8ヶ月遅れの追悼文

残機弐号

追悼文

 1月にK先生が亡くなったことを、ずっとうまく受け止められずに今までやってきた気がする。亡くなったことを聞いたとき、それほど強い悲しみはなかった。ショックではあった。でも、先が長くないとは聞いていたし、心の準備はできていた。また、本当はまだ亡くなっていないような気もどこかでしていた。


 私とK先生のつきあいは二十年近くになる。大学で研究室に入ったときの准教授(当時の呼称は助教授)の先生で、先生の研究室で私は学位を取り、ポスドクを数年務め、しばらくよその大学で働いたあとで教員として戻ってきた。その研究室も、K先生が退職し、私も任期が切れて職を失ったあと、名前だけは残っていても中身はまったく別物になってしまった。私は居場所を失って、ここ数年宙ぶらりんの日々を送っている。


 私の半生はK先生とともにあった。かなりクレイジーなところのある人なので、反発を覚えるところも多い。でも、私という人間の基礎をつくってくれた人でもある。学問に対する姿勢だけでなく、生きる姿勢や倫理観も含めて、K先生から大きな影響を受けている。だから、K先生が亡くなったといっても、本当に亡くなった気がしない。自分のなかにK先生の一部が残っていて、まだ元気におしゃべりをつづけているのではないか。そんな気がしてならないのだ。


 研究者をやめようとこの数ヶ月考えてきた。大学はどんどん余裕がなくなり、K先生が現役だったころのような自由さはほとんど失われている。このまま研究者をつづけても、山のような雑務に追われて、研究する時間も確保できず、ただただ消耗していくだけなのではないか。そう思えてしかたがない。


 K先生なら何と言うだろう? 「勝手にすれば」と言いそうな気もする。逆に、しつこくしつこく説教されそうな気もする。どちらの反応でも、私は研究者をつづけようと思い直すだろう。私はK先生に見捨てられたくないと、K先生が亡くなった今でも思っているのだ。だとすれば、何も言われなくても、私は研究者をつづけるべきなのではないか。


 人は、自分がなりたい者になるのではない。人はひとりでは、自分自身になることさえできない。そんな風に私は思っている。K先生がいなければ、私は研究なんかしようとは思わなかっただろう。もともと学問よりも文学や芸術の方が好きなのだ。研究者になったのは、K先生と出会ってしまったからだ。K先生に見捨てられたくないというだけで、この二十年間研究者をつづけてきた。私には主体性なんてない。主体性なんて安っぽいイカサマだと、私は思っている。


 私が悲しくないのは、K先生が私のなかにまだ生きているからだ。でも研究者をやめたら、K先生は完全にいなくなるだろう。K先生の声はもう私には聞こえなくなる。それは、私が自分の手でK先生を殺すのと同じ事だ。そしてそれは、自分で自分の一部を殺すことでもある。


 最近ずっと、ひどい孤独感にさいなまれている。一日中、気持ちの安らぐときがほとんどない。今思えば、知らないうちに、自分で自分を傷つけていたのだ。K先生を切り捨てることで、自分自身を切り刻んでいた。


 本当の孤独とは、単にひとりぼっちであるということではない。自分の過去を否定し、自分にとって大切だった人のことを忘れてしまうことだ。そんな荒野のような孤独のなかで、人は息をすることさえ苦しい。過去は呪いにもなるし、救いにもなる。私はK先生の声を、まだ聞いていたい。

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