第4回 柏葉英二郎(タッチ):ある男の復讐、その結末は・・・

 今回ピックアップするのは、あだち充氏の青春漫画「タッチ」より。明青学園野球部に監督代行として登場した柏葉英二郎です。


 彼は登場した時から、どこかダークサイドな空気を持っていました。サングラスに竹刀を携えて、指導時にも堂々とビールを煽りながら行い、苛烈なシゴキや体罰を部員に強要するなど、横暴で野蛮な印象を与えていました。


 実は彼、手違いで兄の柏葉英一郎と間違えられて監督代行に就任したのです。



 彼はかつて明青学園に在籍していた頃、兄の英一郎が起こしたバイク事故を自分が身代わりになることで庇い、それが原因で不良の烙印を押されて先輩の陰湿なイジメにあい、高校野球の夢を絶たれてしまうという経歴がありました。

 それというのも兄、英一郎が才能に優れ、周囲の期待を一身に背負っている天才である事が大きな要因でもありました。彼は兄の為に自らを犠牲にした、いや、「させられた」のです。


 しかもその流れで当時の恋人が自分から離れ、兄の方になびいてしまう(最終的には兄の妻となる)という、今の追放ラノベでもなかなかない程の悲劇の青春を強要されていました。



 彼は、明青学園野球部に復讐するために監督代行となったのです。


 他校の生徒を竹刀で負傷させたり、拷問に近いシゴキで下級生の大半を退部に追い込んだり、OBからの寄贈品を残らず焼き捨てたりと、次々に野球部を破滅に追い込んでいきかねない蛮行を繰り返していきます。


 すべては明青学園野球部の名を、地に堕とすために。


 そんな中、彼は本作の主人公である上杉達也と相対します。


 ご存知の方も多いかと思いますが、この「タッチ」という作品、達也と弟の和也、そしてヒロインである浅倉南との三角関係を描いた青春漫画でした。

 しかし真面目で天才肌であった和也は、南に告白する直前に交通事故で命を落とします。達也はそんな弟の想いも背負ってマウンドに立ち続けていたのです。


 英一郎と英二郎、達也と和也。このあまりにも真逆の兄弟関係が作中で対比されるのも大きな葛藤とドラマを生む土壌となります。


 そんな二人の悲劇の対比が、作品を大いに深く彩る事になるのです。


 英二郎の苛烈なシゴキは、それに耐える部員たちを大きくレベルアップさせる事となります。英二郎もまた憎しみの指導にエネルギーを費やす内に、指導者としての手ごたえを少しづつ感じて行くのです。


 その途中、野球部のOBが英二郎を英一郎と間違えて会いに来るシーンがあります。そう、英二郎をいじめて退部に追い込んだその先輩方が、ヘラヘラと笑いながら!


 英二郎は当然の如くその先輩方に、かつての怒りと憎しみを叩きつけます。

「お前らが明青野球部のOBだなどと、恥ずかしくて言えないようにしてやる!」


 この恫喝に対し、青くなったOB達はせめてもの善意で「今の生徒に罪はないだろ、精一杯悔いのない野球をやらせてやれよ」などとほざきます。最優先するべき彼への謝罪もせずにです。


 この時英二郎が返した一言が、とても胸に刺さったのを覚えています。


「そのセリフは、高校時代に聞きたかったぜ」


 OB達はその後、本来の監督だった西尾にその事をチクります。だが西尾監督は英二郎の過去を調べ上げ、中学時代の恩師は「彼ほど野球を愛していた男は珍しい」とまで評価していた事を知ります。

 英二郎が高校時代から監督だったに西尾は、かつて彼を退部した不良としか見ていなかったことに落胆し、自虐の言葉を漏らします。

「儂は一体、何を見ていたんだろうな……情けない監督だ」と。


 その言葉は、英二郎の復讐がついに行き場を失った事を意味します。

当時の監督や先輩たちにとって、もはや自分達が英二郎に如何に酷い事をして、何をされても仕方がない事を悟ったのですから。


あるいはこの瞬間にこそ、彼の復讐が成ったのかもしれません。


 彼は目の病を患っており、刻一刻と失明する日が近づいていました。

残されたわずかな時間、彼は復讐と称して野球部員達を叩き上げ続けます。


 達也以外の野球部員もまたそのシゴキを「愛のムチ」であると実感し、ついには甲子園まであと一歩となる決勝戦にコマを進めました。


 決勝の最中、彼は少しずつナインに適切な指示やアドバイスをするようになっていきました。無様に恥をかかせるために就任した監督業で、彼はついに自らの使命と、野球が本当に好きだったことを復讐より上に持って行ったのです。


 そして達也には、いつまでたっても和也の重荷を背負っているのを、彼なりの毒にまみれた言葉で見事に降ろさせます。

「華やかな舞台に立った兄を、暗闇で見つめる弟の気持ちが解るか?」

「上杉和也はな、上杉達也がメッタ打ちされるのを見たいんだよ」

「俺が居なけりゃ、甲子園になんか行けるもんかって言いたいんだよ」


 それは英二郎が、英一郎や先輩に叩き付けたかった言葉そのものでもあるのです。


 本来交わる事の無い筈だった二組の兄弟、そのあまりに鮮やかな交錯が、達也の重荷と英二郎の復讐心、それを同時に消し散らす、作中屈指の名シーンといえるでしょう。


 そしてついに強敵に競り勝ち、兄や先輩が果たせなかった甲子園出場を果たしたのです。


 それは彼が最初に望んだ形とは全く違った形で、彼の復讐が成就した瞬間だったのかも知れません。


 選手でも監督でも、俺がやれば甲子園に行けるんだ!と示したのですから。



 近年、ラノベの世界で「ざまぁ」と称される物語がやたら人気を博しています。

 しかし筆者にとって、そのほとんどがイジメをより苛烈なイジメで返しているだけで、正直あまり好きにはなれません。


 敵味方の二元論でしか世界が構築されておらず、和解の可能性などはなから皆無で、敵役は人間ではなく絶対悪で、主人公の側も人間味がほぼ見られない復讐、虐待、殺戮マシーンのお話になっちゃってるのは流石にどうかと思うのです。


 そんな話に比べて、この柏葉英二郎という人物の復讐は、なんと素敵な着地点を迎えたのでしょうか。


 失明した彼に、決勝戦のウイニングボールが手渡された後の彼の言葉が、復讐の終わりを雄弁に告げていました、


「夏は、好きなんですよ」

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