延長戦⑦ ドットーレ(からくりサーカス):悪の傀儡の末路……からの~




 今回と次回は、日本漫画界のダークファンタジーの巨匠、藤田和日郎先生の作品から、特に際立った個性を持つ2人の悪役、やられ役を取り上げます。


 今回は「からくりサーカス」の自動人形オートマータ、殺戮人形のドットーレをピックアップしたいと思います。



 かなりの長編漫画なのであらすじを追うと長くなりますから、要点をまとめて作品紹介をします。


 昔、中国にいた芸人の兄弟が「人間のように話し、動く人形」を作るべく、ヨーロッパにわたって錬金術を習う事から物語が始まります。


 しかし兄の白銀パイインは、弟の白金パイジンが思いを寄せていた女性フランシーヌの献身に心を打たれ、彼女にプロポーズをします……その現場を目の当たりにした白金は世界に絶望し、紆余曲折の末に「自分だけのフランシーヌ」を作ろうと志します。


 自分を裏切った兄を、世界を、人間を、心の底から憎んだまま。



 やがて作られたフランシ-ヌ人形は完璧でしたが、ただひとつ『笑う事』が出来ませんでした。

 白金はそれならばと、彼女を笑わせるための道化人形を四体生み出します。それこそが「最古の四人レ・キャトル・ピオネール」と呼ばれる最強の自動人形オートマータであり、ドットーレもまたそのうちの一人でした。


 彼らはフランシーヌを笑わせるために、とある農村を襲い、子供たちを虐殺し、恐ろしい病を振り撒きました。

 彼らの造物主である白金が心から人間を憎み、人間の絶望や苦しみが『楽しい』ものであると信じていたからです。


 だが人間に近い感情を持つフランシーヌは、それで笑う事はありませんでした。白金はそんな人形に絶望し、彼女たちを打ち捨てて姿を消します。


 主に捨てられたフランシーヌ人形は、自分が笑えば主人が帰ってきてくれると信じ、道化の四人たちに、より明確な意思を持てる血液となる妙薬を注ぎ、彼らとともに『笑えるようになるための長い長い旅』へと向かいます。


 人間の絶望や苦しみこそが、笑いを誘うものだという、で。



 一方、最初に四人に滅ぼされた村では、彼らが撒いた病『ゾナハ病』によって、一部の村人は死ぬことすら許されずに永遠に苦しみ続けていました。そこへ白金の兄である白銀が現れ、責任を感じてその人たちを救います。


 その代わりに『不老不死』と『機械人形と戦い続ける運命』を押し付けて。



 村の農夫の妻であったルシール。彼女はドットーレに幼い息子を殺されていました。あの日は村のカーニバルの日で、子供たちは殺戮にやってきた人形たちを『自分たちを楽しませてくれる芸人さん達』と勘違いして、笑顔で彼らの元に向かい……


 ドットーレにその首を刎ねられ……そして、その頭部でお手玉をされたのです。それがフランシーヌを笑わせる芸であると思って!


 この残酷な所業はルシールの脳裏にはっきりと焼き付きました。自分の息子の首を飛ばされ、笑顔でポーンポーンとジャグリングをする黒ピエロドットーレは、彼女にとって全てを注いで復讐をするべき仇になったのです。


 彼女らは自動人形を壊す者『しろがね』として、自動人形たちとの長い戦いに突入します。



 しかし実はこの時点で、ドットーレを始めとする四人の芸人人形はでしかありませんでした。村の殺戮が終わると、彼らは命令された役目を終えて止まってしまいました。彼らにはまだ明確な意思も自覚もなく、ただ白金の命令に従って動いただけでしかなかったのです。



 しかし、彼らはフランシーヌ人形に意思を与えられ、やがて己に対する自覚を持って、なおかつ人間を殺すことが笑いを誘う、楽しいことだと信じたままでした。

 彼らを動かす『疑似体液』が、人間の血を原動力として動いていたのもその大きな原因の一つだったのでしょう。



 こうして、人々を殺戮して回る自動人形オートマータの一団『真夜中のサーカス』と、それを打ち滅ぼさんとする『しろがね』達の、200年にも及ぶ長い戦いが始まったのです。



 そしてついに両陣営の最終決戦の時が訪れます。真夜中のサーカスが本拠地を置くアフリカ、サハラ砂漠へとしろがねが結集し、自動人形との激しい戦いに突入しました。

 しろがねのリーダーの一人であったルシールは、敵の本拠地の最深部にて、ついに仇敵のドットーレと対することになります。


 サハラで相対してからドットーレは何度もルシールを挑発して見せました。

「息子は元気かね?」

「お前の子供の血は赤かったぜぇ、ルシイィィィィィル!」


 しかし彼女はそんなドットーレの言葉を軽くかわします。

「ああ、娘と仲良く暮らしているだろうよ」

「私の心をゆさぶって戦いを面白くしようとしていうのならやめた方がいい。私の血は闇の色をしているのさ」


 悪党ながら人間臭さを持っていたドットーレと、人間からしろがねに変わって心を失ったと思われたルシール。そんな二人の態度が実は、大きな大きな伏線となるのです。



 戦いは自動人形オートマータに有利に進みました。しろがね側の最大の狙いである核ミサイル攻撃がドットーレに見透かされていて、その対策を打たれていたからです。しろがねを、そしてルシールを手玉に取ったドットーレはこの時、大いに笑い愉悦を感じていました。

 それはかつての人形から、明確な『悪』としての存在へと昇格した証でもあったでしょう。


 だが、ここでルシールは大逆転の一手を打ちます。なんとフランシーヌ人形にそっくりの操り人形を取り出し、自動人形たちに「ひかえよ」と命じさせたのです。


 その瞬間、ドットーレ達最古の四人レ・キャトル・ピオネールを含む全自動人形が、平伏して動けなくなりました。

 いかに人間臭い悪党になっても彼らはしょせん人形、フランシーヌ様の命令には逆らえなかったのです。例え命じたフランシーヌがルシールの操る偽物であり、、です。



「さて、私は昔馴染みと、つもる話でもしようかねぇ。ねぇ、ドットーレ(にっこり)」

 笑顔で、動けないドットーレにそう告げるルシール。彼女の復讐タイムがここから始まりました。


 ドットーレは何とか現状を打破しようと必死に体を動かそうとしますがままなりません。それどころか少し動いたことでルシールに「フランシーヌ様への忠誠心が足りないかぇ?(ニチャァ)」などと挑発され、屈辱と怒りに沸騰し、ルシールの名をがなり立てます。


 そんな彼に、ルシールはこう告げます。

「動きたかったらこう思うがいいさ。『フランシーヌなど俺に関係ない』と」

 ドットーレを封じているのはフランシーヌへの忠誠心であることを見抜き、その枷を外せば確かにドットーレは動くことが出来るでしょう。さぁ、そうすれば自由に動けて、目の前のにっくきババァを八つ裂きにすることが出来るよ、と。


 幾度かの挑発の後、ついにドットーレは枷を破りました。

「フランシーヌなど己に関係ないわ!」

 その言葉と同時、彼はにっくきルシールの心臓を貫きます。


 でも、ルシールはドットーレの頬を優しくなで、彼に絶望を告げるのです。

「おバカさんなドットーレ。あんたはついに言ってはいけない一言を、口にしてしまったのさ。自分の生きる理由を手放して、自動人形が存在できるものか……」

「お前はもう……おしまいだよ」


 その言葉で、ドットーレは自らの過ちに気づいてしまいました。自らの存在意義を自分で否定してしまった彼は、まるで精神を病んで人格崩壊した人のように、顔から体液を流して子供のように怯え、泣き続けます。


 ルシールが、過去のことなどどうでもいいなどと言っていたのは大ウソだったのです。彼女は憎きドットーレに復讐を果たすため、自らの命を捨ててでも、相手が最も悲惨な目に合うための行動を成し遂げたのでした。


 この鮮やかな復讐劇。悲劇の女性であるルシールの命を賭した仕返し。しかし、その裏にあるのは、憎しみの対象であったドットーレという人形の数奇な運命をも内包しているのです。


 もともと彼がルシールの息子を殺したのは、単に人形として主に命じられただけの機械的な行動でしかなかったのです。

 ですが疑似体液によって人格を与えられ、悪としての自覚を持った彼はかつての殺戮すら「自分がやったこと」と認識するようになります。


 彼は自動人形の首領の一人として、世界中にゾナハ病をばらまき、大勢の人を殺し苦しめ、その血をすすっていました。

 だけどそれでも彼は、あくまでただの人形、傀儡に過ぎなかったのです。フランシーヌ様の目の前で、偽のフランシーヌ様の「ひかえよ」の言葉にすら逆らえなかったのですから。


 そんな彼がルシールの挑発に乗り、ついに怒りのままにフランシーヌのくびきから逃れた。それはある意味、彼が人形から人間へと昇華したことの証であるように思えてなりません。


 だからこそ彼は泣き、怯え、丸くなって動けなくなったのではないでしょうか。



 他の最古の四人レ・キャトル・ピオネール。パンタローネ、アルレッキーノ、コロンビーヌは戦いにこそ破れもしましたが、その後は造物主の白金に救われ、その後も人類の敵として使われることになります。


 ですがその果てに、彼らには救いがありました。コロンビーヌは壊れる寸前に悲願であった「男の人に抱きしめられる」望みを叶えることができ、パンタローネとアルレッキーノは、フランシーヌの生まれ変わりであるエレオノールの、心からの笑顔を見ることがついに出来たのです。



 ですが、ドットーレがその後どうなったかは描かれていません。作品を普通に読み取るなら、彼はサハラで丸くなって絶望したまま、人間たちのレーザー兵器によって焼き尽くされて蒸発したでしょう。

 だとすれば、他の三人が悲願をかなえられたのに対して、彼だけが絶望と後悔の中で死んでいったことになります。


 『最古の四人』の悪事を、その報いを、たった一体で引き受ける形で。




 そんな彼のエピソードには、実は最後に続きがありました。



 本作「からくりサーカス」の最後の最後、コミックス最終巻の巻末に、なんと『カーテンコール』が描かれていたのです。

 劇やサーカスの終幕で、出演者全員が観客に向かって挨拶とお礼をする、そのカーテンコールに、この作品の登場人物全員が居並んで登場し、観客である読者に笑顔を見せていました。


 この「からくりサーカス」という作品が、実は大きな舞台だったんですよ、と言わんばかりに。



 そしてその中にドットーレもいました。なんと彼の両肩には、自分が首を刎ねたはずのルシールの息子さん達が乗っかって、そして隣にいるルシールと手を繋いで、みんな笑顔で読者に挨拶していたのです。

 まるで本当のサーカスで、ファンの子供にサービスをするピエロのように。


 まぁまぁ、なんという嬉し楽しいサプライズではありませんか。。




 私はこのカーテンコールのシーンが大好きです。人によっては「今までの物語ダークファンタジーぶちこわしじゃん」などと言って嫌う人も居そうですけど。


 でも私にとってはこのシーンが、作者の藤田和日郎先生がいかにキャラクターの一人一人を大事にしているか、主役も脇役も敵役もチョイ役も、全てが舞台に必要不可欠なキャラ達なんだと証明しているように思えたのです。


 脇役、やられ役が大好きな私にとって、このカーテンコールは本当に沁みるシーンでした。そんな中でも、ルシールと手を繋いで、彼女の娘と息子を肩に乗せて笑顔を見せるドットーレの姿は、誰よりも輝いて見えた気がします。



 作中でただの傀儡から、悪の意志を持った恐るべし人形に、そして絶望を知ってより人間に近くなり、最後にはまさかのサプライズで嬉しい気分にさせてくれた。ドットーレに心からの喝采を送りたいと思います。


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