ありがとう。大好き。

架橋 椋香

ありがとう。大好き。

━━━恐い。何かが迫ってくる。追い越してゆく。そんなイメージが僕のあたりを行き交い、イメージもまた、僕を追い越して行ってしまう。自分のイメージにさえ、僕は置いて行かれてしまう。


「ゴウウウウウウウウウウウウウウウウッ」

 まるで新幹線が真横を通ったような轟音を響かせて、白く滑らかなボディに紺の筋を走らせた新幹線が、僕の真横を通りすぎてゆく。突風にバタバタとなびいた衣服が、破裂しそうなほどの熱を帯びて、僕の前腕やふくらはぎにさわる。かさかさする。


 かさかさもやがてどこかへ行ってしまう。回転寿司のレーンの上の皿の上のシャリの上の鯖の刺身の上の生姜が等速で流れて行ってしまうみたいに、どこかへ。僕には追いかけることができない。


 白昼夢はいつもそこで終わる。


 四限が終わった合図がした。

 昼休みの教室は嫌だ。くさいから。学食に行かなかったほぼ全ての生徒が昼食を広げ、冷凍食品のアミノ酸の匂いや、弁当箱で発酵した米の匂いや、甘ったるい菓子パンの匂いが、均等に混ぜ合わされて、色で言ったら赤っぽいグレーを構成している。雨が降っているので窓は開かず、空気はマンボウの水槽のようにどんよりと停滞している。湿度の高さが停滞をさらに加速させる。高い湿度は誰の汗も乾かさず、全てがグミのようにべたべたしている。梅雨の昼休みの教室は最悪だ。

 少し前から僕は病気にかかっている。医学的な診断名の付いた病気ではない。左腕が疼く訳でもない。自分のあらゆる行為、目に付いた全ての物事を脳内で描写してしまう病気。

 原因ははっきりしている。英語の先生が、自分がしていること、見ているものを脳内で英文に変換するトレーニングをすると、英語力がグンと上がると言った。憐れな僕はそれを実践した。初めのうちはなかなか慣れなかったが、習慣化すると気づけば止めることが出来なくなっていた。止めようと意識するとそれがトリガーになってまた描写が始まる。要するに勉強のし過ぎで頭がおかしくなったのだ。いつの間にか描写は英語でも日本語でもない、独特の言語になっていた。

 発狂を目前にした僕は受け入れる情報を削減することを開始した。国語便覧の村上春樹のページを開く。栞が挟んである。情報が溢れて気がれそうになるとこのページを開くことにしている。このページは全ての描写が完了している。フランツ・カフカ賞授賞式での村上の表情も、その隣に立っている蝶ネクタイの男の表情も、引用されている村上の文章の表現も、紹介されている村上の作品の表紙の文字のフォントも。それらを凝視する自分自身の様子の描写も完了している。とにかくこのページに全ての意識を集中させる。文字を含む全ての画像が同じ強さで己を主張し始め、一枚の布を織り成してゆく。風に靡いて眩しい。ひらひら。


 するとどうだろう。気持ちが良いのだ。


 久し振りに脳に余白が生まれる。


 教室の臭気も、雨音も、生徒の話し声も。


 全てが遠くの出来事になり、僕も村上春樹もいない教室に、僕と村上春樹だけがいる。


 村上は僕を見ていないし、僕も村上を見ていない。


 ただ、それだけだ。


 それだけなのが、シンプルに嬉しい。


 ありがとう。大好き。

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ありがとう。大好き。 架橋 椋香 @mukunokinokaori

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