揺れる電車の境界線

西影

人生ゲーム

 電車の揺れで目が覚める。トンネルに入ったのか、窓には反射した自分の顔しか映らない。なんで私は電車に乗っているのだろうか。記憶を掘り起こそうとしても、何も思い出せなかった。謎の焦りが私の心を掻き立てる。


「やぁ、起きたかい?」


 目の前から声がした。薄く目を開けると、私より一回り少年が座っているのが見える。新手のナンパだろうか。面倒くさそうなので、無視するために瞳を閉じる。


「ちょっと、お姉さん? 聞こえてるよね」

「…………」

「少しぐらい話そうよ。ここ、僕ら二人しかいないから暇なんだよ」

「……二人?」


 何を言ってるんだこの少年は。そんなわけがないだろう。とりあえず目を開けて隣を見る。四人用のボックス座席には私と少年以外にいなかった。仕方なく首を動かして右側の列へ視線を向ける。


 ……いない。席を立ち、見渡しても少年が言ったように誰一人としてこの電車に乗っていなかった。


「他の車両は?」

「一両しかないよ。お姉さん、そんなことも知らないんだね」


 これ以上馬鹿にされたくないため、大人しく席に座る。少年はすでに私の方を見ておらず、隣で何やら広げていた。


「何それ」

「人生ゲーム。駅に着くまで遊ぼうと思って。お姉さんもしてくれるよね」

「仕方ないわね」


 心に残る謎の焦りを忘れられたらなんでも良かった。それに、どうせ駅に着くまで私も暇なのだ。だったら少しぐらい付き合ってもいいだろう。その人生ゲームは少年の手作りなのか、私が知っているものよりマス目が少なく見える。多分、百にも届いていない。これだとすぐに終わりそうだ。


「それじゃあ、始めるよ。これは初めにサイコロで六を出さないといけないんだ」

「ふーん。なんで?」

「生まれるためにね」


 少年が軽くサイコロを投げる。その目は三。つまり、これだと失敗なのかな。


「はい、次はお姉さんね」

「わ、わかった」


 促されるままサイコロを振る。そう簡単に狙った数字なんて出せない。そう思っていたけど、どうやら私は運がいいらしい。一回目で六が出た。


「これでいいの?」

「うん! 一発で出るなんてお姉さんやるね。じゃあ次で僕も……と、また失敗かぁ」

「六を出さないと始められないの?」

「うん。だってまだ生まれてないもん。あ、お姉さんはこれ使って」


 人生ゲームでよくあるピンク色のピンを貰い、スタートと書かれたマスに置く。


「それじゃあ行くよ。……四ね。一、二、三、四……えっと、自転車でこけて怪我をする。一回休み!?」


 突然の宣告に驚く。しかも自転車でこけるって、なんとも子供らしい理由で呆れてしまった。やっぱり子供の考えた人生ゲームというだけあって、アイデアが可愛らしい。


「あはは。それじゃあ僕は二回振るね。……無理か。次は……よし、いけた」


 三回目の挑戦で六を出し、少年もピンをスタートに置いた。それを見てサイコロを振ると、まさかの六が出た。これだとすぐにゴールできそうだ。


「ラッキー。今度は、ピアノのコンクールで入賞。三千円を貰う」

「はい、三千円」


 カバンから三枚の紙が渡される。そこにはよく知るぼさぼさ髪の男性が描かれていた。本物かと思ったが流石におもちゃだろう。お札は隣に置いて、少年がサイコロを振るのを待つ。


 こうして人生ゲームが進んでいった。マスに書いてあることは子供が体験するようなものばかりで懐かしい。数年くらい若返った気分になる。今は授業、部活、テスト、塾といったものが連続して出ており、私は高校時代のことを思い出していた。


 あの頃に頑張ったから、私は今の志望大学に入っている。大人になると『あの時もっと勉強していれば』と後悔するらしいが、私はしない自信がある。それぐらい私は勉強に力を注ぎ、その分の結果も出したんだから。だけど一つ、高校時代の心残りがあるとすれば……。


「部活中に怪我をしてしまい、引退試合に出場できなくなる。五千円払うのと一回休み」


 多少潤ってきた財産から五千円を払う。そう、これは今でも後悔している。


 確か期末テスト最終日のことだった。今思うとテスト勉強で睡眠時間を削ったのがいけなかった。バスケ部だった私はテスト後の練習に参加して、隣の部員に気付かずに接触転倒。その際に足の靭帯を痛めてしまった。そうして引退試合のレギュラーを外されたのだ。


 もしもちゃんと休んでおけば、こんな結果にならなかっただろう。大学ではその思いを払拭すべくバスケを続けているが、やっぱり高校時代のあの仲間と試合に出たかった。


「あー……まただ」


 思い出に浸っていると前から「やらかした」とばかりの声が聞こえてきた。青いピンが置かれた場所の文字を読んでいく。


 病気に罹って命を落とす。ゲームオーバー。


「ゲームオーバー!?」


 人生ゲームとは思えない単語が見えて目を見開く。その反応が面白かったのか、少年が笑った。


「だって人生ゲームだもん。死ぬことはあるよ」

「いやいや、何それ。そんなのクソゲーだよ」

「そう? けどすっごい人気だよ。全人類がやってる」

「そんなわけ」


 どれだけ自分の作ったゲームに自信があるのだろうか。子どもの根拠がない自信にはいつも驚かされる。そういう子はだいたい後で痛い目を見て気付かされるのだ。……私もまだ大学三回生ではあるけども。


「僕の番は終わったからさ、次からはお姉さんがやっといて」

「あなたは?」

「見るだけでも楽しいからいいの」

「そっか」


 変な子供だなと思いつつサイコロを振る。大学受験に合格。大学入学祝いを親戚から合計三万円貰う。


 サイコロを振る。生まれて初めての彼氏ができて、お金を使いすぎた。一万円払う。


 サイコロを振る。バイトの給料日がやってきた。五万円貰う。


 サイコロを振る。友達に誕生日プレゼントを贈った。一万円払う。


 サイコロを振る。親と喧嘩して彼氏の家に逃げ込んだ。二万円払う。


 サイコロを振る。車の事故に巻き込まれた。二回連続五を出すまで休み。又はゲームオーバー。


 流石に手が止まる。ついに私も少年のような目に遭ってしまった。どうしようかと少年の方へ振り向く。


「僕はどっちでもいいよ。ゲームオーバーを選べば、また一からやり直し。五を二回連続出せば続行。それだけのこと。他にもゲームはあるしね」


 カバンをガサゴソと動かし、トランプや将棋を取り出す。そのアイテムを一瞥してから、人生ゲームを見て思うのはやっぱりこの一言。


 クソゲー。


 仮に大学の友達でこのゲームをしても楽しめる気がしない。全然次のマスへ進まないし、給料日もないし、結婚もないし、子供だって生まれない。こんなに面白くない人生ゲームは初めてプレイした。


 ――だけど。


「続けるよ。どうせなら続けたいし」


 ゴールマスを見る。そこには子供に看取られて死亡と書かれていた。どうせ死ぬならそこで死にたい。


 とにかくサイコロを振る。何度も一回目の六が出てくれるが、二連続だとそう上手くいかない。少年と雑談を交わしながらサイコロを振り続ける。


『この電車は黄泉よみ常世とこよ行きです。次は~渡川わたりがわ渡川わたりがわ。お出口は右側です』


 電車のアナウンスが聞こえてきた。それでも構わず、サイコロを振る手を止めない。そしてついに……二回連続六が出た。


「あ! 出た! やった!!」


 こんなことで、とは思えないほど歓喜の声が上がった。こんなクソゲーで蘇ったことの何が嬉しいんだろうと自問するが、それでも嬉しいことに変わりがない。


「おめでとう。お姉さん、この駅で降りるんだよね。ちゃんと反対方面に乗りなよ」

「え、あ、うん」


 なんとなく、そうしなければいけない気がして電車を降りる。振り返ると少年は満面の笑みを浮かべて手を振っていた。私も仕方なく手を振り返してすでに止まっている電車に乗り込む。


 駆け込に乗車だったのか、私が入ると同時にドアが閉まった。またもガラリと空いた席の一つに座る。ゆっくりと動き出し、車両アナウンスが響いた。


『お待たせしました。ご乗車ありがとうございます。特急、現世うつしよゆきです。次は……』


 少年の相手をして疲れていたのか、欠伸がこぼれた。席に背中を預けて目を閉じる。ここは先程の電車とは違い、どこか安心できた。

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