第5話 炎


 次の資料をとろうと顔を上げたとき、頬を熱風がかすめた。

 左右を見ればフランはすでに炎に囲まれている。本棚を伝い、天井まで炎は上がっていた。

 本ばかりのこの場所において、燃えやすいものばかりのせいか留まることを知らない。

 集中すると周りが見えなくなるのはフランの悪い癖だ。自分の世界に入ってしまい、時間すらも忘れる。炎ですら気づけなかった。


「ど、ど、どうしよう?」


 フランは条件反射で杖をとる。しかし、それを振りはしない。

 おろおろと狼狽えるだけで、何も出来ない。

 火花がフランに降りかかる。だが、フランは手で払う素振りこそしても熱がることはない。


「ジルぅ……」


 先ほどと同じように助けを求める。しかしジルは相変わらずそっぽを向いて答えてくれない。

 炎はフランにとって空気と同じぐらい、周りにあって気にしない当たり前のものだった。建物を呑み込むほどの炎であっても、フランならいとも簡単に消火できる。知識と技術を磨いて、自由に扱えるようになった魔力で得意の魔法を使えばいいのだから。それで自分は助かるのだが、周囲への影響を考えると二の足を踏む。


 フランの魔法は炎の魔法。

 全てを灰にする炎をつかさどるフランは、魔法で炎を消すことは容易い。だが、この場に生存者がいたら。遺体があったら。それも全て灰にしてしまう。ピーキーな魔法師であった。


 人をあやめることも、蓄えられた書籍に残された証を消すことも恐れ、迫り来る炎を見つめる。

 さすがにフランも人間だ。このままここに残れば、酸素を失い死ぬか、焼け焦げた天井が落下して死ぬ。

 約束を果たすことなく死ぬ。それは嫌だ。


『――る?』

「え? 今、声が?」


 焼き尽くす炎の音を抜けて、声が聞こえた。

 耳からの情報ではない。脳に直接届いている。となればこれは魔法による念話ねんわではないかと、フランは神経を集中する。


『聞こえる、フランちゃん』

「はいっ、聞こえてますっ」


 その声はルウのものだった。彼女の魔法で念話を通じ会話をする。


『よかった。無事なようね。でも、時間はないの。貴方今図書館の中に居る? 酷い火事なんだけど』

「そうです、気づいたら火が。私の魔法じゃみんな消しちゃうからうかつには……」


 助けてほしいという思いを込めた。しかし、返って来た答えは思っていたものではない。


『自分で切り抜けて。貴方、魔法師でしょう? だったらそのくらいできるはずよ』

「でも、私の魔法は何も無くしてしまいます。ここにある本も歴史も記録も。取り残された人がいたら」

『大丈夫。そこに居た人はみんな外に逃げたわ。あとは貴方だけよ。お願い、炎を消せるのは貴方だけなの。使い魔がいない魔法師がなんて言われているか知っているでしょう? 貴方しか――』


 念話は最後まで言葉を聞き取れずプツリと途切れてしまった。

 フランはまだ、念話の魔法を会得できていない。ルウへの連絡手段を持ち得ていない。もう、こちらからは何も発信できない。


 意識が目の前の炎に向く。

 杖を力強く握る手に汗がにじむ。

 そろそろ酸素量が少なくなっている。天井が落ちてくるのも時間の問題だ。

 ジルと一緒に志半ばで倒れてなんかいられない。

 炎の中には他に人はいない。自分がやるしかない。自分の力でここを乗り切らなくては。


「んんんんんっ! やるよっ! ひとりでもやるもん!」


 フランは杖を前に突き出して、瞳を閉じる。

 身体の中を巡る魔力の流れを意識し、その勢いを少し抑える。蛇口をひねって水の量を調整するように、消費する魔力を絞る。

 図書館の規模は大きくない。だったらどのくらいの魔力で事足りるのか。イメージが固まったところで唱える。


「――エスクチカヨ ヨオノホ」


 独特の言葉により、あたりを焼き尽くさんとばかりに勢いを増していた炎を包むが現れた。

 赤を黒に塗りつぶす。

 すっかり焼けて天井が炭になり、フランの頭上へ落下しそうになっていたがそれすらも黒い炎は呑み込んでいき、落下物は何ひとつない。天井、壁、床、本。黒い炎が覆ったものは塵を残さず消えていく。

 そうして黒い炎は、フランが使った魔力分だけ辺りを呑み込んでは消し去ってから徐々に小さくなり静かに消えた。

 最後に残ったのは、まだ火の手が届いていなかったフランの周囲一メートルほどの床とその上にあった机と新聞。眩しい太陽光にフランは右手をかざして目を細める。

 外に出られたからか、ジルがゆっくりとフランの頭上を飛んだ。


「おい、今のって……」

「何なの? 真っ黒な火が図書館を?」


 ざわつく声の方へ顔を向ける。そこには青ざめた顔をした人が集まってフランを遠目で見ている。


 やはり怖がられている――


 浴びたくない視線から逃げたくて、杖を握り人々に背中を向けたとき。


「フランちゃん!」


 集団の中からルウが飛び出した。

 ルウの声に振り返ったのと同時に、フランの身体はルウの胸の中にあった。


「よかった、本当によかったっ」

「ルウ、さん?」


 涙声のルウにフランはおろおろしている。

 ルウはそんなフランの頭を後ろからそっとなでた。


「アタシが図書館を薦めたばっかりに。本当にごめんなさい」

「いえ。ルウさんが謝るようなことは何もないですし」


 ルウはフランを開放してから火災について語る。

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