第7回 シュウイチロー・イトー(エリア88):驚異の最大瞬間風速①


※今回の話ですが、手元に資料が無いのでセリフなどはかなりうろ覚えです。修正の指摘があれば出来る限り対応いたしますので、どうかご容赦ください。


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 物語の中のわずかなエピソードで、大きく物語を動かす事を「最大瞬間風速」と比喩する事があります。

 今回と次回はそんな最大瞬間風速を実現したふたりの脇役を取り上げてみたいと思います。


 今回は戦闘機のパイロットが中東で様々な戦いを演じる、新谷かおる氏の代表作「エリア88」から、ある一人のチョイ役さんであるシュウイチロー・イトーさんを取り上げます。


 チョイ役ってそんな酷い、などと思われるかもしれませんが、彼が登場したのは本作全23巻において、何とたった2ページ・・・・・・・だけなのです。


 そして、そのたった2ページでの彼の言葉が、主人公の風間真カザマシンと、そして読者を大きく揺さぶる烈風となるのです。


 ここでエリア88の作品説明を少し記します。


 日本で旅客機のパイロットを志して航空会社に入社した風間真カザマシン(以下「シン」)は、社長令嬢の津雲涼子と恋仲になり、順風満帆の人生を送るはずでした。

 しかし親友だと思っていた神崎悟に騙されて、彼は外人傭兵部隊へと送り込まれてしまいます。


 そこは戦争の最前線、殺さなければ殺される苛烈な世界に放り込まれたシンは、己の運命を呪いながら、望んでもいない戦闘機パイロットとして、殺し合いの世界に身を投じざるを得なくなります。


 涼子を想い、神崎を恨み、今日殺した敵兵の命の重みに潰されそうになりながら、日本に帰れるその日を待ち望んでカレンダーに印をつけ、血を吐く思いで地獄のエリア88で戦い続けます。


 退役に必用な金額にあと少しまで迫った時期、操縦ミスで自らの機体を壊した際には、ついに脱走して日本に逃げ帰る事まで考えました。成功する可能性はゼロに等しく、捕まれば銃殺刑は免れないのに、です。


 そんな彼を支えたのは、地獄であるはずのエリア88の仲間達でした。己の背中を預け、命を預ける戦友たちとの絆は、彼が文字通り生きていくための何よりの生命線であったのです。

 発進の際、仲間や整備員から掛けられる「幸運をグッド・ラック」の言葉は、それこそ百万の美女の甘い囁きにも勝る、魂に響く言葉になりました。


 彼は地獄に適応し、エリア88で生き延び続けたのです。いつか日本に帰れる日を心待ちにしながら。


 そんなある日のこと、彼は任務でかつて自分が訓練を受けた傭兵訓練所へと戻る事になります。航空機しか知らなかった彼はここで戦闘機の操縦、つまりは人殺しの術を覚えてエリア88に配属になった、そんな忌まわしい場所でした。


 ある日、外出を終えて訓練所に戻ると、何か物々しい空気に包まれていました。何と新人の傭兵の一人が脱走を図ったというのです。


 そして、その人物の名前を聞いた時、シンの全身に衝撃が走りました。

「シュウイチロー・イトーという日本人・・・だ」


 シンは察します。彼が何故脱走を図ったのか、それは自分がここにいた時に何度も考えたであろう事であり、自分がついに実行できなかった事だからでしょう。

 上官のサキに頼んで何とか彼の助命を乞いましたが、軍法会議の結果はやはり銃殺刑でした。


 シンはせめてもの願いで、処刑前の彼とわずかな時間の面会を許されます。


 面会してすぐ、シュウイチローはシンがサキを通じて、自分の助命をしてくれた事に感謝の意を示します。

 応えてシンは今更ながら、彼にこう返します。

「馬鹿な真似を、なんで脱走なんか……三年間我慢すれば日本に帰れるんだぞ」


 ―三年間、毎日、人殺しをしながら・・・・・・・・、か?―


 そのシュウイチローの返しにシンは絶句します。彼はシンと違い、自ら望んで外人部隊に入隊していました。彼はどうせ辺境の警備程度だと、傭兵の仕事を軽く見ていたのです。

「ところがどっこい最前線、人殺しはごめんだね」


 諦めきった表情でそう言う彼に、シンは言葉を叩きつけます。

「ばかな! 戦わなければ自分が死ぬんだぞ、自分の命だ!!」

 それはまさにシンが選んだ、否、選ばざるを得なかった道だったのです。


「そうさ、俺の命だ。だからどう使おうと俺の勝手さ。人を殺すぐらいなら殺される方がまだマシさ」

 シュウイチローはそう言って、シンの言葉をバッサリと斬って落としました。


      ◇           ◇           ◇    


 漫画「エリア88」は戦争の物語です。作中でも様々な敵や味方や民間人が次々と命を落としていきます。

 そんな中、果たしてシュウイチロー・イトーという人物は、甘かったのでしょうか。


 確かに自ら傭兵に志願しておきながら、実際に人を殺すのは嫌だなどと言うのは、平和ボケした日本人の甘ちゃんでしかないでしょう。

 しかし彼は人を殺すぐらいなら、自らの死を選んだのです。そこには確かに彼の正義と倫理、そして克己があったことは言うまでもありません。

 日本人として、人の命の尊さを子供の頃から教えられてきた人間として、彼はブレることなく、命を捨ててでも殺人を拒み通しました。


 すばらしい甘さだと思いませんか?


 彼を見てると他人に「甘ちゃん」などと言う輩が、少しばかり辛い物の味を知って大人ぶってるだけのように見えてきます。真の甘さを貫き通した彼のエピソードは、たった一話、登場したのが2ページだけだったにもかかわらず、多くの愛読者の胸を打った事でしょう。


     ◇           ◇           ◇    


 後にシンが除隊になり、紆余曲折を経て涼子の元に戻った時、彼はこんな事を語っています。

「エリア88の仲間たちは皆、勇敢な戦士たちだった」

 かつて背中を預け、共に死線を潜り抜けて来た仲間たち。今は安全な場所にいるシンが、運命に裏切られ戦死した友や、未だに戦い続けている仲間たちの事を忘れられずに語ったセリフです。


 でもシンは、その後にこう続けています。


「たった一つ、最初の殺人を犯す前に自らの命を断てなかった、という事を除けば」


 彼のその言葉が、果たして誰のことを指しているのか、語るまでもないでしょう。

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