延長戦⑤ 五十嵐 利和(修羅の門):見事なまでの舞台装置
なんかもう最終回とは? 延長戦いつまでやるんだよ! なんてツッコミが来そうな勢いで続いていますが、元々見てる人が極少数のマイナーエッセイなんで、景気よく続けていきたいと思います(挨拶)。
今回取り上げるのは、格闘漫画『修羅の門』の
「誰?」と修羅の門のライトなファンの方々の疑問符が聞こえてくる気がしますねぇ(笑)。
初期の”全日本異種格闘技選手権”において、解説役を務めた格闘技解説歴20年の色眼鏡オヤジです。
「ああ、アイツかw」という読者の方々の呆れ声が聞こえて来るようですねぇ(苦笑)。
平成のリアル系格闘漫画では『刃牙シリーズ』『はじめの一歩』と並んで有名な作品ですが、一応簡単にあらすじを。
千年間無敗の陸奥圓明流を継ぐ
まぁ少年漫画にありがちな話で、体は小さいけど特別なトンデモ主人公が普通の世界の人たちを薙ぎ倒していくという、主人公補正効きまくりのヒーロー格闘モノと考えて貰って間違いないです。
その九十九が頭角を現し始めた事によって、圓明流に対して因縁のある武神、龍造寺徹心が、彼に戦う舞台を与えんと異種格闘技大会を大々的に開催します。
その大会で解説役に抜擢されたのが、今回取り上げる五十嵐氏なのです。
彼は『格闘技を見続けて20年の大ベテラン』とのフレコミで登場しました。ですが彼は九十九の強さを見抜くことが出来ず、「あんなのはダメですね」と一笑に伏します。
もちろんその九十九が強豪選手を薙ぎ倒す様に目を丸くして驚き、周囲や読者からの失笑を買うことになります。
そう、彼は『陸奥九十九の強さを分かってない奴』の役どころを背負わされた、いわゆるおバカな立場のキャラなのでした。横柄な物言いや20年のキャリアを公言する態度が、さらに彼の小物さを引き立ててしまいます。
実際、九十九のライバルの一人の片山右京には「何を20年見て来たんでしょうね、あの解説者は」と呆れられ、実況のアナウンサーにも何度も嫌味を言われる有様でした。
しかし、いや、だからこそ彼はこの『修羅の門』の重要なキャラクターだったのです。
常識で考えたら、九十九のような小柄な格闘家が無差別級に出場すること自体無謀な話ですし、多くの強豪選手を見て来た五十嵐にとっては、九十九がその強豪たちを次々と倒すなんて考えられなかったでしょう。
つまり五十嵐氏は、この世界の『これまでの陸奥のいない格闘技世界の常識』を定義するための、重要な舞台装置だったのです。
彼を物差しにする事で、いかに陸奥九十九と言う人物が常軌を逸した強さの持ち主であるかが、赤裸々に示されていくのですから。
事実、五十嵐氏の解説は陸奥を除けば、それなりに説得力のあるものが多かったのです。
葉山の過去を知っていて、その恐るべき威力のパンチの封印を解く事の重要性を示したり、プロレスラーと戦う際にロープの無い所で『関節技に捕まったらロープブレイクで逃げられない』と見事な指摘をしたり、天才片山右京の「修羅場をくぐってきていない」ことによるメンタルの欠点の可能性を突いたりと、なかなかの名解説ぶりを披露してきました。ううむ、伊達に20年格闘技を見て来たわけじゃなさそうです。
ただ、陸奥九十九があまりにも規格外だっただけ、なんですよねぇ。
五十嵐氏はそもそも顔の見た目があまり良くなく、いかにも分かって無い
そんな彼ですが、さすがにトーナメントを駆け上がっていく九十九を見て、少しづつですがその強さを認める発言が目立つようになります。
それは彼の20年の格闘ウォッチに、陸奥九十九と言う新たな1ページが書き加えられていくかのようでした。
そしてそれは、この『修羅の門』の世界において、陸奥九十九の強さが認識されていくのと見事にシンクロしていくのです。
九十九と戦ったライバルたちは、否応なしに彼の強さを知ることになります。そして彼と同じ修羅の志を持つ格闘家たちもまた、九十九と相対して彼が只者では無い事を肌で感じ取っていました。
ですが、戦わない五十嵐氏や、ごく普通の人にとってはそうではありません。体の小さな彼を見て「無理だろ」と思い、圓明流の奥義を目にして「こいつすげぇ」と認識を改める。そう、五十嵐さんの心境の変化こそ、作中の世間一般の陸奥九十九への認識の変化そのものだったのです。
大会も佳境に入ると、彼はもう完全に九十九を認めていました。そしてその上でさらなる名解説を次々と披露していきます。
「この試合に勝った方が優勝する(準決勝)」
「この試合、私はただの観客として観戦したい(このあとアナウンサーに嫌味を言われる)」
「勝敗を決めるのはルールでも我々でもない、最後に立っていた方こそが勝者だ」
物語の核心を突いた言葉を次々に紡ぎ出す五十嵐氏。そこにはもはや登場時のピエロみたいな残念解説者の姿はありません。
ようやく読者の認識に追いついた彼が、読者をリードする形で、漫画の流れをスムーズにするための言葉を紡いでいくのです。
決勝戦、九十九は圓明流の分家、不破圓明流・不破北斗との死闘の果てに、彼を殺しての勝利を得ます。それは圓明流同士が戦うなら決して避けられぬ結末であり、お互いがその事を覚悟しての事でした。
しかし九十九の奥義、四門を受け、頭蓋骨を割られてマットを血に染めて即死する北斗の姿は、さすがに観客を凍り付かせました。
誰もが言葉を発せない中、五十嵐氏はぽつり、ぽつりと言葉を発します。
「人が死んだ、というのは褒められたことではないのかもしれません」
そしてその顔を感動に満たして、さらにこう続けるのです。
「しかし、私は拍手を送りたい!」
ヒロインの舞子より、ライバルの海堂より、悲願叶わなかった徹心より、そしてこの世界の誰よりも早く、彼は拍手を送るのです。
素晴らしい死闘を見せてくれた、二人に。
世界の倫理を外すことなく、格闘技の世界観を壊す事もなく、その上で圓明流と言う、恐ろしくも素晴らしい技能と精神を、涙を流して称えたのです。
最後まで世界の舞台装置として、陸奥のサクセスストーリーを追い続けた人物。
私個人の意見ですが、これは確信を持って言えます。この漫画の作者の川原正敏先生は、きっとこの『五十嵐 利和』というキャラクターが大好きに違いありません。
世界に、そして読者に「こんな風に九十九を愛して欲しい」と願われた体現者の姿なのですから。
本当に、素晴らしいキャラクターでした。
……ま、まぁ、この後の『アメリカボクシング編』で、兄のジョー・五十嵐が「弟に噂は聞いてましたが、所詮ボクシングじゃ通用しないでしょう」なんて鼻で笑って、五十嵐顔の人物像を振り出しにもどしちゃいましたが(笑)。
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