第35話 お母さんのこと

「お前か。ルジの敵は」


「うーん。敵っていうより、敵にすらなれなかった、みたいな?」


「みたいな、と聞かれてもオレには分からない」


「このコ、面白いねぇ」


 ムーテを引き寄せ、見えない中、当たりをつけて拳を放つ――が、受け止められてしまう。


「へぇー。へぇへぇへぇ。よく動けるねぇ。怖くないのー?」


「怖いことを理由に立ち止まっていいとは、教わっていない」


 見えないまま逃げ切れるとは思えず、見えたところで――と思わなくもない。が、両の目を使わずに負けては、何のために与えられた視覚なのか。



 仕方なく、そっと目を開ければ、久方ぶりの光に視界が白く飛び――少しの後に、いつもの視界が戻って来る。


「あっれぇー?魔族じゃん。なんで人間と一緒にいるのー?」


「人間の領地に入るに当たって、赤い目が見られてしまうと入れないから、目を瞑ったままで過ごすことになったんだが、そこで出会ったムーテと目の色を隠したまま関わることになりそして――」


「いやいやいや、聞いてない、聞いてない。真面目か」


 いやいやと、目の前で手を振る女を、改めて見る。


 角、尻尾、赤い瞳と揃った、魔族だ。肌はこんがりと焼けており、纏う布は面積が少なく、獣の皮を剥いで、急所だけを隠した粗末なもの。髪の色は金髪で軽く、広がりを持って顎の辺りまで伸びている。


「それで。どうしてこんなとこにー?ルジと一緒にいれば、ここで死ぬこともなかったのにさぁーあ?」


 死ぬ前提で話をしている。油断してくれているのは、ありがたい。


「死者の行動に興味があるのか」


「んーないねっ!でも、面白ければ、アタシの気も変わるかも?知り合いに、なんでも願いを叶えられる魔族がいるから、紹介したげるよ」


「怪しすぎる」


「キャハハッ!バカ正直だねぇー、キミ。そっちのニコニコしてる女の子は?」


「何も答えるな」


 ――その顔は、花でも見つめているかのような、笑顔だった。視覚と聴覚が一致しない。


 だってムーテは、怯えている。それこそ、一言も発せないほどに。こんなに近くでオレの顔を見ているのに、目の色が赤いことに気づいていない。


「えぇー?つまんないー。あ、じゃあ、こうしたらいんじゃね?」


「おい、何をっ、ぅ……!」


 フードごと、髪を掴んで持ち上げられる。対して痛くはないが、いや、やっぱり痛い。


「ねぇーえ。なんか、面白い願いごと、言ってみてよ。そしたらこのコとキミ、見逃したげてもいーよ?」


 笑顔のまま、オレの顔を見上げるムーテの顔を、初めて、正面から見据えた。


 肩ほどの柔らかい桃髪に、真っ直ぐに切り揃えられた前髪。頬はもちもちとしているが、顎のラインはすっきりしている。筋の通った鼻は顔の中でも目立たず、唇の朱が映えるような血色のいい肌。


 弧を描いていた両目が開かれ――その中には、太陽のような強く眩しい黄色が、顕現していた。


 にっと、口の端を歪め、大きな瞳をさらに大きくするムーテに、女がわずかに、気圧される。まさか、とーりすを頂戴、とか言い出さないだろうな――。


「本当に、何でも叶えてくれるの?」


「うんうんっ。このコとの結婚とかも、夢から現実になるよっ」


「それはまだ、夢でいてくれないと困っちゃうかな。今はまだ、追い続ける楽しさを味わっていたいから」


「ふーん?それで、アタシを満足させられるような願いはあるのかにゃぁーあ?」


「ムーテ、逃げろ」


 なんかよく分からないが、とにかく、逃げるのが最善だ。その素振りさえ見せてくれれば、時間稼ぎくらいはできる。


「じゃあ――お母さんのことでもいい?」


「大歓迎だよぉーっ。お母さん、病気?怪我?それとも、死んじゃった?」


 ムーテは、腕をまくりその痛々しい生傷を、冷たい風にさらす。思わず、目を背けたくなるが、堪えて、向き合う。


 ムーテのこれは、俺のための勇気だ。俺を助けるための。


「わーっ、何それぇー。折檻んー?お母さんにやられたのぉー?」


「そうだよ。だから――お母さんを、助けてほしいの」


 その嘘のない言葉の意味が、オレは、理解できなかった。

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どうせみんな死ぬ。〜始まりの塔〜(仮) さくらのあ @sakura-noa

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