◇お知らせ◇ 『割り切れない日本語』について一部訂正しました。
今回はお知らせです。
タイトルにもあるとおり、2023年12月20日に完結いたしました『割り切れない日本語』について、一部訂正いたしました。
読まれていない方もいるかと思いますが、『ことば‐Ⅱ‐』を読まれている方の中に読んでくださっていた方がいらっしゃるので、周知のためにこちらでも内容について記載しています。
訂正した箇所は、『割り切れない日本語』の「か行」の章にある『Column1 「号泣」は単に「大量に涙を流すこと」?』です。(*変更済のタイトルを記載しております)
以前記載していた内容では「号泣」の俗語について取り上げ、「声を抑えて大量に涙を流す」という意味で使われることがあるとお伝えしていました。ですが、この「声を抑えて」という部分について辞書を改めてよく読むと、語釈には書かれていないことが分かりました。
というのも、『明鏡国語辞典 第三版』の注意書きには「声をあげずに大量の涙を流すことの意にいうのは誤り」としていながらも、適切ではない用例として「声も立てずにただ号泣する」ということが記載してあったからです。
もし「号泣」の俗語の意味に「声を抑えて大量の涙を流す」が包括されているのであれば、「ただ号泣する」と書くだけでよかったのではないかと推察されます。
また、『三省堂国語辞典 第八版』には「〔俗〕大いに なみだを流すこと」とあるのですが、用例には「静かに号泣する」とあります。ここからも「号泣」の俗語としての意味には「大いに なみだを流すこと」というのが主としてあり、「声を抑える」ということは含まれていないことになります。
「号泣」の本来の意味は、「大声で泣くこと」です。そこには涙の量は関係なく、「大声で泣く」ことが「号泣」に当てはまります。
それが人々の間で「涙の量」に焦点を当てられるようになったことを、辞書は俗語として捉えていたのですが、私は「映画館で号泣する」というシチュエーションから、「静かに大量の涙を流す」ことであると解釈してしまったようです。そのため、内容のズレが生じてしまったと見ています。
小さなことかもしれませんが、解釈のズレた内容を記載してしまい申し訳ありません。
次は絶対にないようにします……とは断言できないのですが、できうる限りそうならないように、より一層確認をし、辞書の内容をきちんと読み解くよう努めてまいります。
よろしければ、今後とも『ことば‐Ⅱ‐』をよろしくお願いいたします。
*補足*
下記URLが『割り切れない日本語』のColumn1 「号泣」は単に「大量に涙を流すこと」? に関する内容です。内容はすでに修正しております。
『割り切れない日本語』
Column1 「号泣」は単に「大量に涙を流すこと」?
https://kakuyomu.jp/works/16817330663418963966/episodes/16817330665456464863
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