第6話
結局、昨日は一睡もできなかった。テストの結果がこたえたのもあるけど、多分それ以上に……考えていたら負の感情がグルグル、私をかき混ぜる。もうやめよう。梅雨の季節、雨が降る中をとぼとぼ、そんな効果音が似合いそうなほど落ち込んだ足取りで家へと帰った。お母さんは家にいたけど気まずくて声はかけなかった。
「はあ」
大きなため息をついてベッドに倒れ込む。
「そうだ、カメラ。」
最近撮ってなかったから気分転換に散歩しよう。
「え?」
無い。
どこにも無い。
私のカメラがどこにも……
前は棚の上に置いといた。
そのあと一度も触ってない。
嫌だけどお母さんに聞いてみよう。
「ね、ねぇ、お母さん、私のカメラ知らない?その、見つからなくて…」
「捨てた。」
「え?」
今なんて言った?
ステタ
スてタ
すてた
捨てた
頭で同じ言葉がリフレインする。
言葉の意味を理解したときにはまた頭が真っ白になった。
「捨てた?どうして?なんで?」
「捨てたというか、中古に売ったわ。」
「どっちも、一緒だよ……」
お母さんは私に聞こえるようにため息をついた。
「あなた、最近、勉強さぼってるでしょ。成績も落ちて。あんだけ注意したのに聞かなかったじゃない。聞かないあなたが悪いのよ。」
心の中で細い何かが切れるような音がした。
「なんで?私が頑張ってるじゃん!こんな家になんていたくない!」
気づけば家を飛び出していた。外では傘があっても意味をなさないくらいの雨が横殴りに吹いていた。視界がぼやけて先が見えない。自分の頬を濡らすのが雨なのか、涙なのか、分からなかった。気づいたらあの公園に来ていた。慣れた足は自然とここへ向かっていた。
「なんで……」
どうして彼がここにいるの?小説で読むような展開に少し驚いた。瑞樹は私に気が付いたのかこっちに歩いてくる。傘はやっぱり意味がなさそう。
「何してるの?」
「何って、待ってた。」
「意味わかんない。」
「だって連絡つかないし、学校では会えなかったし。」
「……」
待ってた?もしかして、毎日?雨の日も、今日だって。
「伊織こそ何しに?カメラもなしに、珍しい。」
「な…い……」
「ごめん、聞こえなかった。」
「持ってない!あなたのせいで捨てられた!」
「は?って痛い、痛い。」
気づけば瑞樹の胸をたたいていた。何か怒りをぶつける矛先が欲しかったのかも。
「私には勉強しか取り柄がないの!あなたの方が私より頭いいから!あなたのことが羨ましくして仕方ないから!だから!だから……私は……」
咽び泣いて最後まで話せない。きっと今、私の顔はぐちゃぐちゃだと思う。彼をたたく手もだんだん弱くなって、最後には止めてしまった。
彼の顔を見ると楽しそうに笑っていた。
「そんなに楽しい?こんな惨めで情けない私が見られて?」
「あはは、いやだってこんなに感情的になっている伊織見たことなかったから、つい。あははは。」
「……」
「まぁでも勉強がすべてじゃないってよく言うだろ?」
「そんなのただのきれいごとでしょ?」
「きれいごとでも、受け売りでも、自分が楽になる言葉ならそれでいい。だから勉強がすべてじゃないって思たった方がいいと思うなぁ。周りの期待に応えなくても、自分らしくしてれば。」
「それじゃあダメなの……認めてもらえない……お母さんに認めてもらえないの!」
「お母さんのこと好き?」
「そんなの嫌いに決まってる。」
「うんうん、そうか……あはは。」
「何がおかしいの?」
「だってお母さんのこと嫌がってたのに、本当は好きなんだなぁって思ったからさ。」
「好きじゃない……」
「じゃあ、なんでお母さんに認めほしいんだよ。嫌いならどうだっていいだろ?」
「私は……」
私はなんで期待に応えたいの?認めてもらいたいの?お母さんが好きだから?
「お母さんと、しっかり話してみれば?じゃないと伝わんないよ。」
マンションの渡り廊下、横殴りの雨で床は湿っている。遠くで雷鳴が響き渡る、腹の奥底に響くような雷鳴が。玄関の扉は音を立てて開いた。家の電気は消え、リビングから小さな電球の明かりが漏れていた。濡れた足で廊下を進む。リビングにはお母さんが座っていた。足音で気が付いたのかお母さんは顔を上げた。それと同時に雷光が放たれお母さんの顔を照らした。そこには苦痛に歪んだような、申し訳なさそうな顔があった。
どうしてそんな顔するの?
そう言いたかったけど、空気を求める魚のように口は動くだけだった。
二人の間に沈黙が流れる。
気まずくてお母さんから目をそらす。
「……ごめんね……伊織。」
「え?」
お母さんが謝った?
「……」
「お母さん、あなたに無理させてたわ。一位一位っていつも言ってあなたを追いつめていた。勉強がすべてじゃないって雪にいわれたわ。たしかにその通りね。あなたには将来、幸せになって欲しかった。それがこの結果。」
お姉ちゃんも瑞樹と同じこと言ったんだ。なんか面白い。
「だからごめんなさい。カメラ捨てたことも、これまでのことも。」
私は何も言えずに頭を左右に振った。
「私もお母さんに認められたくて必死だった。だから本音をいつも隠してた。だから私も、ごめんなさい。」
顔を上げるとお母さんが抱き着いてきた。
「ごめんね……伊織、ごめんね……」
「私だってお母さんに……ごめんなさい……」
「あなたもお姉ちゃんと同じ私の大事な娘……ごめんなさい……」
私だってお母さんに隠し事ばかりだった。やっぱり本音で向き合わないと人間分かり合えないのかも。気づいたら部屋からお姉ちゃんが覗いていた。安心した、うれしそうな顔でピースを向けていた。だから私もピースで返す。
やったよ、私。
「伊織、これ。」
お姉ちゃんが渡してくれたのはSDカードだった。
「前のカメラの。」
お姉ちゃん持っててくれたんだ。
「ありがとう、お姉ちゃん。」
「ふふ、どういたしまして。いってらっしゃい。」
「行ってきます。」
カメラ片手に今日も出かける。
春の光に包まれて、あの公園へ。
私を変えた君がいるあの公園へ。
自分を変える誰かの存在は予想以上に大きくて大切なものだ。
自分もいつか何か押しつぶされそうな誰かを救える人になりたい。
私の姉や瑞樹のように。
だから、そのためにも、まずは一歩ずつ進んでいこう。
もし、春、桜の下、君に会わなければ……
だから、
ありがとう。
もし、春、桜の下で君に出会わなかったら 短夜 @abelia_ar
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