再延長戦⑤ 溝木豊・木崎(美味しんぼ):男は背中で語るもの

 再延長戦も中盤に突入です、止める気はない(もはや開き直り)。


 今回取り上げるのは国民的グルメ漫画「美味しんぼ」より、ゲストキャラの溝木さんと木崎さんです。

 それぞれ別の話で登場したお二人ですが、この両名には共通の、とても称賛したい共通点を持っているのです。


 それは二人とも、とても立派な男であるという事。人生の手本にしたいほどに、こういう男に憧れる魅力を持つキャラだという事です。


 では、一人づつ紹介を。

 溝木豊さんはコミックス5巻「スパイスの秘密」に登場したカレー屋の店主。この話では実質主役だったのですが、作品の性質上ゲストキャラな立場なので、あえてこのエッセイで取り上げます。


 彼は記憶喪失で徘徊している所を警察に保護され、中松警部の依頼で山岡に新聞で身元を探してもらい、無事に彼の奥さんが名乗り出てきました。


 ですが、それで一件落着とはなりませんでした。妻が現れて詰め寄っても、彼の記憶は戻らなかったのです。そして奥さんは彼の心のどこかで願っていました。


 彼女は昔、あるヤクザ者の男に貢がされている情婦だったのです。その男から逃げ出してやがて豊と結ばれたのですが、そのヤクザの男が彼女を見つけ出して再び自分の金ヅルにしようと迫って来たのです。

 そして居合わせた豊に暴力をふるった際、二人はもつれあいながら階段から転落、ヤクザは肩の骨を折って入院し、豊は頭を打って記憶を失い、徘徊していたのです。


 妻にとって豊が記憶を取り戻せば、自分の汚れた過去も知られてしまう。しかし真面目にカレー職人として生きて来た夫がこのまま、自分の事すら思い出せずに呆然と生きていくのはあまりに哀れだとのジレンマに囚われてしまいました。


 山岡は豊の記憶を蘇らせるべく、彼が持っていたメモを頼りに彼にカレーを作らせます。

 仕事で培ってきたその手さばきで仕事をこなしていくうち、豊はだんだんと自分の事を思い出していきます。


 そう。頭は忘れていても手は忘れていなかったのです、このへんがいかにも「美味しんぼ」ですねw


 やがて全ての記憶を思い出した豊でしたが、何故か妻の昔のヒモであるヤクザの事だけは記憶からすっぽり抜けてしまっていました。

 で、そのヤクザは入院中に中松警部からたっぷりとお灸を据えられて、逃げるように姿を消したのです。

 こうして物語はハッピーエンドになりましたとさ……とこれで終わればただの陳腐なご都合主義なんですが、この話にはあと少し続きがあります。


 なんと豊さん、のです!


 妻が自分の汚れた過去を自分に知られたらきっと傷付くと思って、あえて記憶喪失を装い、カレー粉配合のメモに従って記憶を取り戻すをして、あえて妻の過去だけには触れないようにして元のさやに収めたのでした。


 なんとまぁ、マジでカッコイイですよこの男は。

 異世界に転生してチート能力なんざ貰うより、男としてこういったカッコよさを実践したいもんです、



 二人目はコミックス9巻「5年目のパスタ」に登場した木崎さんです。彼はこの話でも主役ではなく、むしろ山岡を敵に回してへこまされる、敵役やられ役な立場なのです。

 山岡が力を貸したのは木崎の恋敵、吉村信康(以下『信』)でした。


 木崎と信はかつて同じイタリアレストランで修行していました。そこの店主であり師匠でもあった人物の娘、久美子に恋していました。

 店主もまたどちらかと娘をくっつけてこの店を継いでもらおうと、二人にこんな課題を出します。


「5年間イタリアで修行して、戻ってきた時に腕が上だった方に久美子をやる」

 たとえ自分が死んでも5年は帰って来るな、との念押しも込みで。


 しかし、この時久美子は木崎と両想いの仲だったのです。それを痛感していた信は、二年後に店主が死んだと聞いて約束を破って帰国し、久美子を口説き落として結婚、店を事実上乗っ取る形でパスタ専門店にしてしまいました。


 信は今も頑張ってイタリアで修行している木崎を「向こうで女が出来た」とウソをついて自分の物にしたのです。久美子は店主と二人の約束を知らなかったのもあり、今では信と幸せに暮らしていて、赤ちゃんをもうけたばかりでした。


 そして5年の修行を終え帰国した木崎は、もちろん信に激怒します(そりゃそうだ)。

 木崎はその怒りを暴力ではなく、師匠に課された料理の腕で決着することでぶつけようとします。


「味の勝負や、お前と俺とどっちが腕が上がったか勝負じゃっ!」

「審判はおやっさんや! 生きとる人間はごまかせても天界から儂らをみまもっとるおやっさんの目はごまかせんで!!」

「俺が勝ったらお前がどんなに汚いウソつきで裏切り者か久美子さんに全部話して、お前の家庭をズタズタにひきさいたるわい、ええなっ!」


 木崎にとっては当然の、信にとっては絶望的な勝負がこうして決まりました。しかし負い目と腕の差を実感していた信は蒸発し、東京の裏路地に居た所で山岡に出会い、助力をしてもらう事になりました。

 まぁ、どう考えても悪いのは信なんですが、彼と久美子の間には赤ちゃんまで居るのでその家族を破壊するのは山岡たちとしても忍びないと思ったのでしょう。


 そして料理勝負、木崎は見事な子牛料理を披露します。イタリアで5年間培ってきた技術の全てを注いだその一皿は、山岡をして「完璧だね」「すごい腕だよ」と感嘆せしめるほどのものでした。


 対して信が出した(山岡の入れ知恵)のは、ただのマカロニにしか見えない粗末な物でした。当然木崎は「何やこれは!」と怒りますが、口に入れた瞬間に怒りは驚きへと変貌しました。

 マカロニの中に詰め物がしてあったのです。骨髄、脳ミソ、レバーなどが仕込まれたそのパスタは、予想をはるかに上回るイタリアンとして木崎の心をゆさぶりました。


 木崎は黙って席を立ち、そのまま調理場を後にしようとします。

 そう、負けを認めたのです。


 そんな彼の背中に、山岡はこう声をかけます。

のに……あなたは立派な方ですね」


 この言葉に木崎は「おおきに」とだけ答えて、背中を見せて去っていきます。


 なんとも哀愁溢れるシーンではないですか。そう、両者の料理を比べても、少なくとも漫画で見る限りは、木崎の料理が本格的な逸品であったのに対し、信のパスタは単なる小細工の域を出ていません(しかも山岡の発案)。


 山岡の言う通り、木崎は勝とうと思えばいくらでも食い下がれたのです。じゃあなぜ木崎は、ここで負けを認めたのでしょうか。


 言うまでも無いですね。自分が勝てば大勢の人が不幸になるからです。自分のかつての『思い出』まで含めて。


 そこまで考えが思い至れば、実は木崎が最初っから久美子に真実を告げるつもりは無かったのがよく分かります。

 そもそも最初の約束を破った信に対し、律義に料理勝負なんかする必要なんか無かったんですから。

 最初っからストレートに久美子さんに事実をぶちまけていれば、彼の復讐は呆気なく叶ったはずでした。


 でも、彼はけじめとして信を怒鳴りつけ、そして約束の料理勝負をする事で矛を収めるつもりだったのです。

 だって久美子さんは赤ん坊を生んだばかりなのです。そんな時に夫を貶めてしまえば、かつて愛した女性を傷つけ、苦しめることになるのですから。


 彼の青写真としては、勝負に勝っても「まぁ、ここまでやれるならしゃあないか、久美子さんを泣かせたら承知せんで!」くらいで収めるつもりじゃなかったでしょうか。

 だから彼は信がただのマカロニを出してきた(と思っていた)時にあれほど声を荒げたのでしょう。もし勝って信を久美子もろとも破滅させるつもりなら、ただのマカロニを見て「俺の勝ちだ!」とほくそ笑んでいたはずなんですから。


 マカロニの出来が予想以上だった事を心に収め、彼は信にもう一言いいたかった言葉を飲み込み、黙って席を立ち去っていきます。


 なんとも哀愁漂う、素晴らしい克己を持った男の背中ではありませんか。




 最初に紹介した溝木豊さんが山岡たちと別れた時、中松警部はその背中を見てこう語っています。

「見た目は華奢でやさ男だが、芯は剛毅そのもの、本物の男だぜ」

 妻の過去を「それがどうした」と笑い飛ばして、共に未来を歩もうとする男にふさわしい評価でしょう。


 木崎が背中を見せて調理場を出ていく時、信はその背中に向かって苦悶の表情で「木崎っ…」と嘆いて、下を向いて頭を下げます。

 未来のために、かつて愛した人の為に、己の怒りの矛を収め、何も言わずに立ち去る。そんな木崎の姿はまさに潔さと、その中に心の優しさを内包したものでありました。


 いい男というのは語らずとも、その背中が良さを雄弁に語ります、昔懐かしいアニメ『ルパン三世』のOP(歌詞付き)でも『背中で泣いている男の美学』というフレーズがあります、男なら誰しもそんな背中を見せたいんですよね。


 今回紹介したふたりの男性のお話は、いずれも恋愛がらみの物語でした。


 今、WEB小説ではいわゆるNTRネトラレ復讐ざまぁが流行っています。それを題材にしたコンテストまで開催されるほどに。


 ですが、私はどうもそんな話が好きにはなれませんでした。多分それは、この「美味しんぼ」に登場した溝木や木崎のような、『立派な背中を見せる男』を知っていて、そして憧れているからでしょう。


 私が自作の小説の中で、主人公に「大人になるという事は、我慢を覚えるという事だ」と語らせたことがあります。

 それはまさしく妻の過去をスルーした溝木さんや、怒りを飲み込んだ木崎の姿をカッコいいと感じたからこそ、そう言わせることが出来たのでしょう。


 私の人生観に『カッコつける』という飾りを植え付けてくれたこの「美味しんぼ」という作品に、改めて感謝と賞賛の念を送りたいと思います。


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