ずっと遠くて、ずっと近い。
黒坂龍鴉
僕は決めました。
キスをした友達と、がらんとした教室で2人きりだった。
僕ら二人は最初、何も話さないで教室でスマホをいじっていた。だが、幼なじみである
僕はそれを見て、3年前からSNSでやり取りをしている
「今日、どうしても話したい事があるんです」
僕は雪香の元へ向かって声をかける。
「大丈夫? 割れた?」
「“
前に立ってる雪香は、手元にある画面の割れたスマホを、前髪と不織布マスクの間から心配そうに覗き込んでいる。
「保護フィルムが割れてるだけだから、すぐ出来るよ。“雪香ちゃん”」
こうやって何も無かったかの様に会話をしていると、僕の心に季節外れの雪風が強く吹き込む。冷たくて、痛い。
僕と雪香は高校受験前の冬休み、キスをした。
キスをした日、僕は「受験勉強の息抜きに遊びに行かない?」と雪香に誘われた。雪香が遊びに誘って、僕が二つ返事で答える。何年も続いていたこと。いつも通りだった。
クリスマスという所を除けば。
改札を出るとパラパラと粉雪が降っていて、彼女はその中に立っていた。
いつもだったら彼女から走ってくるのだが、その日はそれが無かったので僕の方から近づいて声をかける。
「ごめんね、待った?」
いつもの雪香なら「もー! 遅いよ!」と元気よく返事を返す。だが聞こえてきたのは、雪香に似つかわしくない「行こ」と、小さな声。
雪香は様子がおかしかった。どうやって話しかけても「うん」とか「そう」と、彼女の肩に落ちる雪と同じように、言葉はすぐ消えてしまう。
唯一記憶にある会話は、雪香が好きそうな喫茶店を見つけた時だ。
「雪香ちゃんが好きそうなカフェだね、来年の2020年3月オープンだって! いつか行きたいね」
「うん、今度来た時に絶対行こう。絶対……」
今思えば、雪香の決意が滲み出ていたんだと思う。
そこから駅に着くまで一切の会話はなく、ついに改札の前まで来てしまった。いつも通り「楽しかった! バイバイ」とはいかず、お互いに別れを切り出せないまま改札の前で立ち尽くしてしまう。
でも、流石に1時間、2時間もそこに立ち尽くす訳にはいかないから、僕は暫くして逃げ出すように改札の方を向いた。
「……じゃあ、僕はもう行くね」
強く袖を引っ張られ、後ろから震え声。
「待って!」
振り返ると、雪香の顔が目の前に来て、唇があたたかい何かに覆われた。
「私、蓮くんの事が好きです」
雪香はグイッと背伸びをして、キスをしたのだった。震えた唇が軽くぶつかる様な、キスとは言えない様なキス。
僕の頭であのキスの瞬間が、スローモーションで何度も、何度も再生される。そして、僕を動けなくさせた。
「返事、いつまでも待ってます」
いつのまにか、雪香は足早に改札の奥へと消えてしまった。
僕はどうすれば良いか、わからなかった。確かに昔から好きという気持ちはあったが、このままずっと変わらないと思っていた。友達のままだと。この気持ちは、ただの勘違いだと。
あのキス以来、全てが変わった。
一緒に川遊びをした時、花火を見に行った時、時折感じていた、心臓がギュッと掴まれたような心のモヤ。
あのキスで、この心のモヤが晴れて分かってしまったのだ。
自分の心を隠さず、正直に気持ちを伝えられたら。それがどれほど素晴らしい事か、嬉しい事か、僕は何度も考えた。
でも、僕は何もしなかった。「今は受験で忙しいから」「進む高校が同じだから」と、あと伸ばしにした。
それに、雪香が言ってくれた「いつまでも待っています」この言葉を都合よく解釈して、会うのを避けて、逃げてしまった。
付き合う事で今までの関係を崩したくは無かったのだ。恋人ではないが、友達以上の関係。居心地がいい場所に留まっていたかった。
そうやってずっと逃げていた最中、高校の入学式が始まってすぐ後、コロナがやってきた。
そして2ヶ月の休校のあと、6月に学校が再開した。
ずっと会わなかったせいか、僕はマスクをつけた雪香を見て、まるで別人のように思えた。どう接して良いのか分からなくなっていたのだ。
一歩、踏み込む勇気。僕にはそれがなかった。
だいぶ暖かくなって、暑くすら感じるのに、まだ僕の心は冬のままだ。教室の中に穏やかに吹く暖かい風に、踏み込めなかったという現実を突きつけられる。
僕は保護フィルムを剥がそうと、スマホとフィルムの間に爪を入れ込ませて剥がす。
「いやー、本当に助かる! ありがとう蓮くん! この後“大切な友達”と会うんだ!」
そこから雪香は、その大切な友だちがどんな良い人なのか、喋る。その大切な友達と言うのは、SNSで出会った人らしい。
僕は嫌な話を聞き流しながら、たぶん新しい恋をしているのだろう、と思った。コロナになる前は、雪香はまったくスマホを使っていなかった。でも今では、ずっとスマホに釘付けで、スマホを使うようになってから、雪香が絶対に聞かなかったロックとか、「私、映画館行った事ない」と普段絶対に見なかったはずの映画も、僕に薦めてくるようになっていった。僕は元々ロックや映画が好きだっただが、その“大切な友達”の影が見るたびにチラチラと浮かぶので、僕は自分の好きな物を見るたびに嫌になってしまった。
雪香は「よく気が合って、相談にも乗ってくれるいい友達だよ!」と言っていたが、雪香の気持ちが、分からない。大切な友達のことを本当はどう思っているのか。
雪香の事をよく知っている筈なのだが、マスクで顔が隠れてしまってからは、全く分からなくなっている。
「じゃあね、蓮くん!」
そう言って雪香はスマホを貰うと、教室を駆けながら出て行ってしまった。
雪香は大切な友達に夢中だ。
雪香は新しい恋を始めようとしている。
僕の心で、雪香がスマホを割った時と同じく、決意が固まった。
3年前、SNSで出会った辻さんとは、よく気が合い、恋愛相談にも乗ってくれて、僕の事を本当によくわかってくれている。まるで雪香のような人だ。
実は、雪香が大切な友達と会うのと同じように、僕も今日辻さんに会う。
もう、マスクの中に隠れた僕の顔も、約束した店のことも、雪香は全て忘れているのだろう。だから僕は一歩を踏み出す事にした。今度は後悔しないように。
僕は意を決してスマホを取り出し、辻さんにメールを送る。
日が落ちかけて、会う直前、僕は全速力で街を駆けていた。
雪香が会うのは、大切な友達では無い。
ずっと走った先に、ある店が見える。その店は、3周年と大きな看板を出していた。
3年前のクリスマス、雪香と約束したあの店だ。
そして、辻さんと会う約束をした場所。
僕と辻さんが出会った時期と、雪香と大切な友達が出会った時期は、まったく同じだった。
雪香が、高校の卒業式が終わって誰もいない教室を出たあと、僕はメールを送った。
『僕やっぱり、告白します』
僕は決意を固めていた。
”雪香に告白する決意を”。
『たぶん、彼女に好きな人がいると思うんですけど、もう大学生になって離れ離れになっちゃうし、もう後悔したくありません。辻さん、相談に乗ってくれますか?』
『ごめんね。”スマホが割れちゃって”、返信が遅れちゃった! 私も直前まで悩んでいたんだけど、君が告白するって聞いて、やっぱり決めた』
店の前に、見覚えのある後ろ姿があった。
『よく彼について相談してたけど、実はね言ってない事があるんだ。3年前に一度告白した事があるんだ! でも、まだ答えをもらってなくて、今度また彼をデートに誘おうって思ってるの。だからさ、私と一緒にどうやって告白するか、練習しようよ! 私の告白する場所はもう決まってるから、ここに来てねー♪』
大切な友達が僕で、雪香が辻さんだった。
「雪香、覚えてくれていたんだね」
僕は、その後ろ姿に声を掛けた。ずっと、忘れていないことを直接聞いていたから、「覚えてくれていたんだね」と言うのは変なんだろうけど、言葉が勝手に出た。
雪香は、マスクを着けていない顔をこちらに向けた。実に3年ぶりだ。
雪香は暫く見つめ合った後、全てを理解して、笑いと涙が入り混じった状態で抱きしめ合った。
僕らは二人は、ずっと遠くて、ずっと近かったのだ。
今まで勇気を出さないでいたから、ずっと遠かったし、勇気を出したから、ずっと近い事がわかった。
キスをした恋人と、がらんとした街で2人きりだった。
ずっと遠くて、ずっと近い。 黒坂龍鴉 @kurosaka8ryoua
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