗教のように。


 チート転生者、悪役令嬢、追放されたが実はとんでもない能力者が楽勝の活躍をした挙句に人々にあっさりかしずかれ、冴えない男のはずなのに無条件で美女たちにモテモテになる物語が氾濫しております。


 それは読む側の願望「誰からも愛され、尊敬される人になりたい」という望みを叶えるための創作であり、それが小説として、そして商売として間違ってるなどとは申しません。


 でも、いくらなんでもでは?


 この「風の谷のナウシカ」という物語も、実はモロにそんな『愛され主人公』のお語なのです。まぁ彼女ナウシカはそこに到達するまでにものすごい苦労をしてますけど。


 チート能力こそありませんが、風の谷の姫様という立場や自然を愛する純粋すぎる心に、登場人物は軒並み彼女に惹かれていきます。


 ですが、本作には彼、クロトワという反骨の男がいるのです。


 ナウシカと時に同じ陣営にいながら、彼女と正反対の正義を旨として思考する。

 一方の正しさに対してがあるという事を常に示し続け、その親しみやすいキャラクターの中に譲れない克己を持つ姿が、この「風の谷のナウシカ」という物語をより奥深いものにしていると私は思います。



 というわけで、漫画版未読の方はぜひ読んでみてください、超オススメですよ~。

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